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細かすぎて役に立たない旅行ガイド

ニュージーランド(ペンギンに会いたい編④)

ニュージーランド ペンギン記事の続き。

 

ブッシービーチのペンギンたちに満足した我々は、次なる目的地「オアマルブルーペンギンコロニー」へと向かった。

ここでは、エサを取りに海に出たブルーペンギンたちが巣に帰ってくるのを観察できる。

 

これが、想像以上に良かった。これだけでもニュージーランドに来た甲斐があった。本当に感動した。しばらくドキドキした。

 

しかし、この素晴らしい体験をするためには、絶対に外せない重要なコツがある。忘れないうちにそれだけ書いておきたい。

 

  • ちゃんとペンギンが見たければ、絶対にプレミアムエントリーにすること。ジェネラルエントリーでは、人ですら豆粒に見えるような距離から、体高約30センチの小さなペンギンを見なければならない。
  • できるだけ海に近い席を取ること。そうすれば、ペンギンたちが海から陸に上がるところが観察できる。海側の席でなければ、人や岩の陰になって見えない。そのために、遅くても30分前には入っておくこと。

 

これからオアマルブルーペンギンコロニーに行く予定の方は、以上をお忘れなきよう。

 

 

 

さて、大事なことは書いたので、ここからは私の好き勝手に(公序良俗に反しない範囲で)書きたいと思う。

 

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コロニー近くの「ペンギン注意」の標識。ブルーペンギンコロニーなのに、イエローアイドペンギンなのはご愛嬌ということで。

 

 

ブッシービーチを後にした我々は、ビューイング開始の30分ほど前に駐車場に着いた。駐車場というか、山を切り開いた空き地のような空間は、開始まで時間があるにも関わらず、既に半分ほど埋まっていた。

 

車が多いのではない。中途半端な間隔をあけて、皆がてんでばらばらの向きに停めるせいで、入るはずの面積に入れるべき数の車が収容できないのである。ラインが引いていないのを良いことに、3台は余裕で停められるスペースに1.5〜2台くらいしか停めていない。日本でこんな停め方をすれば、場内アナウンスで、至急お車の移動をお願いされるに違いないレベルである。

 

うっかり雑な人の隣に停めれば、「ちょっとハンドル切りすぎたぜHA-HA!」などと擦られかねないので(偏見)、たまたまキッチリ停めた車の横にスペースを見つけ、すかさずそこに駐車した。

 

 

車を降りて歩くと、ペンギン顔ハメ看板があった

 

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ブルーペンギンっぽいけど何か違う。疑惑の謎ペンギン。

 

この顔ハメ看板の向かい側の建物が受付である。我々は既に公式ウェブサイトで支払いまで済んでいたので、名前を伝えてパンフレットを受け取り、そのまま入場した。ちなみに、建物内には、色々なペンギングッズが販売されており、ペンギン好きにはたまらない、幸せ散財スペースである。

 

ビューイングスペースに向かって受付の建物を出ると、35ドルの普通席に向かう通路と、50ドルのプレミアム席に向かう木道の二手に分かれる。

今回は奮発してプレミアム席にしたのだが、席までは木陰を縫うように設置された木道をクネクネと進まなければならない。普通席が受付を出てすぐのところにあるのとはエライ違いである。

 

そうしてたどり着いたのは、雛壇のようなプレミアム席。記憶が曖昧だが、10人用くらいのベンチが6段ほどだったと思う。席は自由だ。

前方の席は既に埋まっていたので、仕方なく最後段、雛壇に向かって左から2番目と3番目の席に座った。我々の右側、つまり最も海側の席には幼児を抱いた中国人女性が座っており、横から覗くと彼女の向こうに海岸が見えた。

海岸には1メートルほどの四角い岩がゴロゴロしており、岩と岩の間を波が出たり入ったりしていた。

後からわかったのだが、海から帰ってきたペンギンたちは、この岩場を乗り越え、急な坂を上りきり、平坦な砂地を走り抜けて木製の柵をくぐり、巣に帰る。プレミアム席は、まさにこの砂地の真ん前にある。

 

周りを見ると、ほとんどが身なりの良い中国人の家族連れだった。言葉はわからないが、ウキウキしている感じは伝わってくる。

 

ふと海の方を見遣ると、悲しげな目をした老人が、ごつい双眼鏡を覗きながら、無線で何やら話していた。ペンギンの接近を確認しているらしい。彼はきっと老練なペンギン探し師なのだ。

 

ペンギン探し師が話している相手は、数十メートル離れた普通席にいる男性スタッフらしかった。男性はペンギン探し師から無線を受けると、マイクに向かってペンギンの接近と、観察時の注意事項を陽気に伝えた。驚くことに、そこには中国人スタッフまでおり、おそらく同じ内容を中国語で繰り返した。スタッフらの声は、マイクとスピーカーを通して、こちら側にもうるさいくらいの音量で響いている。

「ペンギンが怖がるのでうるさくしないように」という注意もあったが、お前らの方がよっぽどうるさいのではないか、と思ったのは秘密である。(が、多分みんなそう思っていただろう。)

 

ペンギンの接近が伝えられてから、どれくらい経っただろうか。

寒さで鼻の頭がツンとしてきた頃、とうとうペンギンが到着したとのアナウンスがあった。我々の席からは、海岸全体を見渡すことはできなかったものの、陸に上がろうと踠くペンギンたちの一部分だけ見ることができた。

 

