日日是女子日

細かすぎて役に立たない旅行ガイド

ユーロスター(セントパンクラス、アムステルダム )

前回、我々がわざわざヘルシンキからロンドンに渡り、1泊した理由は、ユーロスターに乗るためであった。

言うまでもないことだが、ユーロスターグレート・ブリテン島とヨーロッパ亜大陸にまたがる英仏海峡トンネルを最高時速300キロで駆け抜ける国際列車である。

 

海底トンネルにはロマンがある。水面に浮かんで波に揺られる無力な船に乗ることなく(船酔いするんですよワタクシ)、海峡の底、つまり安定した地面を歩くなり走るなりして向こう岸に渡れるなんて、現代文明万歳。それだけで興奮するものがある。

1980年代に生まれた私は、成長とともに青函トンネル開通、件の英仏海峡トンネル開通、東京湾アクアトンネル開通、ボスポラス海峡トンネル開通のニュースにリアルタイムで接し、そのたびに是非渡りたいと思っていた。いつかユーロスターにも乗ってみたいと思い続けてきたのだ。

 

そんなわけで、ユーロスターである。

セントパンクラス駅のマークス&スペンサーでサンドイッチとミルクセーキ、クッキーを購入し、ユーロスターのセキュリティチェックに並ぶ。かなり混んでいるのだが、出発時間の近い列車に乗る人は入り口により近い場所から列に割り込むことができる合理的システムなので安心だ。

 

セキュリティチェックの後はパスポートコントロールである。

シェンゲン協定外のイギリスから協定内に入るため、EU内の移動であっても出国・入国審査が必要である。入国審査は対岸のフランスの管轄である。電車の絵が描かれた可愛らしいスタンプを適当に開いたページに豪快に押してくれた。

これでイギリスにいながら手続き上は対岸のフランスに入国していることになっている。愉快である。

 

時間までは、ベンチでサンドイッチを食べたりミルクセーキを飲んだり、トイレに行ったりして過ごした。トイレは一般的なJR駅のトイレくらいの清潔さである。潔癖でなければ問題ないのだが、いかんせん薄暗いので謎の場末感が漂う。(眩しいんでしょ、わかってますよ)

 

さて、これがロンドン発アムステルダム行きのユーロスターである。(今回はじっくり写真を撮る暇があった。)


f:id:suzpen:20191224194731j:image

暇はあったのだが、しかし、何故かこれ1枚しか写真を撮っていなかった。何故なのか。

 

ロンドンを発った我らがユーロスターはジワジワと速度を上げ、イングランドの片田舎を222キロで駆け抜け、英仏海峡トンネルを259キロで疾走した。(速度がモニターに表示されるのだ)
散々萌えると言っておきながら、海底トンネルに入ると外は暗いし、まっすぐ東に向かうだけである。案外無感動。地図で見ていた方が興奮したくらいである。

 

欧州ノ星という相撲取りのような名の列車は、なんの盛り上がりもないまま大陸に乗り上げ、その後驚きの334キロまで加速し、まさに順調そのものである。

我々も、心底油断した。あとはアムスでドイツ国鉄に乗り換えて、ベルリンのホテルで寝るだけだ。

「いやぁー、快適快適、まさに順調そのものですなぁ。」
「インドとロシアを過ぎれば楽勝ですなぁ。」
トラブルがヒタヒタと近づいてくるのにも気づかずに。

最初の兆候は、コンセントだった。充電器を差しているのに、iPhoneに雷マークがつかない。

そして、ブリュッセルを超えたあたりで突然消灯した。

しばらくすると「不具合のため、照明が消えております。現在不具合箇所を点検しております。」とアナウンスが入った。割に聞き取りやすい英語である。

よく知らないが、照明は走行系とは関係ないだろうから、問題ないだろう。そうタカを括っていた。

 

そのうち、見るからに速度が落ちてきた。再びアナウンスが入る。

「電気系統の故障のため、速度を落として運転しております。」

まあ、こんなことは東海道新幹線でだって経験がある。夜の品川〜東京間を高架上の真っ暗な車内から見るのはオツであった。

 

そうしてロッテルダムにつくと、そのまま修理し、修理が完了次第発車するというアナウンスが入った。まあすぐ動くだろう。ここでも我々はまだ特に気にせず待っていた。

 

しかし、待てど暮らせど動かない。

車内放送は「修理中です。あと10分ほどかかります。」と繰り返すだけである。そのうち車内がざわつき出した。席を立ち、辺りを忙しなく動き回る人もいた。

それでも我々は呑気に座っていた。

 

「修理完了にはあと20分ほどかかります。お急ぎの方は13番線のインターシティにお乗り換えください」その放送が入ると、立っていた人々は一斉に列車から降り始めた。

それでも我々は、乗り換える気にはなれなかった。一つには、せっかく憧れのユーロスターに乗っているのだから最後まで乗りたいという気持ちがあった。次の乗り換えにはまだ時間的な予約があったし、20分程度の待ち時間であれば、重い荷物を持って階段を上り下りするのも億劫だった。20分で終わる確証などなかったのに。

今思えばあれが正常性バイアスというものだったのだろう。

 

乗り換える人の波がひと段落する頃、再度アナウンスが入った。

「修理完了の目処が立ちましたので、あと30分で発車します。その後もアムステルダムまでは1時間ほどかかる見込みです。」

ロッテルダムアムステルダム間は60キロである。つまり修理完了しても時速60キロでしか走れない。ロシアの爆走タクシーの半分の速度である。

さすがに馬鹿馬鹿しくなって電車を降り、13番線に向かって走った。火事場の馬鹿力とはああいう状態を指すのだろう、信じられない速度で階段を駆け上り、そして駆け下りた。

そして無事、発車直前のインターシティに滑り込むことができた。


どんなに順調に見えても、油断してはいけない。

そして、少しでも違和感があれば、脱出を検討しなければならない。

固く誓った我々であった。(しかし、すぐにまた油断した。)

 

続く。