ドイツ編(ベルリン 、ケルン)
ドイツ編の続き。
まずはカフェで朝食を
ベルリン2日目の朝は、ホテル近くの「アインシュタインカフェ」にて。Breakfast of Viennaセット(9.5ユーロ)にカフェ・オ・レを追加。
「ウィーンの朝食」セットには、半熟ゆで卵2個、山盛りのパン、ジャム(苺とアプリコット)、バターがついてくる。中でもゆで卵が出色であった。半熟卵2個をグラスに2個重ねて詰め、上から猫草様の謎の植物の小口切りを散らしてある。シンプルに塩胡椒でいただいたのだが、トロトロの黄身とプルプルの白身に謎の植物の青臭さがアクセントとなり、「卵の本気」を見る思いである。パンやバターはヨーロッパなりに旨い。
パンが山盛り。ベルリンでウィーンの朝食とはこれいかに。
カフェから出ると、朝から「ビクトリー!」と雄叫びをあげるガチムチの男たちに遭遇した。贔屓のサッカーチームが優勝でもしたのか知らないが、朝から景気の良い輩だ。彼らの影にはきっと朝から負けて悔しがる連中もいるに違いない。
フンボルト博物館へ
朝食の後は路面電車でフンボルト博物館に向かった。フンボルトペンギン やフンボルト海流のフンボルトである。
フンボルト博物館外観。けっこう古い。
入るとまず、恐竜の化石が目を引く。恐竜ガチキッズがたくさん群がっていた。
これ以外にもたくさんあった。ものすごい大きい。
始祖鳥の化石も有名である。こんなグシャッと潰れて干からびた痕跡がなぜ太古の鳥の化石だとわかったのだろう。もちろん疑っているわけではないのだが、2次元に押し込められた生物の骨は、鳥と言われれば鳥に見えるが、トカゲと言われればトカゲにも見える。まあ、素人には全くわからない奥深い世界があるのだろう(ざっくり)。
始祖鳥。蝶のように舞い、蜂のように刺す。
フンボルト博物館で最も感動したのは、剥製の出来の良さである。毛皮は艶やかで、ポージングも生き生きとしており、今にもガラスケースを蹴り破って飛び出してきそうなほどであった。
剥製を作るにおいてもドイッチュマイスターの腕は確かなのである。
ヒゲペンギン 。まるで空中を泳いでいるかのよう。かわいい!
悲しげな目のコアラ。尻にオジサンを映し出し、哀愁を漂わせている。
獲物を貪るキツネ。なんで動かないんだっけ?と混乱するほどの高いクオリティ。
オウムに飛びつくヒョウ。時間をそのまま切り取ってきたかのような躍動感。
この素晴らしさは、他の国のネコ科の剥製と比較するのがわかりやすいだろう。
フンボルト博物館のライオンの剥製は、威風堂々としつつダルそうな、まさにテレビの動物番組で見るライオンそのものである。ジャガーもしなやかで迫力がある。
フンボルト博物館のライオンの剥製
アメリカの剥製はディズニー臭いというか、エンタメ寄りの仕上がり。嘘くさい動きで、何やら景気の良いことを話し出しそうである。
ニューヨーク自然史博物館の虎の剥製。
一方ロシアは、いつ作られたのかは知らないが、どことなくソ連品質である。なんとなく、虎など見たこともない同志が偉大なる指導者の計画に従い見様見真似で作ったという感じがする。
モスクワ自然史博物館の虎の剥製。
その他、フンボルト博物館ではペンちゃんが無残にぶった斬られていたり、
なんと酷いことを!!(ペンギンは実は足が長いんです的なアレかな?)
人骨模型の手足が日本では見かけないレベルで長かったり、
スタイル抜群。
ホルマリン漬けがドイツ式に埃一つないガラス棚に整然と並んでいたり、
こんなところでもドイツの5Sは健在。
中でも魚のホルマリン漬けが美味しそうだったり、
出国以来、全然魚食べてなかったんで・・・。
コウテイペンギンの赤ちゃんの剥製が可愛すぎたり(でも殺すのは可哀そう)、まあ色々楽しい博物館である。
かわいそうかわいい!!!
そして西側百貨店へ
その後、西側百貨店といういかにもな名を持つKDW(Kaufhaus des Westens)前まで移動。屋台でカリーブルストとビールを摂取した後、KDW最上階にあるカフェテリアで焼いた肉と芋のスープを摂取した。夫はホワイトアスパラを食べたのだが、提供の列に並んでいた際、同じく順番待ちの現地のおじさんに「ウム、貴君も良い選択である!」と褒められたらしい。カフェテリアの一階下が食料品フロアとなっており、売っていた肉が見るからに質が良く、とてもおいしそうだった。
その後チェックポイントチャーリーを通りかかり、星条旗を持ったコスプレイヤーを遠巻きに見る。遠巻きに、というのは近づいて写真を撮ったら金せびられそうだから。
星条旗を持っているけど、きっとドイツ人。
その足でドイツ歴史博物館へ。
ここではドイツの歴史に沿って様々な展示があったのだが、途中で飽きてしまい、展示をスキップしようと順路を逆行したら係員に注意された。順路といっても壁に控えめに矢印が書いてあるだけの広々とした空間を逆方向に歩いただけである。ドイツ人がルールに厳しいというのはどうも本当らしい。まもなく閉館時間になり、一番興味のあった近現代コーナーは大急ぎで通り過ぎなければならなかった。
DDR博物館
ドイツ歴史博物館の閉館後もまだ時間はあったため、DDR博物館に入った。ご存知だろうが、DDRとはドイツ民主共和国(Deutsche Demokratische Republik)の略で、いわゆる旧東ドイツである。
ここでは旧東ドイツの日用品や当時のニュースがキャッチーな感じでまとまっており、当時の一般家庭の部屋の再現や秘密警察の盗聴システムなどが見られる。それほど反共のニオイは強くなく「東ってこんなんだったんだよねアハハハ」的な軽いノリなのが意外であった。中でも「東ドイツあるあるクイズ」らしき展示で年配の方々が異様に盛り上がっていたのだが、何がそんなにおもしろいのかサッパリわからなかった。
売店で絵葉書をゲットしてる外に出た。郵便局にある切手の自販機で切手を貼り、投函。この自販機でなかなか苦労したのだが、どうやって解決したのか覚えていない。何ユーロ札しか使えないとか、そんなようなものだった気がする。
ソ連の宇宙飛行士(ガガーリンっぽい)を出迎えるベルリンのクマちゃん
そこからテレビ塔、世界時計などを見てホテルに戻った。路上では、嬉しそうに缶ビールを飲んでいるオジサンが散見された。ドイツは路上飲酒は違法じゃないらしい。それにしてもドイツのビール好きは本物だ。ビールを飲んでいる人はみんなニコニコしている。飲酒に福祉のニオイがないのは幸せな証拠である。
テレビ塔。なんとなくUFO呼べそう。
世界時計。東京よりもソウルよりも平壌が上に書かれているあたりはアレだな。
さーて今日の夜ごはんは?