岩場には、既に海から出て念入りに羽繕いするペンギンたち。疲れているのか、じっと動かないペンギンもいる。

しばらく留まった後、準備の整ったペンギンから順に、少しずつ砂地の方に進み出てくる。

砂地の入り口に着くと、一旦立ち止まって様子を確認する。砂地に入れば、天敵から身を隠すところがないのだ。慎重になって慎重すぎることはない。

 

ふと、先頭のペンギンの表情が、急に険しくなったように見えた。

次の瞬間、まるでヨーイドンをするように、20羽ほどのペンギンたちが次々とダッシュし始めた。ブルーペンギン独特の前屈みの姿勢で砂地を横切り、整然と柵を潜り抜けると、草むらの中に消えていった。そこに巣があるのだろう。

 

ペンギンたちが通り過ぎると、静まっていた客席が、急にざわつき始めた。中国語なのでわからないが、たった今目撃した大偉業について語り合っているのだろう。ペンギンたちは無事ミッションを完了したのだ。

 

素晴らしい!頑張るペンギンたちを、もっと見たい。

 

そうして、我々はまたペンギンの到着を待った。

空がすっかり暗くなり、気温がぐんぐん下がり出す。

 

この時点で、普通席の客は半分ほど帰ってしまっていた。どうせよく見えなかったのだろう。もし見えていたら、絶対にもっと見たいと思うはず。あんなにアッサリと帰るわけがないのだ。

 

その証拠に、プレミアム席の客は全員、寒さに耐え、辛抱強く待っている。

しかし、やはり寒いのだろうか、それとも飽きたのか、右隣の子どもがグズり始めた。母親があやしても一向に機嫌が直らず、子どもを抱いて残念そうに帰って行った。

彼女には気の毒だが、我々はこれ幸いと海側に席を移動した。さっきまで一部しか見えなかった海岸が、全て見渡せるようになった。

 

ペンギン探し師は双眼鏡を見続け、無線でスタッフと連絡を取り合っている。

スタッフは、観客が退屈しないように、時々思いついたように解説を始めたりする。スタッフが話せば、当然同じ内容の中国語アナウンスも入る。これでは中国人が多いわけだ。

 

 

と、波打ち際が急に騒がしくなった。再びペンギンたちが帰ってきたのだ。さっきよりも多い。

 

波に揉まれながら、上陸しようともがいている。岩に叩きつけられ、引き波に流され、せっかく岸に泳ぎついても再び波に押し戻されてしまう。それでも諦めずに陸によじ登るペンギンたち。

 

がんばれ!がんばれ!

手を固く握りしめて応援するうちに、少しずつ、上陸に成功するペンギンが出てきた。疲れた体を引きずって、なんとか波の来ない場所まで移動すると、ほっとしたように羽繕いを始める。双眼鏡で見ると、濡れた羽がツヤツヤしている。寒そうだ。冷たい海から上がって、濡れたまま風の中でじっと空間を見ている。

 

そうして、準備が整ったペンギンたちは前に進み、また砂地の前で息を詰める。

首を前に傾け、走り出すかと思うと動かない。人間が見ているのだから、よほどのことがない限り安全なはずだ。それでも、彼らが納得いくまで慎重に確認し、ヨシと思ったら走り始める。

 

不思議なことに、彼らがダッシュし始める前、「ヨシ行くぞ」という顔をする。大丈夫みたいだ、ここを大急ぎで走り抜けて、ヒナに餌をあげなくちゃ。

 

羽繕いをしていたペンギンたちが何回かに分かれて巣に戻った後、よく見ると巣とは逆方向に向かうペンギンが4羽いた。時々立ち止まりながら、どんどん逆方向に進んでいく。心配して見ていると、次々にヒョイっとどこかに消えていった。

あれは、エリート・ペンギンによる秘密組織「ブルーペンギンズ(フロム・マダガスカル)」の特殊任務だったのだろうと信じている。

 

ブルーペンギンズのミッションも終わったようだし、既に22時近く、腹も空いて来たので帰ることにした。スタッフによると、この日は69羽のペンギンが帰って来たらしい。パンフレットによると、1月は150羽ほど見られるということなので、半分程度だったことになる。169匹の間違いかとも思ったが、感覚的にそこまで多くはなかったから、やはり69羽で合っているのだろう。

 

帰りに木道を歩いていると、先を歩いていた老夫婦がこちらを振り返り、声を出さずに合図をくれた。奥さんが手を伸ばして、地面を指している。

指の方向を見ると、巣に戻ったペンギンたちがいた。とても近い。よく見ると、木道沿いに多くのペンギンがおり、赤い照明で照らされていた。この赤い照明は、確かペンギンには見えない光だったはずだ。

近くで見ると、とても小さく儚げである。この可愛らしい小さな生き物が、さっきまで荒波と戦っていたのだ。なんと健気で逞しいのだろう。

 

大仕事を終え、リラックスしたペンギンたちを驚かさないように、息を潜め、足音を立てないように気を遣いながら、そろそろとコロニーを後にした。

 

ペンギンが、あんなに表情豊かだなんて知らなかった。

もっともっとペンギンが好きになった。

 

 

ペンギンに会いたい編終わり。

普通の旅行記に続く。

ニュージーランド(ペンギンに会いたい編③)

ペンギン記事の続き

 

キュリオベイペンギン・プレイスと、ペンギンの遠さに失望しながらも、我々はまだ諦めてはいない。最後まで…希望を捨てちゃいかん。諦めたらそこで試合終了なのだ。

 

 

希望を捨てずに向かった次なるペンギン聖地は「ブッシービーチ」である。

ここは、ペンギンパレードで有名なオアマルブルーペンギンコロニーのすぐ近くにある。

夜にはそこのブルーペンギンコロニーに行くので、それまでブッシービーチでYEPことイエローアイドペンギンを観察する魂胆だ。

日程的に、YEPは最後のチャンス。

 

とはいえ、ブッシービーチでは、ペンギンが出てくる朝晩、ビーチに下りられない。ビーチの上方、少し離れた位置に設置された観察台から見るしかないのだ。これもペンギンたちを保護するため、仕方のないことではある。

 

さらに無料。昭和風に言えばロハ、業界人っぽく言えばダーター。

55ドル払って激遠だった例を鑑みれば、タダなのだから、どんなにペンギンが遠くても文句は言えない。

激減しているYEPは、もはや同じ場所で息ができるだけで神々に感謝すべき存在なのかもしれない。

何が「ペンギンがそこら辺を歩いている」だ、夢見させるようなこと言うな!!

