GW旅行(モスクワ、シェレメチェボ空港国内線Ruvlevラウンジ)
インド編からの続き。
インド人を満載したアエロフロート機は、パキスタン上空を大きく迂回し、モスクワへと飛んだ。印パ情勢の悪化により、パキスタンが民間機に対し領空内の飛行を禁止したためである。
飛行時間が多少長くはなるが、こればかりは仕方ない。仕方がないのは理解する。
さて、アエロフロートといえば美人CAである。
CGのようなロシア美女がニコリともせず、アンドロイドのごとく正確さで機内食を配り歩くディストピア感が堪らない(誇張)。色々と中二SFな妄想が捗る。
うっとり眺めていると、ふとインド発便の方が、日本便よりもCAにヤリ手BBAっぽいCAが多いことに気づく。
きっと手強いインド人をうまく往なす必要があるのだろう、と悪意のある推測をしていたが、実際はインド人は皆おとなしい。CAの言いつけをよく聞き、シートベルト着用サインが消えても、自由に動き回ったり騒いだりしない。
やり手BBAが多いのはたまたまか、と認識を改める頃、モスクワ、シェレメチェボ空港に着陸した。
タラップが接続され、ドアが開くと、ビジネスクラスのお客様から降機を開始する。
タラップの前には、「BUSINESSES 」と書かれた特別なバスがビジネスクラスのお客様を待っており、エコノミークラスの客が一緒に降機ないように、CAが通路の先頭でガードする。エコノミークラスの客は、ビジネスクラスのお客様が全員バスに乗り込むまでは降りられないのだ。
飛行機は厳密な縦社会である。多く金を払った方が偉いのだ。格安航空券の客など奴隷船である。
と、奴隷船の中から1人のオッさんが、通路で待つ人々を押し分けながら進み出てきた。そして、イライラした調子で「通してくれ」と CAにゴネ出した。
「乗り換えまで1時間しかないんだ、通してくれ!」
そう言い放つと、オッさんはCAの壁を乗り越えて降りようとする。
いざ、ヤリ手BBAの出番である。
BBACAが若CAに指示を出し、ディフェンスの壁を厚くした上で、客をひと睨みし「ノー!1時間もあれば十分です!」と無慈悲に断る。ニェットと言わんばかりの頑なさ。
「飛行機に遅れてしまう!」「ノー!」「通してくれ!」「ノー!!大丈夫だから待ってなさい!」「・・・。」
取りつく島もないとはまさにこのこと。オッさんもしつこく繰り返したが、最後はBBAに根負けして黙ってしまった。
ビジネスクラスの最後のお1人様がやっとお降りになると、我々エコノミーの番である。
ディフェンスCAがスッと道を開け、同時に駆け出すオッさん。バスだから走ったところで変わらないんだけどな。
BBAに「サンキュー、バイ」とお座なりに見送られながら、タラップを降りた。空気がピリッと冷えている。
バスで運ばれながら、駐機場に並んだアエロフロート機を眺めた。銀色の機体さえ、淡い色合いの太陽を反射して寒々しい。
入国審査には既に20人ほど並んでいた。
ロシアの入国審査は時間がかかる。気難しそうな審査官が、パスポートを隈なくチェックしたり、ルーペのような器具でビザを見たり、とにかく簡単には通してくれない。
BBA CAは何を根拠に1時間もあれば十分と言ったのか。あのオッさんは間に合ったのだろうか。
横の列では「Kazakhstan」と書かれた揃いの赤いジャージを着た少女達が、何やらクスクス笑い合っていた。新体操の選手だろうか、皆ぴっちりとお団子を結っている。ザギトワ系。
前に並んでいるのは、茶色の外交旅券の日本人女性。Diplomatsレーンがあるにも関わらず一般レーンに並んでいるのは連れがいるためか。(別に、混んでるんだからあっち行けとかは思っていない。)
そうこうするうちに、我々が並んでいたレーンが閉まってしまった。苦そうな顔をした職員が出てきて、我々、非ロシア人たちをRussian citizensの列に連れて行く。