この日の夜は駅前で買ってきたケバブである。中の肉はナニモノかのすり身を固めて焼いてスライスした正真正銘の謎肉だった。ボリュームがあってコレはコレで旨かったが、アレは何肉だったんだろう。鳥と何かを混ぜたような味ではあったが。
謎肉ケバブ。悔しいことに美味い。
翌日はケルンに向かいますよ。
翌朝、インターシティエクスプレスでケルンに向かう。駅で朝食のパンを買いたかったのだが、パン屋は長蛇の列であり、かわりに併設のお菓子屋さんでケーキを買った。結果としてケーキを入手してウッキウキである。購入したのはアプフェルクーヒェン、イチゴのタルト、エクレアのようなサクサクのパイの三種類。店員は注文を聞くとそれらをボール紙に手際よく乗せていき、油紙でくるくると包んだ。日本で見られる紙箱より持ちづらいが、ゴミが少なくて良い。
パンがなければお菓子を食べれば良いじゃない!
この持ちづらい紙包を捧げ持ち、潰したり落としたりしないよう注意してプラットフォームに上ると、どうも雰囲気がおかしい(お菓子だけに)。
なんと我々が乗るはずだった最新鋭のICEは、故障だかなんだかで超オンボロの機材に変更になっていたのだ。年季の入ったシートはクッションが潰れてベコベコになっており、トイレもちょっとここに書けないくらい汚かった。残念だ。この日こそは食堂車でビールを飲もうと思っていたのに。ションボリしてしまい、あんなにウッキウキしたケーキでもテンションは戻らなかった。ケーキの写真も撮り忘れた。美味しかったのに!
その時、元気に「ハロー!」と熊のような大男が現れた。乗務員がHARIBOをサービスで配っているのだ。「オンボロでごめんね、みんな大好きHARIBOをあげるよ!」と言わんばかりに籠のHARIBOを勧められたが、それまでの自分のテンションとの差について行けずに混乱し、つい断ってしまった。すると「せっかくのHARIBOなのにいらないのかい?」とでも言いたげな悲しそうな表情で熊男は去って行った。
気を取り直してケルン観光
不貞寝して起きるとそこはケルンであった。
ケルン大聖堂は駅前にあってお手軽である。入場無料。外壁の一部補修中だったのだが、雰囲気を壊さないように補修中部分には実際のケルン大聖堂外壁を再現した絵のついたネットがかかっていた。今回の旅で何度か見かけたが、これはけっこう良いと思う。せっかく訪れた観光名所が補修中だとガッカリするが、これだと目を細めれば補修中であることも気にならない。
これがケルン大聖堂の内部である。天井が非常に高く、それがえもいえぬ神々しい空間を作り出している。
すごい建築技術。
そして、ケルンといえばケルシュである。ケルシュとはケルンで作られる軽いビールで、日本のワンコそばのようにおかわりを前提として飲む。おつまみに「メット」という生の豚肉(!)のミンチを乗せたトーストや、再びシュニッツェル等をいただく。
ケルシュ。苦味が少なくアルコールも薄いので、カパカパ飲めてしまう。
手で隠しているのは、写真を撮る前に齧り付いてしまったから。
シュニッツェル。ここでもやはり肉と芋。
ケルン名物、「天と地」という仰々しい名の芋と肉。黒いのは血のソーセージ。
すっかり満腹になった我々は、腹ごなしに散歩のつもりが何故かデザートにカフェでケーキを食べ、罪悪感には気づかないフリをしてベルリン名物「ベルリナー」を購入した(ケルンで)。ベルリナーはジャムの入った丸いドーナツに砂糖をビッシリとまぶしたもので、甘いもの耐性の低い方々は一口で気が遠くなるであろう。私は甘党なので美味しくいただいた。
そしてタリスでパリへ。
赤い高速鉄道、タリスで向かうのは、いよいよ最終目的地のパリである。たまたま隣の席には日本人家族が座っていたのだが、DQNというかモンスターというか、ものすごい地雷臭が漂っていたので目を合わせないようにした。詳細は書かないが、「日本人のマナーは素晴らしい」という海外の反応を騙った自己満足をよく聞く一方、「マナーの悪い日本人」というのも本当にたくさんいるのである。
次回、最終回パリ編へと続く!