 

そんなわけで、心の某安西先生を無視して、全く期待せずに行ったのだ。

 

だが。しかし。

 

 

なんと、18時半の時点で1羽発見した!

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キュリオベイでは21時まで待ってやっと出てきたのに、既にベリーラッキー状態である。

※ 前回記事ペンギン・プレイスのガイドによると、YEPは貴重なので、1羽見れたらベリーラッキー、2羽見れたらベリーベリーラッキーらしい。

 

しかも、今までで一番近い。双眼鏡を覗けば、頭の黄色い模様もくっきり見える。感動。羽繕いに夢中で一歩も動かないけど、すばらしくかわいい。なんと美しい鳥!!

 

 

そうしてペンギンのかわいい仕草をうっとり眺めていると、ふと、ひとつの予想が我々の頭をよぎった。

「これ、あと30分待ったら増えるんじゃね?」

 

我々は自分の直感を信じ、30分時間を潰した後、再び観察台に戻った。

 

すると、なんとペンギンが3羽に増えていた。ベリーベリー、ベリーラッキー。

しかも、波打際を泳ぎ回ったり、他のペンギンに駆け寄ったり、2羽でテクテク歩いたり、なんかもう光栄ですアリガトウゴザイマス!

素晴らし過ぎる光景を、この両の目にジュウジュウと焼き付け、ブレブレながらもiPhoneにも記録して、晴れやかな気持ちでそこを後にした。

 

確かに触れられるほどの近さではない。

しかし、これまででYEPの貴重さは十分理解した。

ブッシービーチのペンギンたちに、私スズキペンよりMVPs(Most Valuable Penguins)を授与したい。

 

続く。

ニュージーランド(ペンギンに会いたい編②)

ニュージーランド、ペンギン記事の続編である。

今回はオタゴ半島のイエローアイドペンギン観察ポイント「ペンギン・プレイス」について書きたい。

 

 

オタゴ半島は、千葉県で言えば鴨川あたりの位置にある。(ニュージーランドの地理は、千葉県でイメージするとわかりやすい。ミルフォードサウンドが木更津、クライストチャーチいすみ市オークランドは柏あたりであろう。)

 

ペンギン・プレイスは、野生のペンギンが見られるツアーを売りにしている、民間のペンギン保護地区である。

1人55ドル払うと、曰く「アザラシや、コガタペンギン、そして我々の目玉であるイエロー・アイド・ペンギン(YEP)を観察する」ツアーに参加することができる。

 

55ドルといえば、日本円で4,000円ちょっと、鴨川シーワールドの1日券を買って、ちょっとしたオヤツを食べてもオツリが来るお値段である。なかなか強気だ。

 

強気なのには、きっと訳がある。

ペンギン・プレイスのホームページを見てみよう。そこにはこんな写真がある。

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近い!近過ぎちゃってどうしよう!かわいくってどうしよう!な近さ。

こんなん見せられたら、期待が高まらない方がおかしい。

これでキュリオベイみたいに遠かったら詐欺だぞ、わかってんだろうな?

(しかし、よく見ると何やら合成写真っぽいような・・・ゴニョゴニョ。)

 

そわそわとチケットを買い、ベンチに座って開始を待っていると、老若男女、白人客がポツポツとやってきた。

10人ほど集まったところで、ガイドのお姉さんがやってきた。

がっちりと太っており、頭にはデカデカと「侍」の刺繍が入ったキャップを被っている。(キャップの後ろ側には「SAMURAI」と刺繍が入っており、漢字が読めないキウイにも親切設計になっている。)

 

最初にガイドに連れて来られたのは、年季の入った狭い講堂である。

「ハーイ!」といかにもガイドのお姉さんよろしく挨拶すると、「みんなはどこから来たのかしら?」と質問する。

「カリフォルニアよ」「イギリスさ」観客が口々に答えていく。

 

ここは「我々はジャパン、サムライの国から来たぜ」などと答えるべきか。しかし、こんなところで日本人だとバレたら「クジラはかわいいから食べてはダメだキウイ!許せないキウイ!」などと面倒なことになりはしないだろうか。

 

迷っていると、隣のおじいさんがモゴモゴと「家から来たのじゃ」と答え、会場がドッカンドッカン湧いたところで話題が変わった。

ワシらはサムライの国から来たのじゃよ・・・。

 

ガイドの英語は早口な上にニュージーランド・アクセントが強く、ほとんど聞き取れなかったのだが、曰く「我々はペンギン・ホスピタルを運営しており、ニュージーランド中の、怪我や病気や飢餓に苦しむペンギンたちを保護して治療後、自然に還している。」「ペンギン・ホスピタルでは、昨年は100匹以上保護した。」「それでもYEPは減り続けており、気候変動や政治的な理由(詳しく聞き取れなかった)でどんどん危機的なものになっている。」

とにかくYEPは貴重らしい。

 

そうして講義が終わり、我々が連れて来られたのは件のペンギン・ホスピタルである。

 

檻の中に、ジッとしているイエローアイドペンギンたち。

初めて近くで見たYEPは、本当に美しく、神々しい生き物だった。なんと素晴らしい鳥!