良いのかよ?と緊張しながらパスポートを見せると、入国審査官はつまらなそうに溜息をつき、面倒臭そうにハンコを押してくれた。良いのかよ。
無事に入国し、次に向かうのは、シェレメチェボのBターミナルである。Bターミナルからは、国内線が発着しているのだ。
案内に従い、途中「対独戦争勝利記念日」の飾りのある動く歩道に乗ったり、電車に乗ったりしてBターミナルに到着した。全部で10分くらいか。案内は割と親切である。
この階段を降りた先に、Bターミナル行きの電車乗り場がある。
しかし、飛行機の時間にはまだ早い。Bターミナル入ってすぐ、Ravlevラウンジでオヤツにしよう。我々は、Deltaの上級会員資格で入る。
Ruvlevラウンジは、とても長いフードカウンターが名物で、ロシアのベストラウンジにも選ばれたとか。国内線ターミナルなのに、ハムなどのコールドフードやスープ、パン、ケーキやクッキーなど大満足のラインナップである。甘党としては、スイーツの充実度合いがけしからん。
ワールドカップの時に作られたとのことで、まだピカピカ、トイレも清潔(モスクワは空港ですらトイレが地獄の汚さだったりする)。
フードカウンターには、お酒もスイーツも充実。カウンターの長さは50メートルくらいある。
写真ではわかりづらいが、玉ねぎ型の洒落たデザインである。
カフェラテを淹れ、ヨーグルトやクッキー、ブリヌイ、ミルク粥などを頂く。ミルク粥はほんのり甘くて好みである。私はミルク粥が大好きなのだが、スープと思って蓋を開けた時のトキメキと言ったら!まさかあんな家っぽいモノが食べられるとは。夫によると、ハムやチーズもおいしかったらしい。
けしからんフードたち。こうして見ると、乳製品と炭水化物しか食べてない。
オヤツをガツガツ食べて1時間ほど潰し、定刻、サンクトペテルブルク行きのアエロフロートに搭乗した。
機内では、メーテルみたいなCAの美女が、無表情で安全デモをするのが圧巻であった。救命胴衣を膨らます時もピクリとも表情が崩れない。
機内食として、噛みごたえのあるサンドイッチと、小ぶりな林檎が1人1個配給された。
ロシアに来た。コレがロシアである。
GW旅行(インド、Select City Walk、ミールス食べ放題Suruchi)
インド編の続き。
一泊しかしてないインドに何記事書くつもりだ?いや、これがインド編最後である。
Indian accentでの食事の後は、もともと映画館に行くつもりだったのだが、残念ながら、ちょうど良い時間に上映がなかった。わざわざインド国歌までマスターして行ったんだけどな。
仕方なしに、インドで今1番ナウいと評判のショッピングモール「Select City Mall」に向かった。
特に買いたいものはなかったので、冷やかし半分で見て回っていたのだが、ふとあることに気がついた。
多くのインド人は、日本人と比較して、身長の割に足が大きいのである。それなら、売っている靴のサイズも大きいに違いない。
私は足が大きく、日本ではサイズの合う靴がなかなか無いのである。24.5センチで少しキツいくらいなので、特別に大きいというほどでもないが、日本の靴はサイズが合わないことも多い。あったとしても少し窮屈である。
そんなわけで、欧米に行くと必ず靴を買うのだが、物価の安いインドで靴が買えるなら非常に嬉しい。お財布大喜び。
そこで、試しに「CHARLES & KEITH」に入って店員にサイズを伝えると、「オフコース、いくらでもありますぜマダム」と頼もしい答えが返ってきた。
そうして出してもらった靴が少しきつかったので、さらに大きいサイズを所望すると、またもや「ありますぜマダム!」と出してくる。
なんと素晴らしい、夢のような世界!