おまけ。
それにしてもドイツで思ったのは「浦沢直樹って絵うまいんだな。」ということである。なんのことかわからない方々もいるだろうから説明すると、20年ほど前、浦沢氏による『Monster』という漫画があった。この漫画にはとにかくドイツ人がたくさん出てくるのだが、ドイツの人々は皆この登場人物によく似ていた。人気漫画家に対して失礼だろうが、やっぱすげえ絵うまいんだな。
アムステルダム、ベルリン
ユーロスターのトラブルにより、ロッテルダムでインターシティに乗り換え、アムステルダム入りした我々の目的はクロケットの自販機である。説明するまでもないが、クロケットというのはまあ概ねコロッケのようなものと言ってよかろう。アムステルダム中央駅構内には、このクロケットの自販機があるのだ。
クロケットの自販機は、一見下駄箱のようである。お金を入れ、好きな扉を開いて紙に包まれたクロケットを取り出す。この自販機の写真を撮っていないのが悔やまれるが、関東あたりの田舎でよく見かける卵の自販機と同じシステムである。いや関東以外にもあるんだろうけど。
世界中の自販機ファンがこれを目当てにアムステルダムを訪れるという。知らんけど。
思った以上にホカホカのクロケットをポケットに入れて乗り換えの電車を待った。
ビーフのクロケット。平たく言えばクリームコロッケである。塩気がキツいが旨い。もっと食べたい!!
オランダ人には怒られそうだが、今回のアムステルダム観光は以上である。
あとは有料トイレに入ったり、売店でストロープワッフルを買ったり、外でタバコを吸い(夫が)、吸い殻がフルヘッヘンドして薄ら発煙している(マッチ1本火事の元!)ゴミ箱に吸い殻をねじ込んだり、電車の到着が待ちきれずに再び有料トイレで用を足したりしただけである。
アムス駅はトイレが少なく、しかも全て有料だったため、アムスで1番金を落としたのは有料トイレではなかったかと思われる。
そういえば、通行人の身長がやたらと高かった。
アムステルダムの次は、再びインターシティでまずはハノーファーまで向かう。
蘭独国境を越えると、「ウェルカム・トゥー・ドイッチュラント!」という英独チャンポンの放送が流れた。ジャーマニーではなくドイッチュラントというあたりに何かのこだわりを感じる。
オランダからドイツ国境を越えた途端、急激に家々の手入れが行き届き出すのが興味深い。街も清潔で、農家の納屋のようなヨレヨレボロボロになりがちな建物すらビシッと角が立っている。
ハノーファーでは乗り換えるのみで、今度はインターシティエクスプレス、略してICEに乗り換えた。
ICEには食堂車がついており、そこでビールを飲むのを楽しみにしていたのだが、ドイツ人のオッサンやらオジイサンやらで足の踏み場もないほど混んでいた。皆ニコニコしながらビールを飲みまくっている。いやあ、ドイツ人て本当にビール好きなんだな。
仕方なしに瓶ビールを買い、栓を抜いてもらって席に戻って飲んだ。
ビールを飲むと、疲れて寝てしまった。気づけば外は暗く、まもなくベルリン駅のチリ一つないホームに滑り込んだ。
ベルリン駅は、オープンな階層構造の建物で、さりげなくカリーブルストが売られていたりする。日本含め、これまで訪れたどの都市よりも整理整頓清掃清潔躾が行き届いていた。
ベルリン駅からブランデンブルク駅までは地下鉄に乗り、そこから宿まで歩いて向かった。
この辺りは東ベルリンであった土地である。ロシア大使館やらアエロフロートやらが並んでおり、分割統治時代の息吹が感じられる。
ベルリンの宿はウェスティン・グランド・ベルリン。古いながらも5Sが徹底された安心感と居心地の良さがある。
ロビーは上層階まで吹き抜けになっており、上から下まで眺めているだけで結構時間が潰せる。設計は日本の鹿島建設。
階層構造フェチにはたまらない円形の吹き抜け。音の響き方が独特であった。
晩ごはんは近くのビアパブにて、カリーブルストと子牛のシュニッツェル。カリーブルストは、上のカレー粉が上品で、ケチャップが少し辛味がある。大人の味でビールに良く合う。シュニッツェルもう旨いが、まあ牛カツだな。パン粉が細かいので、見た目よりもあっさりしている。
シャツがシワシワなのは乾燥機で乱暴に乾かしたから。
前日のステーキフリットに続き「肉と芋」のみの食事である(フランスに着くまでは基本コレが続く)。来る前は芋が主食だと飽きそうだと思っていたのだが、案外飽きない。そして割と何にでも合う。主食として優秀である。
次の芋と肉に続く。
ユーロスター(セントパンクラス、アムステルダム )
前回、我々がわざわざヘルシンキからロンドンに渡り、1泊した理由は、ユーロスターに乗るためであった。
言うまでもないことだが、ユーロスターはグレート・ブリテン島とヨーロッパ亜大陸にまたがる英仏海峡トンネルを最高時速300キロで駆け抜ける国際列車である。
海底トンネルにはロマンがある。水面に浮かんで波に揺られる無力な船に乗ることなく(船酔いするんですよワタクシ)、海峡の底、つまり安定した地面を歩くなり走るなりして向こう岸に渡れるなんて、現代文明万歳。それだけで興奮するものがある。
1980年代に生まれた私は、成長とともに青函トンネル開通、件の英仏海峡トンネル開通、東京湾アクアトンネル開通、ボスポラス海峡トンネル開通のニュースにリアルタイムで接し、そのたびに是非渡りたいと思っていた。いつかユーロスターにも乗ってみたいと思い続けてきたのだ。
そんなわけで、ユーロスターである。
セントパンクラス駅のマークス&スペンサーでサンドイッチとミルクセーキ、クッキーを購入し、ユーロスターのセキュリティチェックに並ぶ。かなり混んでいるのだが、出発時間の近い列車に乗る人は入り口により近い場所から列に割り込むことができる合理的システムなので安心だ。