 

とはいえ、ここは病院。やはり元気がない。

かわいい!とはしゃいで、調子の悪いペンギンたちの写真を撮りまくるのは気が引けた。

どうせこれからいくらでも野生のペンギンに会えるのだ。

早く元気になってね、と願いを込めつつ、ホスピタルを後にした。

 

 

そしていよいよお楽しみ。野生のペンギン観察ツアーのスタートである。埃だらけの古いマイクロバスに乗り込み、観察ポイントへ向かう。

バスも講堂も、全体的にオンボロなのが、ペンギン以外に金を使っていない感じで好印象だ。

よく見ると、バスの側面には日本語で乗車定員が書いてあった。元は日本の幼稚園バスだったに違いない。

 

ガタガタの道を、ギシギシ軋むバスで進んで行く。外を見ると、こんなところにまで羊牧場がある。さすが人口より羊が多い国は違う。隙あらば羊を詰め込んでくる。

羊たちは、口をもぐもぐさせながら無表情にバスを見送っていた。

 

10分ほど走ったところで突然バスが止まり、我々は外に出された。あたりには何もない。

ガイドの後について行くと、木が覆い被さる階段があった。そこを下り、塹壕のようなトンネルに入った。トンネル内は迷路のように入り組んで、薄暗く、狭く、埃っぽい。 

1kmほど歩かされただろうか、突然、海岸に面した掘建小屋に着いた。履いていたスニーカーは、すっかり埃だらけである。

小屋はトンネルと繋がっており、床から1.3メートルほどの高さに、15センチほどの幅でスリットが開いている。スリットから海岸を覗き、ペンギンを観察するシステムである。

 

ふーん、ペンギンいないなーと思って見ていると、ガイドが海岸を指さし、「ほら、ペンギンがいるわ、2羽よ、あそこ」と言う。

色めき立ってそちらを見ると、遥か遠くに白い点が見えた。そこから少し離れて、もう一つ点がある。持ってきた双眼鏡を覗くと、うっすらと白黒のペンギン形が見えた。

 

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中央の白い点がペンギンだ。一応スマホ用の望遠レンズを付けてコレである。

遠い。キュリオベイより倍は遠い。これは詐欺紛いの遠さ。

 

周りを見ると、他の客もモヤっとした顔をしている。腑に落ちない、と言った様子で写真を撮ったり、無言で双眼鏡を覗いたり、どことなく気まずい空気が流れる。

 

と、ガイドは何を思ったか、「皆さん、2羽も見れて超ラッキーよ!YEPは1羽見れたらベリーラッキー、2羽見れたらベリーベリーラッキーなのよ!」などとほざく。

お前、1羽すら見られない可能性もあったのかよ。それで55ドルも取るのかよ。

 

釈然としないまま、終わりの時間が来た。

途中、これまた豆粒のようなアザラシを観察してバスに戻った。豆粒ながら、アザラシは9匹ほど転がっていた。

 

バスに着くと、ガイドは人数を数え「あら?2人足りないわ!」などと慌て出した。

あの入り組んだトンネルで、客が迷子になっていたらコトである。慌てるのも無理はない。

ふと、終わりの時間になっても残りたそうにしていた夫婦客がいたのを思い出した。あの2人がまだ帰って来ていないのでは。

 

しかし、ここからの展開がキウイであった。

"家から来た"おじいさんが、テンパるガイドに平然と「みんないるよ」と言った。それに釣られ、他の人も「誰もいなくなってないよ。」などと言い出す。

ガイドはそれを聞くと、なんと「そうよね、きっと気のせいだわ!」と微笑み、そのままバスを発車させたのだ!

もし本当に2人残されていたら、どうするんだろう。あの夫婦がバスにいるか、怖くて確かめられなかった。

まあキウイはおおらかだから気にしないのかな。

 

適当過ぎるぜキウイ。

 

続く。

 

 

ペンギン・プレイスはこちら↓

 

ニュージーランド(ペンギンに会いたい編①)

ニュージーランド旅行記事の続き。

 

ペンギンといえば南極というのが一般的な認識だが、南極よりも多くの種類のペンギンが生息する国がある。

キウイーランドこと、ニュージーランドである。

 


New Zealand Birds Onlineによると、ニュージーランド領内には14種類ものペンギンが見られるらしい。コウテイペンギン、キングペンギン、アデリーペンギン、ジェンツーペンギン、ヒゲペンギン、イワトビペンギンフィヨルドランドペンギン、スネアーズペンギン、シュレーターペンギン、マカロニペンギン、ロイヤルペンギン、イエローアイドペンギン、コガタペンギン、ハネジロペンギンである。

ペンギンの仲間全18種のうち、実に77%をカバーするペンギン大国なのだ。

 


そんな場所に行ってペンギンを見ないのは愚か者の所業と言って間違いない。

ニュージーランドに行っておきながら「ロイヤルアルバトロスにしか会わなかったわ」「羊が多すぎて生き物はお腹いっぱいだったわ」という諸氏は心の底から悔い改めるように。諸君らは神に等しい美しい生き物を見逃したのだ。ハハハ残念だったな。

 

 

 

さて、南島に分布するのはコガタ、ハネジロの小さきペンギンたち、イエローアイドペンギン、フィヨルドランドペンギンの4種類である。

我々が行ったのは夏だったので、フィヨルドランドペンギンは既に子育てを終え去っていた。

 