ウキウキと何足か試着して、オレンジ色のローヒールを購入した。4,500ルピー。ちゃんとした革で、これは安い。さすが凄インド。
靴をゲットしてホクホクしながら、さらにショッピングモールをウロつくと、喉が渇いてきた。モール内のカフェは混んでいたので、近くにあった「Junkyard Cafe」に入る。
夫はビール、私は生姜入りの生搾りオレンジジュースをいただく。ジュースは少しぬるいが、甘くて生姜辛くてうまい。失敗したと思ったのは、生姜が入っていたため、もともと暑さで熱を持っていた体が、さらに熱くなってしまったことである。
また、冷静に考えると、この生搾りジュースや、前日の生の玉ねぎは避けるべきだったかもしれない。幸い腹は壊さなかったが。
生搾りオレンジジュースと、インドの上級国民様。
カフェでしばらく体を冷やし(冷えなかったけど)、晩ごはんを食べに向かった。
ここも、まあカレーといえばカレーなのだが、そんなこと言ったら日本料理は全部醤油味だし、「は?ラーメンなんて全部同じでしょ?」と言ったら怒る人もいるだろう。インドは全部カレーというのは乱暴なのだ。(まあカレーなのだが。)
さて、ここでは、パンジャーブ地方、グジャラート地方など、インドの色々な地域の料理が食べられる。(はい全部カレーです。)
我々が頼んだのはラジャスタン。この地方はパキスタンと国境を接しており、砂漠化する前には、インダス文明が栄えていた場所らしい。ラジャスタン料理は、パンジャーブ、グジャラートと比較して辛いらしいが、別に食べられないほどではない。
インド薬味いろいろ。ここにも生タマネギ。
ミールス。この後パンとか炭水化物も色々出てきたのだが、手が油でベトベトで写真どころじゃなかった。
上の写真のようなものが、ストップをかけるまで延々と出てくる。お得感があるが、「もういらない」と言うと、店員が悲しそうな顔をして「オーケー、もっと食べられるよ?」と勝手におかわりを盛ったりして、まあ調子に乗って食べすぎた。しばらく気持ち悪くなった。うまかったけど。
これらの料理は日本にあるインド人が経営しているインド料理店の味とほぼ同じであった。例え食文化の異なる日本であっても、日本人好みに妥協したりはしないらしい。
写真は撮らなかったが、トウモロコシのモチモチのパンに、きび砂糖と油をドバドバかけたものが背徳的な旨さだった。カロリーの高いものにマズいものはない。
ちなみに、サーブしてくれた店員は、ターバンを巻いた陽気なインド人。「ジャパーン?アリガード、☆♪※◯~」などとよくわからない日本語でオモテナシをしてくれる。いいぜ、面白いぜインド人。ていうか日本語も話せんのかよ、インド脳すげえな。
晩飯の後は空港に向かい、アエロフロートでモスクワへ。
夫がDeltaのゴールドメダリオンを持っていたため、ラウンジでシャワーを浴びようと試みる。しかし、学校のプールにあるような剥き出しのシャワーしかなく、さすがにコレはどうかと思い、たまたま持っていたプライオリティパスで、別のラウンジに入った。こちらは必要にして十分な設備で、インドの汗と埃をロシアまで持ち込まずに済んだ。
シャワーを浴びると、ちょうどボーディングが始まっていた。
ゲートに向かい、スッチーが長身美女揃いのアエロフロートに乗り込んだ。
おまけ。
「インドに行くと人生観が変わる」とよく聞くけど、さすがに1泊では全く何も変わらなかった。まあゼロに何かけたところでゼロなので、何日いてもそんなに変わらないんじゃないか。
続く。
GW旅行(インド、Indian accent)
インド編の続き。
今回、先が長いので、ディープインドには立ち入らず、とりあえず上澄みだけ見て満足しよう、というのが大前提である。インドの澱みで腹を壊し、旅行の間トイレに立て籠もるような事態は絶対に避けなければならない。絶対にだ!
