美食の都リヨン最終回と上海、残りを駆け足で
そういえば、コロナ直前の2019年末〜2020年始にかけてのリヨン&ちょっぴり上海旅行記も未完だったので(前回記事)、当時のメモをもとにこちらもサクサクっと終わらせる。
自分でも忘れているので復習すると、旅程は以下である。当時もフランスではストライキの嵐が吹き荒れていた。
12月28日 TGVでリヨンに移動、リヨン4泊
1月1日 TGVでパリに移動、パリ1泊
1月2-3日 パリCDGー上海浦東空港、上海1泊
1月4日 帰国
12月31日、リヨン
大晦日はポールボキューズ市場に向かう。野菜や果物は端の店にあるのみで、肉やチーズが主役のようである。ブレス鶏は頭ごと売っており、ちょっとギョッとする。フランスのご家庭では頭ごとの鶏も捌けるのだろうか。少ないものの魚も売られており、意外にもとても新鮮そうに見えた。
見ているだけでも楽しいが、ホテル泊のため買い物ができないのが残念である。
あやとりしている子どもも見かけた。フランスにもあやとりってあるんだな。
市場の壁にはポール・ボキューズ氏の肖像が。
昼は市場内にあるLes garçons Bouchersというレストランでタルタルを食す。サッパリしており、連日の脂に疲れた胃袋でも食べやすい。
ポールボキューズ市場を後にした我々は、路面電車で合流博物館に向かった。有人窓口が行列している一方、自動券売機がガラガラである。我々は優待だの割引だの何もないので、迷わず自動券売機でチケットを購入した。
なんかオシャレな形の博物館
日本についても展示もあったが、マニアックというか、あまり他の博物館では見ないラインナップである。きっと他の国の展示も同じような感じなのだろう。
剥製はどことなく品と色気がある。
どことなくおフランスの香りのする上品な剥製たち。
企画展は世界の帽子展とよくわからない互換可能性の展示※の二つだった。前者では、世界のカラフルな帽子が並ぶ中、日本の真っ黒な烏帽子が異彩を放っていた。
※互換可能性の展示ってなんだ?どんな展示だったか全然覚えてない。
夜はLa Maison Marieにて。
料理はあっさりしており胃に優しく、どことなく日本で食べるフレンチのような軽さと繊細さ。と思っていたら、マダム曰くシェフが日本人(※当時、今は不明)とのことである。
デザートは「見ていて気持ちいい」系の動画でお馴染みの、チョコレートの球体に熱々ソースをかけると球体が溶けて中身がコンニチワするアレである(名前を知らない)。温度が低すぎたのか、球体がなかなか溶けずに失敗。ミミャルディーズはどら焼き(のようで決してどら焼きではないモサモサの何か)であった。マダムは「日本のどら焼きよ!」と説明してくれたが、そんなマダムにぜひ日本のちゃんとしたどら焼きを食べさせてあげたい。きっと甘いものに全く興味がない人が作ったのだろう。料理が美味しかっただけに残念である。
↑失敗したデザート
↑どら焼き様の何か
ところで我々の隣の席はお揃いの指輪を左薬指にはめたゲイカップルで、指を絡ませたり、お互いが好きでたまらない!という熱い雰囲気がこちらにまで漂ってくる。日本ではこんなに堂々と同性がカップルとして振る舞うのは難しいだろう。さすがはフランス、進んでいる。
ホテルに戻り、年明けの瞬間を迎えると、急に外からクラクションと爆竹が鳴り響いた。ものすごい騒ぎ。テレビをつけるとピンク色の服を着たはるな愛みたいな感じのニコニコのお姉さんがいっぱい出てる。ムーランルージュの踊り子らしい。歌とダンスで年越しするのは、どこの国も同じなんだな。
1月1日、パリ
ここからパリに向けて出発である。チェックアウト時、フロントスタッフが「マダムにプレゼント」と香り付きの石をくれた。スーッとするハーブっぽい感じの何やら虫除けになりそうな匂いである。帰ったらタンスにでも入れておこう。
※と当時は思ったらしいのだが、現在タンスには入っておらずら捨てたと思われる。
幸い、TGVは間引かれることもなく定時で発車した。運が良い。車内では母娘がサラダなどの軽い昼食をとっていた。そんな食事ですらデザートにチョコレートムースを欠かさないあたりにフランス人の真髄を見た。
TGVの座席。普通に綺麗だった。
せっかくのパリなのに食欲が湧かず、昼はクレープ、夜はサーモンソテーなどと言う軟弱な食事で誤魔化した。ストで地下鉄が一部運休になっていたり、美術館は激混みで断念したり、歩き回っただけで何もできなかった。
こんな風に閉鎖されてたりした。
夫が食べていた肉。
サーモンソテーなら軽いと思ったら、添えてある米が重かった。
1月2日、パリ
※出発前にハンバーガーを食べていたらしい。他に何をしたのか覚えていない。
フランスのチェーン店、ビッグ・フェルナンド(発音合ってる?)のバジルバーガー
1月3日、上海
上海ではあたりをつけていたスープ屋が新世界城からなくなっていた。ウロウロした挙句、近くにあった火鍋屋※へ。英語が通じないので、周りを見つつ何とかする。
※店の名前はメモしていなかった。ググっても火鍋屋が多すぎて見つけられず。
スープを選んで、自分で好きな具を取ってくるスタイル。タレもお好みで。我々はトマトと普通の火鍋のスープにした。串が刺さった本数が一本一元で、皿に乗った具は少し高級。辛いけど美味しい。美味しいけど辛い。ダラダラ汗をかきながら必死で食べていたら、フランスで脂っこいものを食べすぎて調子が悪かったのがスッキリした。っぱコレだよ!
このパンダのビールが美味しくて、たくさん飲んだらトイレに行きたくなったのだ(後述)
しかし店内にはトイレがなく、店員の指示に従い隣の雑居ビルのトイレを拝借した。入口は半分シャッターが降りており、はたして中も薄暗く、スナックやらキャバクラのような店が並んでいる。怪しい雰囲気がムンムンに漂っていたがホテルまで我慢できそうもない。止まっているエスカレーターを3階まで登り、安っぽいドレスを着たお姉ちゃんにじろじろ見られながら一段と薄暗い洗手間に入った。
中には個室が並んでおり、案外普通だと思ったのも束の間、戸には鍵がなく穴が開いているのみ。壊れているのかと思い、一つ隣に入ってみたが同じである。諦めてよく見れば、便座がなく、水路が切ってあるのみである。床は濡れており、滑らないように最新の注意を払ってしゃがみ、用を足す。もちろん紙など設置されてないので、1枚だけ残った虎の子のTempoで何とかするしかない。
と、隣の個室に現地人(推定)が入ってきて勢いよく小便をし始めた。そこでようやく気づいたのだが、トイレと言っても、一本の水路を個室で仕切っているだけ。つまり水路は全個室で共用で、上流から下流に向かって絶えず水が流れているため、上流で放出されたソレが下流の個室も通ってバイバイするのである。そして、迂闊なことに現地人の個室が私の上流である。なかなかハードだぜ…などと考えていると、上流の現地人はウンコまでしやがった。私の股の下を通っていく現地人のウンコ。そこで心が折れ、途中で尿意が引っ込んだ。そこから急いでホテルに戻って残りを放尿した。
日本のトイレ環境は本当に素晴らしいなぁ。
ホテルに戻り、震える手で夫に図解