というわけで、我々はイエローアイドペンギン、コガタペンギンに会いに行った。ハネジロペンギンは日程の都合で会えなかったけど、まあコガタペンギンみたいなもんだからいいや。

 

さて、今回訪れたペンギン聖地は以下の4箇所である。

  • キュリオベイ
  • ペンギンプレイス
  • オアマルブルーペンギンコロニー
  • ブッシービーチ

 


このうち、キュリオベイ、ペンギンプレイス、ブッシービーチがイエローアイドペンギンの観察ポイントである。いずれも南島、車でアクセスしやすい場所にある。

 

それでは、ニュージーランドで会ったペンギンたちについて、4回に分けて書いていこう。

まずはキュリオベイから。

 

 

キュリオベイ

千葉県でいう南房総市白浜の位置に、この聖地はある。

 

イカワのモーテルに荷物を置いて車に乗り、辿り着いたのは午後7時前。まだ日は高い。

駐車場近くに観察ポイントへの案内板があったのだが、うっかり見落とし、そこそこ広いビーチをペンギンを探して歩き回る羽目になった。

 

彷徨うこと約20分。諦めて帰ろうとしたその時、駐車場近くにPenguin Walkなる小道を見つけた。

コレがソレか!

テクテク進むとビーチに下りる階段があった。階段の踊り場には、ペンギンの写真や案内板が並んでいる。

匂う、匂うぞ!ペンギンの匂いだ!

 

途中、「ペンギンからは50m離れてね」という意の看板もあり(50mって遠くね?)、嫌な予感がしつつもカンカン下りていくと、イカついカメラやゴツい双眼鏡を抱えた人々が10数人スタンバイしていた。

んもう、ペンギンがいそうな予感プンプンである。

 

ビーチは砂浜ではなく、層状の岩でできており、ペンギンが通る場所には、立ち入り禁止のロープが引いてあった。

ロープ近くの座りやすそうな岩に陣取り、負けじとスタンバイ。ペンギン様のお出ましを待つ。

 

・・・待つ、待つ、待つ。

 

20時を過ぎても、まだ現れる気配はない。

21時になり、気温が下がって鼻の頭が冷えてくる。それでも現れない。

双眼鏡で海を見ると、何やら怪しげな影が見える。すわペンギンか!と期待すればユラユラ揺れる海藻である。昆布このやろう。

 

そうして待つうち、不安になってきた。

おかしい、ペンギンなんてその辺にいるんじゃなかったのか。本当にペンギンは来るのか。そもそも、この人たちは本当にペンギンを待っているのか。

隣のアンちゃんに「あなたが待っているのはペンギンですか?」と聞こうと思ったその時、不意にざわめきが起こった。

 

ペンギン様の登場である。

予想に反して、森の中から現れた。

ガイドブックには「エサを取りに海に出たペンギンは、夕方に巣に帰って来ます。」などと書いてあったような気がするのだが。

ペンギン様の考えは、我々のような下等生物には理解できないのだろう。よしよし、ペンギン尊いぞ。

 

さあコレがそのペンギンたちだ!!刮目して見よ!!

 


キュリオベイのペンギン

(中央あたりの白黒の動く点がペンギン、実は2羽いる。)

・・・遠い。遠過ぎる。尊いけど遠い。とうとおい。

スマホ用の望遠レンズを通してコレである。

 

しかし、後にこれでもまだ近かったのだと知る。

 

続く!

 

 

キュリオベイはこちら

 

ニュージーランド ドライブ旅行(準備編)

年末年始、貯めに貯めたマイルを注ぎ込み、ニュージーランドに行ってきた。


なぜか。野生のペンギンに会うためである。

水族館のペンギンたちも十分すぎるほどかわいいが、残念ながら目が死んでいる。野生の生き生きとしたペンギンに会いたかったのだ。


ペンギンといえば南極を思い浮かべる方が多いだろう。

しかし、実はニュージーランドには野生のペンギンが多く生息しているのである。以前、少し知り合ったニュージーランド人も「ペンギンかい?ニュージーランドではそこら辺を歩いているよ。」と嘯いていたので間違いない。

そこら辺ということは、犬猫レベルでいるに違いない。野生のかわいいペンギンを、ヒョイっと捕まえてリュックに入れられるほどの近距離で見られるのではないか!

 

そうして期待に胸をときめかせ、ニュージーランドを旅して来た。(この期待は後にJAROに相談したいレベルで裏切られることになるのだが。)

そのアレやコレやを書いていこうと思う。

今回はまず、全旅程と、ニュージーランドに行くにあたっての準備について述べたい。

 

 

全旅程

 

12月29日、成田発

成田ー(中国国際航空)ー上海ー(ニュージーランド航空)ーオークランドー(ニュージーランド航空)ークイーンズタウン


12月30日、クイーンズタウン着。テアナウへ車で移動。(以後、移動は全てレンタカー)

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12月31日、フィヨルドランド国立公園「キーサミット」をトレッキング。

夜はミルフォードサウンド・クルーズで年越し。


1月1日、インバーカーギル、ブラフを経由し、ワイカワへ。キュリオベイにてイエローアイドペンギン(YEP)観察。


1月2日、ナゲットポイントに寄りつつオタゴ半島へ。「ペンギン・プレイス」にてYEP観察。パンツが切れたので洗濯。


1月3日、ダニーデン 市街観光後、オアマルへ移動。「ブッシービーチ」にてYEP観察後、「ブルーペンギンコロニー」にてコガタペンギンを観察。


1月4日、オアマルでスチームパンク博物館によってから、クライストチャーチに移動、「クッキータイムファクトリーショップ」他


1月5日、クライストチャーチ発。

クライストチャーチー(ニュージーランド航空)ーオークランドー(中国国際航空)ー北京ー(中国国際航空)ー成田


1月6日、成田着。


以上、8泊9日、総走行距離は1,500 km超にも及んだ。運転は8割方夫である。サンキュー夫。

 