そう、インドは感染症の宝庫と言われている。誰が言っているかって、外務省がそう言っている。お役所というのは得てしてコンサバだから、そう言うからにはそれなりに根拠があるんだろう。
私の周りでも、インドで腹を壊したという話は非常によく聞く。知人の中には、生水を警戒し、歯磨きにミネラルウオーターを使うことは勿論、シャワーを浴びる際も水が入らないように口にガムテープを貼ったという御人もいる。そこまでしたにも関わらず、彼は腹を壊したらしい。ガムテープをわざわざ持って行ったのか?という疑問はさておき、インドの菌の強さには戦慄を覚える(まあ食べ物に当たったんだろうな)。
どうせ物価も安いし、「安い美味い」より「高くて清潔」である。
というわけで、インド2日目は、まずホテルにて、清潔で美味しい朝食を取った(全部カレーだ)。
そして昼は、インドの超高級レストラン、Indian accent。コレはまあ、衛生重視というわけではなくて、ちょっと食べてみたかっただけだ。
この店、アジアのベストレストラン50入りの実力派で、2人で2000円も出せば豪華な食事ができるインドにおいて、1コース約5000円(税別)もするのだ。他にワインペアリングをつけると倍の値段となる(しかも酒は税率も高い)。
さて、高級な、最先端のインド料理とは一体どんなものだろう?全くイメージが湧かない。
日本でインド料理といえば、何はともあれカレーであり、ナンであり、激安ではないものの高級でもなく、またそれほど凝った料理でもないがウマイ。食べると力が漲り、たまに無性に食べたくなる。
一方、カレー粉というのは、どんな食材でも等しくカレー味にする魔の調味料である(どこぞのレンジャー部隊では、カレー粉のみを持ち、無人島で蛇やトカゲを狩りながら生き抜くサバイバル訓練があるとか)。高級インド料理とはいえ、カレー粉を使ってしまえば、どんな高級食材もただのカレーに堕落してしまう可能性もある。
それでは実際、どのようなものだったのか。
結論から言えば、びっくりするほど洗練されており、味の幅が広く、美味しかった。その美味さ、インド料理観が変わる程である。
チャパティのごとく平たく言ってしまえば、全てカレー味ではあるのだが、食材や調味料の使い方に気が利いており、カレーの世界の奥深さを感じさせる。そして、我々はベジのコースにしたのだが、肉を使っていないとは思えない謎のUMAMIがあった。
ついでに加えておくと、店員は皆インド風イケメンである。少しエキゾチックなセンスの良い空間で、清潔なインド人のサービスを受けるのは、少しフェチというか、プレイ感がある。
というわけで、これより写真とともに料理を紹介する。
とはいえ、インド料理リテラシーが低すぎるので、「うまい」「カレー風味」程度の貧弱なボキャブラリーでお届けすることを先に断っておく。また、使っている食材もよくわからない。一応サーブする際に、料理の説明はしてくれるのだが、その分野の単語が全くわかりまへん。
まずは前菜、ブルーチーズを丸めて味付けで焼いたやつ。ワインはロゼのスパークリング。
ブルーチーズのクセがそれほどなく、少し素朴な味。「フランスでは農家の子どものオヤツとして、日本でいうお焼きのように食べられています。」とか言われたら信じそう。うまい。
トマトのスープ
平たく言えばトマトカレースープ。なのだが、複雑な奥深い味。とても美味しい。ベジでどうしてここまで滋味豊かなのか。何を使っているのか全然わからない。
マサラドーサ
マサラドーサとは、一般的にはクレープみたいな生地にカレー味のジャガイモが包まれている、素朴な料理である。こいつは、もはや全く原型を留めていない。
フワフワとした淡い味のシロモノがレンゲくらいの大きさの匙にのり、パリパリの小麦粉系食品を振りかけてある。何か美味しい液体をメレンゲ状にしたものなのだが、またしても何を使っているのかわからない!(ベジだから卵白使えないし。)
オシャレな味。もっと食べたい。
サツマイモのソテー
長細い筒状のものがサツマイモで、赤いのは苺、まろやかなカレー味のピューレが下に敷いてある。上にバルサミコ風味のソースがほんの少しだけ振りかけてある。
この料理のポイントは苺。以外な組み合わせだが、少し甘めのカレー味に、スッキリとしたアクセントとなって美味。ほー、と唸るおいしさ。口の中が幸せである!