セキュリティチェックの後はパスポートコントロールである。
シェンゲン協定外のイギリスから協定内に入るため、EU内の移動であっても出国・入国審査が必要である。入国審査は対岸のフランスの管轄である。電車の絵が描かれた可愛らしいスタンプを適当に開いたページに豪快に押してくれた。
これでイギリスにいながら手続き上は対岸のフランスに入国していることになっている。愉快である。
時間までは、ベンチでサンドイッチを食べたりミルクセーキを飲んだり、トイレに行ったりして過ごした。トイレは一般的なJR駅のトイレくらいの清潔さである。潔癖でなければ問題ないのだが、いかんせん薄暗いので謎の場末感が漂う。(眩しいんでしょ、わかってますよ)
さて、これがロンドン発アムステルダム行きのユーロスターである。(今回はじっくり写真を撮る暇があった。)
暇はあったのだが、しかし、何故かこれ1枚しか写真を撮っていなかった。何故なのか。
ロンドンを発った我らがユーロスターはジワジワと速度を上げ、イングランドの片田舎を222キロで駆け抜け、英仏海峡トンネルを259キロで疾走した。(速度がモニターに表示されるのだ)
散々萌えると言っておきながら、海底トンネルに入ると外は暗いし、まっすぐ東に向かうだけである。案外無感動。地図で見ていた方が興奮したくらいである。
欧州ノ星という相撲取りのような名の列車は、なんの盛り上がりもないまま大陸に乗り上げ、その後驚きの334キロまで加速し、まさに順調そのものである。
我々も、心底油断した。あとはアムスでドイツ国鉄に乗り換えて、ベルリンのホテルで寝るだけだ。
「いやぁー、快適快適、まさに順調そのものですなぁ。」
「インドとロシアを過ぎれば楽勝ですなぁ。」
トラブルがヒタヒタと近づいてくるのにも気づかずに。
最初の兆候は、コンセントだった。充電器を差しているのに、iPhoneに雷マークがつかない。
そして、ブリュッセルを超えたあたりで突然消灯した。
しばらくすると「不具合のため、照明が消えております。現在不具合箇所を点検しております。」とアナウンスが入った。割に聞き取りやすい英語である。
よく知らないが、照明は走行系とは関係ないだろうから、問題ないだろう。そうタカを括っていた。
そのうち、見るからに速度が落ちてきた。再びアナウンスが入る。
「電気系統の故障のため、速度を落として運転しております。」
まあ、こんなことは東海道新幹線でだって経験がある。夜の品川〜東京間を高架上の真っ暗な車内から見るのはオツであった。
そうしてロッテルダムにつくと、そのまま修理し、修理が完了次第発車するというアナウンスが入った。まあすぐ動くだろう。ここでも我々はまだ特に気にせず待っていた。
しかし、待てど暮らせど動かない。
車内放送は「修理中です。あと10分ほどかかります。」と繰り返すだけである。そのうち車内がざわつき出した。席を立ち、辺りを忙しなく動き回る人もいた。
それでも我々は呑気に座っていた。
「修理完了にはあと20分ほどかかります。お急ぎの方は13番線のインターシティにお乗り換えください」その放送が入ると、立っていた人々は一斉に列車から降り始めた。
それでも我々は、乗り換える気にはなれなかった。一つには、せっかく憧れのユーロスターに乗っているのだから最後まで乗りたいという気持ちがあった。次の乗り換えにはまだ時間的な予約があったし、20分程度の待ち時間であれば、重い荷物を持って階段を上り下りするのも億劫だった。20分で終わる確証などなかったのに。
今思えばあれが正常性バイアスというものだったのだろう。
乗り換える人の波がひと段落する頃、再度アナウンスが入った。
「修理完了の目処が立ちましたので、あと30分で発車します。その後もアムステルダムまでは1時間ほどかかる見込みです。」
ロッテルダム〜アムステルダム間は60キロである。つまり修理完了しても時速60キロでしか走れない。ロシアの爆走タクシーの半分の速度である。
さすがに馬鹿馬鹿しくなって電車を降り、13番線に向かって走った。火事場の馬鹿力とはああいう状態を指すのだろう、信じられない速度で階段を駆け上り、そして駆け下りた。
そして無事、発車直前のインターシティに滑り込むことができた。
どんなに順調に見えても、油断してはいけない。
そして、少しでも違和感があれば、脱出を検討しなければならない。
固く誓った我々であった。(しかし、すぐにまた油断した。)
続く。
ロンドン(フォートナム&メイソン、ステーキフリット)
前回、ようやくロンドンにたどり着いた。
わざわざロンドンくんだりまで飛んだ目的は、ユーロスター乗車であった。ユーロスターの始発駅セントパンクラスに向け、まずは空港からヒースロー・エクスプレスでパディントンに移動、次いパディントンからセントパンクラスまでUberを使用した。
ヒースロー・エクスプレスは正価だとバカ高いのだが、事前購入だと半額くらいで入手できる。車中は薄暗く、どことなく香港のエアポートエクスプレスに似ているように思うが、気のせいかもしれない。
さて、パディントンからのUberドライバーは、陽気な雰囲気のオジサンである。陽気なのは良いとして、一般にセンシティブとされる質問を遠慮なくぶっ込んでくるので油断ならない。
「君たちは夫婦なのに、なぜ子どもがいないんだい?」くらいはまあ良いとして「宗教はなんだい?」と聞かれた時にはさすがに面食らった。