 

準備

  1. 車関係

少し前のホンダ・オデッセイのCMで使われたのが、南島のサザン・シーニック・ルートである。

こんなところ、ドライブしたら絶対気持ちいいに決まってる。そうして全て車で移動することにした。

 

  • レンタカー

オンシーズンのため、早めに日本でネット予約しておいた。

未舗装路やワインディングロードを走行することを考え、走破性の高い車を借りることにした。スバル レガシー。

保険はフルカバーで。

 

  • 国際免許

免許センターにて1ヶ月前にゲット。

国際免許は自国の免許と合わせて効力を発揮するのだが、うっかり日本の免許証を忘れそうになって焦った。

 

  • 交通ルール

ニュージーランドでの運転経験のある知人に聞いたところ、とにかく速度超過が厳しく取られるから気をつけろ、とのことであった。

外国なので交通ルールが異なるとはいえ、覚えないといけないのはランドアバウトくらい。あとは日本の応用でなんとかなる。左側通行だし。空いてるし。

 

念には念を入れて落としていったのだが、思った以上にネット環境が最悪で、んもう本当に火を噴くほどに役に立った。まさかコレにここまで頼ることになるとは。

オフラインだと交通状況がわからないのだが、道路はどこもガラガラに空いているため、全く問題なかった。

羊100匹に対して車1台見るか見ないか、くらいの勢いで空いている。(または、それくらいの勢いで羊がいる。家屋の隙間に羊、滑走路に羊、もちろん広い草原あらば羊である。)

 


情報収集

事前の情報は、主にLonely Planet南島版と、そこに掲載されたURLによって収集した。

それから一応「外務省 海外安全ホームページ」も確認した。ニュージーランドに関しては、そんなの見るまでもないのだが、習慣というか、見ないと何か気持ち悪いのである。

 


その他

・トレッキングシューズ

ニュージーランドでは、外来種の持ち込みが厳しく制限されている。アウトドアで使用した靴や道具などは、虫や種子が付着している可能性があるため、必ず検疫官に届け出なければならない。もし届け出ずにバレたら罰金400ドルである。

泥が付いていると確実に没シュートらしいので、靴底のミゾの隅々まで丁寧に洗い、さらにアルコール消毒まで行った。


SIMカード

わざわざ日本で買って行ったのに、クイーンズタウンを過ぎるとダニーデン に入るまでほとんど圏外で、全く使い物にならなかった。

電波があったとしても3Gしかないため、実質意味なし。

そういえば、空港でSIMカード売り場を見かけなかったんだよな。使えないから売ってないんだな。

 

・クジラの肉は美味いんだぜ。

我々が出国する直前に、日本はIWCを脱退した。

ニュージーランドは反捕鯨の立場を取っているため、過激派キウイに日本人とバレて「なぜ鯨を食べるのか!」と責められた時に、英語で言い逃れられるように、密かに準備をしていった。

が、幸いそんな機会は訪れなかった。


続く。

 

 

 

インド国歌の覚え方(楽譜、動画あり)

来年、デリーに少しだけ寄ることになった。

観光できるほどの時間はないので、映画館にでも行こうかと思っている。

 

インドの映画館では、上映前に全員起立での国歌斉唱が法律で定められているらしい。おそらく外国人観光客は立ってさえいれば問題ないとは思うが、やはり現地人に負けじと熱唱し、一体感を得たいところである。

 

しかし。しかしなのである。

インド国歌は非常に難しい。メロディが独特で予想を裏切る展開を見せることに加え、歌詞はこれまで触れたことのない言語で書かれている。唯一、「ジャヤヘー」を連呼するクライマックスだけは親しみやすいかもしれない。

 

そんなインド国歌を、血とカレーを吐く努力でマスターしたので、需要があるのか甚だ疑問だが、覚えるためのコツをまとめたので書き留めたい。

ただし、物事を覚えるための1番のコツは「覚えようとすること」であるので、これを読んだら魔法のように覚えられるものではということを先に断っておく。

 

それでは始めよう。

 

 

 

インド国歌の覚え方

 

Step 1 メロディを覚えよう 

 

歌詞は(なぜか)ベンガル語で書かれているため、我々日本人には呪文にしか聞こえない。そのため、先にメロディとリズムを覚えてから歌詞を覚えた方がスムーズかと思う。

下の動画は歌詞も表示されているが、まずはメロディだけを覚えればオーケー。ただし、ここで言葉の響きをなんとなく掴んでおくと、後で歌詞を覚えるのが楽になる。また、覚えようとしなくても「ジャヤヘー」だけは耳に残ると思う。

 

もし楽譜が読めるのであれば、以下の楽譜を見ながら練習すると非常にわかりやすい。

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これは、Wikipedia英語版から持ってきたものである。三段目の1〜6小節は1オクターブ上げて歌うこと。

ちなみに楽譜の1小節目に当たる部分の最初の2音は、上の動画ではなぜかメロディが違う。正しくは、3音目と同じ音を1、2音目も繰り返す。

 

 

Step 2 歌詞を覚えよう(覚えやすい部分)

 