薄切りのジャガイモとチーズを積み重ねたラザニアのようなもの、ワインはボルドーの白。
もう上の説明だけで美味いことが容易に想像できるだろう。実際、ジャガイモとチーズは鉄板の組み合わせである。チーズはカマンベールを塩辛くしたような感じ。うまい。家で作れそう(失礼)。
ちなみにコレはカレー風味ではない。
パプリカに、甘いカレー味のソースで和えたカッテージチーズを詰めたもの。ワインは南アフリカのピノ・ノワール。
とろりと甘いパプリカと、優しい味のチーズが合う。下には、何を使っているのか不明だが、優しいカレー味のまろやかなソース。パプリカと言ったものの、大きさ的には日本で言えば熟成させたピーマンっぽい。
アミガサタケの中に、細切れにしたキノコを詰めたもの、ワインはチリのメルロー。
要はキノコ in キノコ。菌類が手を取り合ってどこまでも行けるウマさ。
キノコの旨みがぎゅっと凝縮されていて、満足感がある。これなら肉など食べる必要はない。美味しい。意外と米に合いそう。
お口直しのシャーベット
見た目に反してしょっぱい!マサラ風味の梅干し味。私は梅干しが苦手なので、イマイチだった。梅干しスキーの向きには堪らないであろうな。
平焼きパン、中にはバジルのような葉っぱ。
見たまんま、小麦粉をこねて焼いた味。葉っぱが爽やか。アツアツでうまい。ツマミ系。
あともう一枚、キノコの入った同じようなパンが付く。こちらもツマミ系。
何かの葉っぱのコロッケにスイートコーンのソースをかけたもの。ワインはキャンティクラシコ。
スイートコーンのソースは、甘めのコーンスープのような味。コロッケ中の葉っぱはペースト状になっていて、トロトロとした舌触りと衣のサクサク感、そこに絡む甘いソースがすげえ合う。子供たちの大好きな味。
ガーリックナン
ここで、少し量が足りなかったので、ガーリックナンを追加した。写真はない。
日本のカレー屋にあるドロップ型のものではなく、渦巻き状に層を作ったタイプ。ニンニクの効かせ方が上品でうまい。
デザート、左からアーモンドのフワフワした何か、アイスクリーム、何かのタルト。インドのデザートワインSulaとともに。
1番左は、カリカリのスライスアーモンドをメレンゲのようなフワフワのもので和えてあるのだが、やはり何を使っているのか不明。ガッツリ甘くてうまい。
真ん中は普通のアイスクリーム。優しいキャラメル味。
右のタルトは何故か甘露飴の味がした。原料何使ってるんだろう?これもガッツリ甘くてうまい。
最後に謎のお菓子。左上から時計回りに、しょっぱい何か、ゴマ風味のグラノーラのような何か、ドライマンゴー、謎の甘酸っぱい粒(説明になってない)
これはまあ、ちょっと独特だな。少しだけ食べて、ほとんど手をつけなかった。
右上の赤紫のお菓子だけは美味しかった。ゴマ風味のキャラメルでナッツを和えたようなもので、ポリポリかじる程に味わい深い。
これで料理が3,500ルピー、加えてワインペアリング3,900ルピー、プラス税。インドなのになかなかのお値段だが、日本でこういうタイプのインド料理は食べられないので良い経験になった。
なお、インド人店員曰く、インド料理はスパイシーだからワイン・ペアリングが難しいのだが、ここの料理はミドルスパイシーなのでなんとか合わせられるのだとか。
個人的な感想としては、ワインと料理は合わなくはないものの、とはいえマリアージュのようなものはなかった気がする。別にワイン・ペアリングは付けなくても良いかもしれない。高いし。まあ、酒を目の前にして飲まないという選択肢はなかったのだが。
おまけ。
初めて訪れたインドは、動物天国だった。
干支の動物のうち、5つ、野良犬、野良牛、野良馬、野良猿、野良鳥に遭遇した。
他にネズミはきっといるだろうし、ベンガルには虎もいるし、インドのヘビ使いというくらいだし、さらに核実験で放射線を浴びてドラゴンが爆誕するとか、まあ何言ってんだか全然わかんねえな。
GW旅行(インド入国、カレーを食べる)
計画も固まったことであるし、あとは時が来れば実行するのみである。
まず、旅行の1カ国目はインド。
デリーまで、特典ビジネスで快適な空の旅を楽しむ(JALだけど)。