西洋社会では宗教を聞くのはタブーだと思っていたのだが、不思議の国の二ポーンへの好奇心が勝ったのだろうか。そもそも、センシティビティ以前に日本の宗教というのは神仏習合だの分離令だの、日本語ですら説明し切らない難問であって、日本をよく知らない相手にそれを理解してもらうのは100%無理である(しかも英語で)。仕方なしに「変に聞こえるかもしれないけど、仏教とシントーっていう宗教の2つだよ」と答えたが、やはり納得できなかったらしく「それは変だね」とだけ答えると静かになった。まあ、悪い人ではないのだろう。
そうこうするうちに宿に着いた。セントパンクラス駅徒歩5分のサービスアパートメントである。4階建ての伝統的な石造りのアパートで、エレベーターなど付いていない。
我々の部屋はよりにもよって最上階であった。ヒーヒー言いながら荷物を運び上げると、我々には重大なミッションが待っている。洗濯である。
洗濯室は、これまたよりにもよって地下にある。ゴミ袋に満杯の洗濯物を持って階段を降り、洗剤を忘れてもう一往復したりして、洗濯機をセットするともう部屋に戻るのが億劫になる。
そうだ、洗濯が終わるまでビールでも飲みに行こう。
ゴミ袋をポケットに詰め、我々は駅前のパブに出かけた。
喉も乾いており、もはやあまり覚えていないが、おいしくグビグビ飲んだ記憶がある。メモを見ると「The Easton flye、ポップヘッド、フラーESB、9.8ポンド」と書いてある。そういうものを飲んだらしい。
店内は混み合って活気があり、トイレも清潔。斜め向かいにオタクとオタサーの姫みたいな日本人カップルがいたのが気になった。
手前のやつがフラーESBでしょうな。
ビールを2杯ずつ飲むと、そこそこ良い時間である。アパートに戻り、洗濯物を乾燥機にかけると今度は駅にお茶に出かけた。
お目当てはそう、フォートナム&メイソンのクリームティーである。
セントパンクラス駅。2008年11月13日には下着姿の116人が本駅に集まり、「パンツ姿で公共の場所に集まった人数」のギネス記録を更新した由緒正しい駅である。
さすがはフォートナム&メイソン、ショップもイートインも大繁盛である。最初は満席で断られたのだが、よく見るとテラス席が空いており、交渉してみたら案外簡単に座らせてくれた。
お茶を選び、スコーンを2人分注文したはずが、出てきたのはスコーンが2つ乗った皿が一つだけ。バカみたいな話だが、うっかり2 sconesと頼んでしまったらしい。なんだか昭和の海外旅行失敗談のような話である。ウエイトレスに説明すると、申し訳なさそうにもう一皿持ってきてくれた。ええ人や!
言わずもがな、スコーンはサクサクでグルテンが全く出ておらず、大英帝国の底力を感じる美味さであった。女王陛下万歳!
ス、スコーン、フタツ、クダサイ。
ビールも飲んで、オヤツを食べたらあとは晩飯である。アパートに戻って乾燥機から洗濯物を取り込んだらレストランへゴー。
バスで向かおうとするも、バス停が見つけられず(Googleマップはバス停が密集してると本当にわかりづらい)、結局Uberを呼ぶ羽目に。
それでも予約の時間を30分も過ぎてしまったのだが、精一杯悲しそうな顔をして「遅れてごめんなさい!まだ大丈夫ですか?」とウエイトレスのお姉さんに聞くと「いらっしゃい!待ってたわ!」とニッコリ笑い、快く席に案内してくれた。ええ人や!
我々が入ったのは、メニューがステーキフリットだけの硬派なパリのレストランのロンドン支店、Le Relais de Venise L'Entrecoteである。
最初にチーズとクルミの乗ったグリーンサラダ、パンが出てくるので、ワインをチビチビやりつつ肉を待つ。(写真なし)
ここの特徴はステーキと山盛りのフレンチフライが半分ずつ、2回に分けて出てくることで、1回目を食べている間、残りの半分はロウソクで保温しておいてくれる。そのため、最後までホカホカのまま頂けるのだ。2回目は肉に火が通るので、レアで頼むのがオススメですぞ。
ソースはマスタードに加えてクミンか何かのスパイスが入っていて、たまらなく芋に合う。いや、もちろん肉にも合うのだが。
少食な日本人女性であれば1回戦で白旗を上げそうな大量の芋と肉。芋は一回あたりマックフライポテトMサイズくらいある。
デザートはクレームプリュレ。甘すぎず素朴な味でうまい。
BBAはついスプーンを掲げて「アメリの好きなこと(古)」をやってしまうのだよ。
朝にサンクトペテルブルクを出て、ヘンシンキを経てロンドンへ。
そうして我々の長い一日は更けて行くのであった。
続く。
サンクトペテルブルク〜ヘルシンキ〜ロンドン
ロシア編の続き。
GWの旅行記事がまだ終わらないのだが、年末年始も近づいてきたことだし、もう少しスピードアップしよう・・・。
さて、楽しかったサンクトペテルブルクの日々も終わりを告げ、旅立つときがきた。(滞在たったの三日間だけども。)
次なる目的地はヘルシンキである。しかし、目的地と言いながらもヘルシンキ自体は目的ではない。
目的は、そう、ヘルシンキとロシアを結ぶ高速鉄道、アレグロである。
このアレグロ、国境の前後で席に座ったまま入国審査を受けることができる「世界の車窓から」に出てきそうな電車である。島国に生まれ育った我々としては、陸の国境越えには昔から強く憧れていたのだ。
出発の朝、ホテルから駅まではGettタクシーを呼んだ。
普段は爆走タクシーの癖に、こういう時に限ってドライバーがやたら安全運転である。歩行者用信号が変わったからって、車道の信号が変わる前から減速するのはいかがなものか。黄色にもなっていないのに!さらに30km程度でチンタラ走る路面清掃車に道を塞がれ時間をロスした上に、右折と左折を間違えやがった!