メロディを覚えたら、いよいよ歌詞である。

とはいえ、そのまま丸暗記するのは困難なので、まずは大まかな構成を掴み、覚えやすい部分から覚えるのが効率的だ。

 

ここで、インド国歌にはロングバージョンと、そこから一部省略したショートバージョンの2種類がある。

ロングバージョンの歌詞は、ざっくり言えば以下のような構成になっている。

1. タイトル名+α+「ジャヤヘー」

2. 繰り返す部分

4. 固有名詞がたくさん出てくる部分

5. ベンガル語で何やら言っている部分

6. タイトル名の変化形+β+「ジャヤヘー」

2’. 繰り返す部分(メロディは異なる)

7. 「ジャヤヘー」を繰り返す部分

 

この中で、「5. ベンガル語で何やら言っている部分」以外は、実はそれほど難しくはない。タイトルである「ジャナガナマナ」と、いくつかの固有名詞、そして「ジャヤヘー」さえ覚えれば何とかなる。

 

そうすると、丸暗記が必要なのは5だけになる。こればっかりはゴリゴリ覚えるしかないのだが、いきなり全体を覚えようとするよりかは楽だと思う。

 

さて、一方のショートバージョンは、ロングバージョンのうち、以下の部分だけを抜き出したものである。

1. タイトル+α+「ジャヤヘー」

2. 繰り返す部分

7. 「ジャヤヘー」を繰り返す部分

 

ここには問題の5が含まれていないので簡単だ。

実際、映画館で歌われるのはロングバージョンらしいのだが、まあ同僚のインド人に擦り寄るくらいであれば、ショートバージョンでも十分だろう。

 

 

それでは、上に書いた構成とともに、歌詞(ローマ字、カタカナ)と、日本語訳を下に書く。

1〜4、6、2'の部分は、タイトルや固有名詞が、ベンガル語ではどのような言葉になっているかを意識すれば、すんなり覚えられると思う。7はまあ余裕だな。

固有名詞には、対応するWikipediaページへのリンクを貼っておいた。これを読んで理解すれば、あと覚えなければならないのは、単語が出てくる順番だけである。

 

緑文字はタイトル名とその変化形、ジャヤヘー部分は太字、固有名詞は赤文字で書いてある。

(ところで、赤色の字を「赤字」と書くのが気持ち悪いのは私だけですか)

 

1. タイトル名+α+「ジャヤヘー」

Jana-gana-mana-adhinayaka jaya he

ジャナガナマナアディナーヤカジャヤヘー

訳:汝はすべての民の心の支配者

 

2. 繰り返す部分(※)

※Bharata-bhagya-vidhata

バーラタバーギャヴィダーダ

訳:インド(ベンガル語でバーラタ)の運命の裁定者

 

----------以下、ショートバージョンでは省略----------

 

4. 固有名詞がたくさん出てくる部分

Panjaba-Sindhu-Gujarata-Maratha

パンジャーバシンドゥグジャラータマラーター

訳:パンジャーブシンドグジャラートマラーター(の民の心を)

 

Dravida-Utkala-Banga

ドラービダウトカラバンガー

訳:ドラビダ(南インドのこと)、ウトカラ(現在のオリッサ州、かつてウトカラ王国があったことから、ウトカラとも呼ばれる)、ベンガルベンガルベンガル語でバンガ)

 

Vindhya-Himachala-Yamuna-Ganga

ヴィンジャヒマーチャラヤーマナガンガ

訳:ヴィンディヤ山脈ヒマラヤ山脈(に響き)ヤムナー川ガンジス川(の奏でを混ぜ)

※この部分を地図で確認するとインド(+シレッとパキスタン)の国土を北から反時計回りに読み上げているようだ。 (そのうち画像を追加する予定)

 

5. ベンガル語で何やら言っている部分(とりあえず覚えなくて良い)

uchchala-jaladhi-taranga

ウッチャラジャラディタランガー

訳:(インド洋の)波によって歌われる。

 

Tava Subha name jage, tave subha asisa mage, gahe tava jaya-gatha.

タヴァスバナーメジャーゲ、タベスバアーシサマーゲー、ガーヘータバジャヤガーター

訳:彼らは汝の祝福を求め祈り、汝の喜びを歌う。

 

6. タイトル名の変化形+β+「ジャヤヘー」

Jana-gana-mangala-dayaka jaya he

ジャナガナマンガラダーヤカジャヤヘー

訳:人々全ての保護は汝の手の中にあり

 

2’. 繰り返す部分(メロディは異なる)

Bharata(インド)-bhagya-vidhata.

バーラタバーギャビダーダ

訳:インド(ベンガル語でバーラタ)の運命の裁定者

 

----------以上、ショートバージョンでは省略----------

 

7. 「ジャヤヘー」を繰り返す部分

Jaya he, Jaya he, Jaya he, jaya jaya jaya jaya he.