ビアーとトメイトゥジュースでセルフレッドアイを楽しむ。
エサ。偏りっぷりがアヴァンギャルド。
楽しみにしていたヒマラヤ山脈が雲に覆われて見えず、ガッカリである。
そうして、我らがJAL機は、インド亜大陸を飛び越え、デリーはインディラ・ガンディー国際空港にヌルッと着陸した。
ボーディングブリッジを通り、空港に降り立つと、黄色やオレンジを基調とした内装が目に入る。雑に表現すれば、カレー色である。(いや私カレー大好きなんで)
周りを見渡せば、小ざっぱりした格好のインド人たち。シックなスーツとターバンの組合せが最高にカッコイイことを知る。
ついでに言えば、トイレが下手なヨーロッパより清潔である。
病室のように殺風景なイミグレを通り、荷物を回収して外に出ると、むっとする熱気にクラクラした。コンクリートが日光を反射し、白く光っている。
そこらにある、何者かの糞を踏まないようにパーキングエリアに向かい、立体駐車場の1階にある専用レーンでUberを待つ。気温は高いが、空気は乾燥しており、日陰は過ごしやすい。
揃いの白いTシャツを着たインド人スタッフたちが手際良く客をさばいていく。Tシャツは薄汚れていたが、皆ソフトマッチョのイケメンであった。
そのまま数分待つと、我々の車が到着した。日本では見かけない、スズキの小型ハッチバック。トランクが狭いため、スーツケースは助手席に雑に積み込まれた。
空港を出ると、広々とした平らな道路に出る。周りを見ると、圧倒的に多いスズキ車と、次に多いタタ車。擦った痕や凹みのある車が多い。
それらの車が、頻繁にクラクションを鳴らしながら走り回る。車線変更時はウィンカーは出さず、後続車をクラクションで牽制して割り込むのがインド流らしい。スピードは、直線でもせいぜい60キロだが、縦横の車間距離が異常に狭い。そりゃ擦るわ。
これでは、運転するにも前後左右気を使って大変だな、と思いつつバックミラーを見やると、角度がおかしい。運転席を向いていないのだ。つまり、後ろも見ずに突っ込んでいるのだろうが、周りも慣れたもので、ぶつかるギリギリでうまくかわしている。凄インド!(そして時々避けきれずに擦るんだろう)
慣れてくると、ちょっと快感というか、見ていてクセになる。楽しい。インド楽しいぞ。
ホテルは、高級ホテル街にあり、近づくにつれ、スズキ車が減り、トヨタ車他が増えてくる。スズキはインドで大衆車の位置に食い込んでいるのだ。
そうして我々を乗せたスズキ車は、インド的に小綺麗な道を通り抜け、五ッ星ホテル、ザ・ラリットに到着した。警備員がトランクを改めてから、敷地に入る。車を降り、手荷物検査を受け、金属探知機を潜ってロビーに入る。厳重である。
フロントのお姉ちゃんは、ミランダ・カーをインド人にしたような可愛らしい女性で、我々が1泊しかしないことに対し、大袈裟な顔をして、「インドに1泊なんてもったいない!本当に素敵なところがたくさんあるのよ!最低でも1週間は必要だわ!」と嘆いた。その仕草も可愛らしかったので、おばちゃんは「またゆっくり来るよ。」と答える他なかったわ。
部屋で荷物を整理し、外に出る。
向かうはコンノート・プレイス。あの有名な、巨大なインド国旗を見に行ったのだが、残念ながらポールには何も掲げられていなかった。
あたりをウロつく。小綺麗だが、溢れんばかりにインド人がたむろっている。通りという通りにギッシリとインド人。インドって、本当に人口が多いんだな。
インド人をかき分け、辿り着いたカレー店「KAKE-DA-HOTEL」で夕食を摂る。
それなりの高級店なので、店内は清潔で、客もキチンとした服装をしている。
これがカケーダホテルの外観でやんす。インド人が群がっている。
席に座り、ロティを7枚と、パラクパニール、サグミートを注文する。辛さは普通で。
料理を待っていると、生の玉ねぎスライスに、酢とカレーソースをかけたような料理がタダで付いてくる。辛いけど美味い。美味いが、生の玉ねぎというのは、それほど量が食べられない(なんか食ってると胃がキリキリするんだよ)。おかわりをくれたが、結局手をつけずに残してしまった。