そうしてやっと駅に着いたのは出発5分前。窓口のオッチャンが爆速でチェックインを済ませてくれた。
キャリーバッグの車輪が浮くほど全力疾走しながら車両に乗り込み、席を見つけると同時に発車した。定刻通り。
本当にギリギリであった。
我々が乗ったのは1等席である。座席は2列1列。同じ車輪には、他に日本人グループが1組いた。やはり海外に出ている日本人が多い。
アレグロ。この写真はヘルシンキ駅だけども。(写真撮る暇なかったからな)
アレグロでは軽食が出る。スモークサーモンとヨーグルト、ライスプディングを小麦粉の生地で包んだ「カレリアンピーラッカ」、そして飲み物である。ちなみにコーヒーは飲み放題。トイレは割と綺麗である。
軽食が北欧的オシャレ。カレリアンピーラッカは、すごい炭水化物の味。
食事をとり、のんびりしているとむっつりした顔の女性がやってきて出国審査が始まった。パスポートを見せると、特にやりとりもなく無感動にスタンプを押して去っていった。
これにより、手続き上はどこの国にもいない状態となった。陸上にいるのに!大陸すげえ。
それからアレグロは白樺の森を超え、北国らしい寒々とした田舎を駆け抜ける。白樺アレルギーなのか、途中から鼻水が止まらない。
たまたま夫が持っていた(グッジョブ)花粉症の薬を飲み、しばらくすると入国審査が始まった。
今度はガチむちの陽気な男性である。しかし、腰に警棒を吊るしており、妙な緊張感があったが、案外あっけなく「順調すぎてつまらないね」などと軽口を叩きながらヘルシンキに着いた。(フラグである)
電車を降り、駅でヘルシンキ空港までの切符を買おうとするも、どこで買えばいいのかわからない。券売機はたくさんあるのだが、ヘルシンキ空港に行く電車のチケットは売っていないらしい。みどりの窓口のような場所に行くと「ここではそのチケットは扱っていません」という。
インフォメーションに行き、やっと「みどりの窓口を出たところにあるキオスクで買えばいい」ということがわかった。
しばらく時間があったので、駅を出て辺りを散歩していると、ドナルドダックのような白い帽子をかぶった老若男女を多く見かけた。少し黄ばんでいたり、ぼろぼろだったり、皆年季が入っている。
後で調べたところによると、この帽子は高校卒業の時にもらうもので、毎年5/1「Vappu」という祝日にこの帽子をかぶるんだそうだ。そうして学生気分に戻り、前日の夕方からガンガンに酒を飲む奇習があるらしい。そこらへんにやたらと嘔吐物が撒き散らされているわけだ!!油断すると電柱やフェンスの根本に広がっているのである。帽子をかぶったいい大人がはしゃぎすぎ、電柱に手をついて嘔吐する情景がありありと浮かぶ。反省だけなら猿でもできる(古)
ところで私は海外から絵葉書を出すのが好きである。駅のすぐ隣に郵便局があるので、絵葉書と切手を買いに行った。事前リサーチによると、郵便局のショップでは可愛いムーミンの絵葉書が売っているのだ。
しかし、とても楽しみにしていたのにメーデーだかVappuだかのためショップは閉まっていた。切手の自販機は見つけたのだが、絵葉書がなければどうしようもない。残念だが諦めるしかない。
気晴らしに、素敵オヤツでも入手しようと、駅近くのコンビニ「R kioski」に入ったときである。
ムーミンの絵葉書が売っていたのである!レジの北欧人っぽい長身のお姉さんに聞いてみると、切手?オフコース売っているわ、という。
イソイソと絵葉書と切手を買い、イートインコーナーでコリコリと書きつけ、先ほどの郵便局前のポストに投函した。切手もムーミンで可愛い。
ミッション完了!満足である。
ムーミンの絵葉書。いろんなキャラクターが描いてあってお得感がある。
駅構内の売店でカフェラテとシナモンロールを購入し、エアポートエクスプレスに乗り込んだ。トイレはゲロもなく綺麗。シナモンロールはまあ普通に美味しい。日本にあるものと違って、それほど甘ったるくなく、ロールパンっぽい感じ。コーヒーによく合う。
シナモンロール!上にアイシングがかかっていないのがポイント。
北欧デザインのヘルシンキ空港に着き、ブリティッシュエアウェイズのカウンターに並んだ。余裕を持って2時間半前に並んだのだが、カウンター前には長蛇の列ができており、しかも全然動かない。見ると、エコノミー用のカウンターではヨーロッパ人の太ったお姉ちゃんたちがチンタラ仕事していた。預入のスーツケースに、あの細長いシールみたいなやつ(名前を知らない)をつけるのに酷く難儀している。不器用なのだろう。
ふと横を見ればプライオリティレーンでアジア系のお姉さんがテキパキと働いている。人種によって能力を決めつけるつもりは毛頭ないが、それでも海外旅行でアジア人の几帳面さ、勤勉さを感じるシーンは多い。