ジャヤヘー、ジャヤヘー、ジャヤヘー、ジャヤジャヤジャヤジャヤヘー

訳:勝利を、勝利を、勝利を、汝に勝利を

 

 

Step 3 歌詞を覚えよう(難しい部分)

 

 以上を覚えたら、5を覚えよう。

これに関しては、先にも述べた通り丸暗記するしかない・・・。

それができれば苦労しねえよ馬鹿野郎、という声が聞こえてきそうだ。しかし、語呂合わせを作ろうとしても、あまりに日本語と響きが違いすぎてどうにもならなかったのだ(言い訳)。 この点は、今後の課題としたい。

 

上の動画に合わせて、口が覚えるまで何度も練習しよう。

ここにたどり着くまでに、他の部分は覚えているので、最初よりも楽に歌えるようになっていると思う。

 

 

そして最後に自己保身。

この記事は、Wikipedia(日本語版、英語版)、Google翻訳対訳ページを参考にして書いている。

私自身は、インドといえばカレーとナンくらいしか知らない(つまりほとんど何も知らない)ので、間違いがあるかもしれないことはご承知おきいただければ幸い。

 

 

おまけ

ベンガル語の歌詞をGoogle翻訳に突っ込むと、何やらぶっ飛んだ訳が出てきた。

 

人 - キャプテンジョイOインド!
パンジャブ・シンドゥー・グジャラート・マラタ・ドレイヴィド・ウッカル・ベンガル
ビンドヤ・ヒマチャル・ジャムナ・ガンガウジャルジャルジャティットランガ
ハッピーの名前で恐ろしい、
ゲ・タタ・ジャヤガタ
勝利への人々の参加はああです!
喜びO、喜びO、喜びO、喜びJoy Joy Joy O

 

キャプテンジョイ!Oh!インド!

お菓子の思い出(キャトル、ガトーノア)

私は甘党である。

どれくらい甘党かというと、甘いもので酒が飲めるくらいの甘党である。

要は酒好きの甘党なので、体に悪いことこの上ない。

 

和菓子洋菓子中華菓子、羊羹からロクムまでなんでもござれ!なのだが、何かひとつだけ選ぶとすれば、クッキー系が好きである。

クッキー系とは、何もクッキーやサブレ、ガレット、ショートブレッドに限らない。タルト生地もクッキー系だし、沖縄のちんすこう、台湾のパイナップルケーキ、はたまた修道院土産でおなじみガドリエットなどなど、結局全然ひとつに絞れないのである。悩ましい。

 

そんな罪深いクッキー系お菓子の中で、どうしても忘れられない味がある。

 

それは25年ほど前のこと。

東京に出張した父が、誰に教えてもらったのか、当時話題だというお菓子を買ってきた。

時間がない中、列に並んでやっと手に入れたのだ、と自慢げに取り出したそれは、高級そうな黒い箱に入っており、いかにも大都会東京砂漠、田舎ではお目にかかれないオサレなシロモノである。

ドキドキしながら箱を開けると、上品な薄紙に包まれた茶色いお菓子が現れた。A5サイズほどの長方形の焼き菓子で、2センチ幅くらいずつ切れ目が入っている。地味な見た目だ。

母にお茶を入れてもらって、パクリと噛り付いて驚いた。あまりにおいしかったのだ。

強めに炒った胡桃を、ほろ苦いキャラメルと混ぜ、バターの香るクッキー生地で包んで焼いてある。苦味と甘味のバランスが絶妙で、田舎には絶対存在しえない、ハイカラな味であった。それまでに食べた、どんなお菓子よりも、はるかに洗練されて美味であった。

おいしいものを食べて、世界が広がる感じがすることがありますね、あのお菓子はまさに私の経験値を棒高跳びのように超えていった。

 

東京には、こんなに美味しいものがあるのか。

我ながら馬鹿馬鹿しい話だが、その時、私は大人になったら絶対東京に移り住もうと心に決めた。東京に住んで、この洒落たお菓子をお腹いっぱい食べるのだ。

父は「カトウ」という有名店で買ったと言っていた。加藤なのかKatoなのか知らないが、有名店なら、道行く人に尋ねればきっと辿りつけるだろう。

 

まだインターネットのなかった時代だ。東京は遠く、得られる情報は少なく、それ故、若干ピントのズレた憧れを18歳になるまで密かに温め続けた。

そして、大学進学とともに、期待と不安を抱いて上京した。目的は、勉学が半分、「カトウ」のお菓子が半分である。とてもじゃないが、親には言えない。

 

しかし、はるばる東京まで出てきたのに、誰に聞いても「カトウなんて聞いたことがない」と言う。父にきいても、もはや覚えてはいなかった。

それからしばらく経って、ネットが普及した時にもGoogle食べログで何度調べたが、見つけることはできなかった。カトウ、加藤、Kato、さまざまなキーワードを入れてみるが、返ってくるのは的外れな答えばかり。

そのうち「もう店を畳んでしまったのだろう」と諦めてしまった。

昔、たった一度食べたきりのお菓子など見つからなくても、東京に住む理由なんていくらでも見つけられた。

 

そうして、上京して15年以上経った。

 

何か甘いものでも買おうと、品川駅のQuatreで、可愛らしいケーキの並ぶショーケースを覗いていた。

ふと目線を上げると、あの長方形のお菓子があった。いつか夢見た「カトウ」の胡桃のお菓子である。当時は薄紙に包まれていたそれは、現代らしくポリプロピレン製の個包装になってはいたが、間違いない。ガトーノア。まさにこれだ。

 

そこで気づいたのだ。

「カトウ」ではなく「キャトル」だったのだ、と。

腹に落ちた。キャトルじゃん、お父さん発音悪すぎ。

 

すかさず2本買い、急いで家に帰って、立ったまま噛り付いた。

 

間違いない、あのお菓子だ。香ばしくてとても美味しい。

 

しかし、悲しいことに、私が思い描いていたほどには美味しくなかった。確かに美味しいのだが、私の記憶ではもっとバターが香っていたし、もっと甘さと苦味のえもいえぬハーモニーがあったのだ。

私の舌が肥えたのか、味が落ちたのか。それとも、あまりに長く夢を見過ぎたのか。

子ども時代の憧れは、手に入ってみればこんなものだ。

それでも私が東京に住む理由はいくらでも見つけられる。もはや東京に住んでないけど。