注文した料理が続々と出される。
我々日本人は両の手を使わなければ食べられないが、隣の席のインド人は右手だけで器用にロティをちぎり、不浄とされる左手を全く使わず、ムシャムシャ食事をしている。
さすが聞きしに勝る徹底ぶり、と感心してよく見ると、しかしながら周りには左手を使っているインド人も案外いる。ステレオタイプな思い込みはヨクナイデスネ。
ちなみに、辛さは日本のインドカレー屋と同じくらい。あまり辛いのは得意ではないが、これくらいなら問題ない。激辛好きは、ちょっと攻めても大丈夫だろう。
写真上から時計回りに、サグミート、玉ねぎの謎料理(食べかけで失礼)、パラクパニール、チキンタンドーリ。
いずれも(うっかり)緑のカレーで、少し漢方臭いのが堪らない。インド式カッテージチーズ、パニールが日本で食べるモソモソしたものとは異なり、モチモチしてて非常にウマい。サグミートの肉は謎肉風味だが、おそらく山羊の肉であろう。
加えて、タンドーリチキンも頼んだが、クッキリとした形の脊椎がついていたため、グロ耐性がゼロの私はすっかり食欲が失せてしまった。もちろん味は良く、単に私が軟弱なだけである。
ちょうど飲み物が欲しくなったところに、店員のオッさんが瓶のジュースを営業に来た。2本頼むと、その場でスポスポーンと手際良く栓を抜いてくれる。「サムズアップ」という、コーラを薄くしたようなジュースだが、これが気候と料理にちょうどいい。
すっかり満腹になった我々は、腹ごなしにホテルまで歩いて帰ることにした。
腹にやけにガスが溜まる。日本で警戒して整腸剤だのヨーグルトだのを取りすぎたせいで、出国前日から腹が緩かったのだ。
もちろんレディの嗜みとして放屁は我慢していたが、力及ばす漏れてしまった、まさにその時、物売りの少年がまとわりついてきた。ちょうど私の尻に鼻が来るくらいの身長である。
何か気まずい。それなりに臭かったろうに、スッポンのようなしつこさで付きまとってくる。ふと見ると、身なりは見すぼらしいものの、澄んだ美しい目をしている。とはいえ、買うつもりは毛頭ないので、グルグルと追いかけっこをして振り切った。
空港やレストランで「上澄み」しか見ていなかった私にとって、軽い衝撃があった。このような少年たちが、経済成長の恩恵を掴み取るチャンスが来ることを祈る。
ホテルに戻ってテレビをつけると、カオジロガンの子育てについてのドキュメンタリーが放送していた。カオジロガンについては、以前何かの記事を読んだことがあった。この鳥は、外敵の少ない断崖絶壁の上に巣を作り、産卵する。しかし、そのような場所はエサになるものがないため、孵化した雛は、羽根も生えそろわないうちに、崖の上から谷底まで飛び降りるのだ。
番組では、3羽の雛が飛び降りたが、無事に谷底まで辿りついたのは1羽だけであった。とても厳しい環境だ。
決して、先に遭遇した物売りの少年と重ねていたわけではないが、幼い鳥が厳しい世界を生き抜く強さに感銘を受け、YouTubeでカオジロガンの動画を見ながら眠りについた。
GW旅行計画(インド、ロシアとヨーロッパ)
1年以上前から、今年のゴールデンウィークは、有休で休みをつなげて長旅をしようと思っていた。
元号が変わるタイミングだが、我々は遠く離れた海外で令和の新天皇を祝福し、威光を遥々届けることを引き受けた。
ここぞとばかりに有休を投入、その後5月1日が今年限りの祝日になったこともあり、全部で11連休を手に入れた。
その連休で、まず、我々はモスクワからベルリンに寝台列車で行こうと考えた。以前、モスクワに行った際、エアポートエクスプレスの終着駅であるベラルースキー駅から寝台列車でベルリンまで繋がっていると知り、強い憧れを抱いていたのだ。
モスクワからベルリンに向かう間に、ベラルーシ、ポーランドを通過し、その間3回も国境を越えることになる。島国で生まれ育った我々にとって、陸路で複数の国の国境を越えるというのは、逆らい難い魅力がある。萌えに萌える。
とはいえ、モスクワーベルリン間は3泊しかないため、せっかくの11連休をなんとかして埋める必要がある。
そうだ、残りの日程も鉄道で埋めよう。