制限区域内にも色々とショップがあり、本当は早めにチェックインして空港内を見て回りたかったのだが、搭乗開始まで1時間を切っていたため断念した。
とはいえ、せっかくのヘルシンキなのでイッタラで使いやすそうな皿を2枚購入。ほら、日本で買うと高いからぁー(マウンティング)。実際15ユーロくらい。安い。日本で買うと3,000円くらいする代物である。
出国審査官はガイルをツルっとさせたような陽気な若者である。パスポートを見ながら「Where are you from?」と聞かれだが、瞬時に質問の意味がわからなかった。ジャパン出身だけど、パスポートを見ればわかるだろう。旅程を聞いてるのか?と思い「ロシア・・・」と答えるも、Rの発音が悪すぎて伝わらない。なんとか理解してもらったが、今考えればセントピーターズバーグって答えればよかったなアレ。
そうして乗り込んだブリテッシュエアウェイズ。
隣の席は色々盗み見るにロシア人である。過ぎ去ったロシアが再びすぐそこに。離陸と同時に靴を脱ぎ出したが、申し訳ないが足が臭い。
臭いに耐えて3時間ほど、ロンドン・ヒースロー空港に到着した。
乗客は、サインが消えるまでシートベルトを締めたまま大人しく座っており(他の国だと着陸と同時にシートベルトを外す音が聞こえる)、降りる時も前の席の乗客が全て通路に出るまで止まって待っている。通路でも押し合わずに譲り合う。
さすがは紳士の国の飛行機である。シートベルトサインが消えると同時に通路に出て駆け下りようとしていた自分を少し恥じた。
韓国(出国〜釜山到着)
ご存知の通り、令和元年10月22日火曜日は、即位礼正殿の儀の行われる日として、今年限りの祝日であり、10月21日月曜に休みを取れば4連休である。どこかに旅行でも行きたいところである。
しかも、スカイチームのマイルがちょうど夫婦で韓国に行ける程度に溜まっている。
これは韓国アリではないか。そうだろう?
日々、日韓関係が悪化の一途を辿っていることはガッテン承知だが、まあ多少香ばしい人々を見かけたとしても考えてみればそれは通常運行。むしろ秀吉の朝鮮出兵以来、日韓関係が良かったことなどなかろう。
そんなわけで、我々は2泊3日で釜山とソウルにコンニチワすることにした。一応10月22日は日本にいる日程だ。
ちなみに、飛行機はCAに「美人」が多いことで有名な大韓航空である。
19日、マックドナルドで朝食を買い、NEXに乗車した。ニオイがアレだが。例によってNEXはガラ空きなので無問題。
成田では既にオンラインチェックインを済ませており、荷物も全て機内持ち込みのため、直でセキュリティチェックに直接ゴー。スカイチームのプライオリティ資格を持っているため、優先レーンを使って一瞬で通過、出国審査も顔パスである(顔認証ゲートってやつな)。
超順調に進んだので、制限区域内に入ってから搭乗までかなり時間がある。それもこれもスカイプライオリティ様様なのだが、これに関してはネットの海に情報が溢れているので詳細は省略する。
さて、余った時間は酒でも飲んで有意義に潰すのがオツである。再び必殺スカイプライオリティの術を繰り出し、デルタラウンジに入った。
まずはチョコチップクッキーと牛乳で胃を温め、いざ飲酒。ビール、日本酒、ワインを頂いたが、日本酒は安酒で美味しくない。ここでの正解はビールであろう。
ふと、隣の席のお姉さん(ブロンドのヨーロッパ系人種)がキウイをまるごと、しかもワイルドに手で皮を剥きながらワシワシと食べている。キウイの皮を皿にうず高くフルヘッヘンドさせており、少なくとも丸3つは平らげたに違いない。フードコーナーにキウイなんてあったっけ?と見ると、テーブルに空のポリ袋が転がっていた。
ははん、これはわざわざ持ち込んだのだな。
この自由な感じが第1ターミナル北ウイングだ。北ウイングには神経質な日系航空会社が入っていないためか、トイレは汚く、雑然として、乗客は自分のスタイルを貫いている(よく言えば)印象がある。この雰囲気は正直、嫌いじゃない。
だらだら酒を飲んでいると、あっという間に時間は溶けて搭乗開始時刻が迫ってきた。コップのワインを飲み干し、ラウンジを出た。
そうしていよいよ大韓航空の水色の機体へ乗り込む。
搭乗口でバーコードを読み込んでくれるスッチーが、いきなり整形疑惑でテンションがアガる。これぞ大韓航空!
当機はKE716便釜山行き、小さくかわいいエアバス220。モニタがないため、セーフティインストラクションがオルチャンCA嬢による実演である。かわいい!かわいいぞ大韓CA!お目目だってぱっちりだ!
さすが日本積みは米がうまい。
釜山空港に着陸すると、まずは韓国空軍の輸送機3機がお出迎え。飛行機オタでもミリオタでもないので機種まではわからない。
駐機場の真ん中で「ゲートの準備ができるまで待機します」とアナウンスされたにも関わらず、沖止めであった。タラップ好きなので構わないが、ゲートの準備はなんだったんだ。
イミグレを抜け、モノレールと地下鉄を乗り継ぎ釜山駅へ。激混みである。そして、電車の到着メロディがなぜかヴィヴァルディ。雅である。
KTX釜山駅の隣のAstiホテルにチェックイン。
ベッドにダイブして一息つく。フライト時間は短くても、やはり移動は疲れるものだ。
部屋は17階。窓から外を見渡すと、隣のビルの屋上ではオッサンが楽しげにクネクネ踊っていた。楽しいぞ韓国。
続く。
おまけ。
ちなみに、上で散々ネタにしているが、別に整形女子に対して偏見はない。他人がとやかく言うことでなし、本人の自由である。
が、あんまりにわかりやすく人工的な人を見ると、カツラがモロバレの人に感じるのと同じような気まずさを感じる。まあ、それも本人の自由である。
サンクトペテルブルク(郵便局以外で切手を買って絵葉書を出そう)
海外から自分に絵葉書を出すことが好きな人は案外多いと思う。私もその一人だ。
もちろん、サンクトペテルブルクでも絵葉書を出したのだが、これが個人的にけっこう苦労したので最初に大事なことを書いてしまおう。(苦労話は後でたんまり書く。)
それは、郵便局の窓口が開いていない場合、切手ショップで切手を買わなければならないということだ。
事前に調べた情報では、中央郵便局内のブースで買えるとのことだったが、なぜか我々が行った時にそのブースは開いていなかった。単にたまに切手を売っていない時があるだけなのか、もう売らなくなってしまったのかは定かでない。
切手ショップの場所は下の地図をご参照されたい。切手のマークにмарка(ロシア語で切手の意)と書かれたガラスの看板が目印である。
切手?マークの看板が目印。年中無休、10時から20時まで。
看板左下の木製ドアから入って右側に少し進み、最初に見えた通路を左折した奥に切手ショップはある。
あらかじめ絵葉書にЯПОНИЯ(ロシア語で日本の意)、PAR AVIONと書いておき、それを店員に見せれば、慣れた様子でちょうどいい金額の切手を出してくれる。さすがは観光地。
あとはポストに投函するだけである。
さて、苦労話である。そういえば、ウラジオストクでも切手を買うのにけっこう苦労した。
今となっては、郵便局で買おうとしない方がいいんじゃないかとも思えてくるのだが、何はともあれ、この時我々が最初に向かったのは中央郵便局であった。
この日は4月30日の火曜日、時刻は午後2時を過ぎた頃である。
まさか切手が買えないなどと夢にも思わず、軽い気持ちで郵便局に入った。
中は体育館くらいの広さで天井が高く、木製のフレームのついた窓口が壁沿いと中央にたくさん並んでいた。前世紀の駅舎のようなレトロな雰囲気である。
しかし、平日昼間にも関わらず、ほとんどの窓口が開いていない。客も少なく、全体的にがらんとして寂しい。24時間営業だと聞いていたのだが、どういうことか。メーデーでもない。
よく見ると、手紙のようなマークのついた窓口が一つだけ、辛うじて開いていた。おそらくここで絵葉書を出せるだろう。そう思って近づいてみるも、窓口には人がいない。仕方なく、奥を覗き込んで「パジャールスタ!」と叫んで中で作業をしていた係員を呼び、絵葉書を見せて片言で「ヤハチュー、アトプラビーティ、フヤポーニユ(日本に送りたい)」と伝えた。係員は50代くらいの物静かな感じの女性である。
係員はそれを聞いて困った顔をし、ロシア語で何かを伝えようとした。しかし私の語学力では、早すぎて何を言っているのか全くわからない。わからない(ヤニパニマーユ)と言うと、さらに困った顔になった。
深い溜め息をひとつ吐くと「こちらへいらっしゃい」と手招きして我々を奥の窓口に連れて行き、ガラスに貼られた一枚の紙を見せた。
そこには、だいたいこのような英文が書いてあった。(正確な文章は忘れた。)
"If you need postal stamps, please go to the Communication Museum. (Pochtamtsky Street 2)"
()内は住所であろう。試しにGoogleマップに入力すると、すぐ近くの場所にあるようだった。さらに、Communication Museumというからには何かしらの観光地だろうし、簡単に見つかるだろう。
様子を伺っていた係員に向き直り、「スパシーバ」と感謝を伝え、郵便局を後にした。
郵便局の前の通りがPochtamtsky Laneである。建物に書かれた番地を見ながら、石造りの歩道を2分ほど歩き、2番地に着いた。
しかし、そこにはホテルやカフェがあるだけで、Communication Museumどころか切手を売っていそうな売店すら見当たらない。見落としていないか、Pochtamtsky Laneを1ブロック分、端から端まで歩いてみたが、やはりない。
試しに"Communication Museum"とGoogleマップに入力しても何もヒットしない。どうもここじゃない感がすごいが、あの郵便局の張り紙は何だったのか。まさか嘘ではないだろうが、適当な可能性は否定できない。
サンクトペテルブルクでは絵葉書を出せないかも・・・。落ち込んだその時、ふと閃いた。
郵便局に貼ってあったCommunication Museumという英訳では登録されていない可能性に。
秘密兵器、Google翻訳アプリで"Communication Museum"をロシア語に変換して得られた"музей связи"の文字列をGoogleマップに入力すると、Pochtamtsky Laneに直交する通りを指し示している。
急いでそこに向かうと、切手マークの看板が見えた。すごいコレっぽいニオイがムンムンしている。
建物に表示してある住所を見ると、そこはPochtamtsky Pereulok 2であった。Pereulokとはロシア語で「裏通り」の意味らしい。ちなみに我々が先ほどいたPochtamtsky Laneはロシア語ではPochtamtsky Ulitsaである。Ulitsaは「通り」という意味だ。つまり、似たような名前のPochtamtsky LaneとPochtamtsky Backstreetの2つがあり、我々は違う方のPochtamtsky通りに行ってしまったのだ。
あとは先に書いた通りである。颯爽と切手ショップに入り、無事、切手を買うことができた。
それにしても、ロシアで切手を買うのは、なぜこんなに難しいのだろう。
なお、この後ヨーロッパの他の国々からも絵葉書を出したが、一番最初に出したにも関わらず、他のどの国よりも届くのが遅かった。