そうして路線図と睨めっこをしながら、旅程を検討した。誰得情報の羅列にはなるが、どのように旅程を決めたかを書いておく。断っておくが、以下、謙遜でなく誰の得にもならない俺得情報である。
美しき赤き旅程
まず、最初は以下の旅程を考えた。
・成田から特典航空券でインド、ニューデリー。
・アエロフロートで、モスクワ経由、サンクトペテルブルク
・サンクトペテルブルクから寝台列車「赤い矢」号でモスクワ
・モスクワから寝台列車「ポロネーズ」号でベラルーシを経由してワルシャワ
・ベルリンワルシャワエクスプレスでベルリン
・ベルリンから高速鉄道「ICE」でケルンまで
・ケルンから赤い高速鉄道「タリス」でパリまで
・パリからモスクワ経由、アエロフロートで成田
すなわち、「赤い矢」号を鏑矢とし、鉄道でヨーロッパ亜大陸を花の都パリまで横断、赤いタリスで旅を閉じる、赤い鉄道旅である。美しい。
ちなみに、最初に無駄にインドに寄るのは、GWへの対策である。ヨーロッパまでのチケットはそれでなくても高いが、出発を祝日の異なるインド発にすることで、GWでもオフシーズン価格のチケットが手に入るのだ。そして、インドまでの特典航空券をビジネスクラスで取ることで、優先レーンが使用でき、成田空港の混雑にも煩わされることはない。
これもまた美しき旅程
しかし、色々と調べるうち、ロシアーベラルーシ国境を陸路で渡ることを避けるよう、ベラルーシ大使館から通達が出されていたことがわかった。
リンクの一部を引用すると、以下の通り。
ベラルーシとロシアは連合国家として出入国管理を統一しており(中略)現在ロシア・ベラルーシ間に陸路での国境通過地点がないため,飛行機を利用することをお勧めします(邦人が陸路で越境できなかった,とのトラブルも発生しております)。
また、越境できないだけで済めば良いが、うっかり越境できてしまった場合、外務省によると、以下のような恐ろしい事態に発展する恐れがある。
サンクトペテルブルクからキエフに向かっていた日本人が知らぬ間にベラルーシを無査証で通過していたため,約20日間拘束された例があります。
行ってみたらイケた、という情報もあったが、あまりにリスクが高すぎる。仕方なく、美しき赤き旅程を泣く泣く破り捨て、別の美しいルートをとることにした。(灰色字は変更のない部分、赤色字は変更点)
・成田から特典航空券でインド、ニューデリー。
・アエロフロートで、モスクワ経由、サンクトペテルブルク
・サンクトペテルブルクから高速列車「アレグロ」号でヘルシンキ
・ストックホルムから「渡り鳥」ラインでドイツ側リューベックまで
・リューベックから鉄道を乗り継いでベルリンまで
・ベルリンから高速鉄道「ICE」でケルンまで
・ケルンから赤い高速鉄道「タリス」でパリまで
・パリからモスクワ経由、アエロフロートで成田
この旅程のポイントは、渡り鳥ラインである。この電車は、電車ごと船に乗り、バルト海をドイツまで渡るのだ。なんだそれ!エロすぎるだろ!
力技の旅程
しかし、「渡り鳥」ラインのオンライン予約がいつまで待ってもオープンにならない。
痺れを切らした我々は、このそこそこ美しいルートも殴り捨て、以下の少し力技のルートをとることにした。
・成田から特典航空券でインド、ニューデリー。
・アエロフロートで、モスクワ経由、サンクトペテルブルク
・サンクトペテルブルクから高速列車「アレグロ」号でヘルシンキ
・ヘルシンキから、ブリティッシュ・エアウェイズでロンドン
・アムステルダムから、ICでベルリンまで。
・ベルリンから高速鉄道「ICE」でケルンまで
・ケルンから赤い高速鉄道「タリス」でパリまで
・パリからモスクワ経由、アエロフロートで成田
ヘルシンキから飛行機、というチート技を使っているのが正直美しくない。飛行機が使えるなら何だってできるやんけ。
しかし、昔からユーロスターにも乗ってみたかったし、そういえばBrexit直後の大英帝国にも挨拶しなければならないし(計画当時は確か4月12日にEU離脱予定だった)、美しくはないが一度で色々事足りるルートではある。
そんなわけで、我々はこの力技ルートで新しい年号を祝うことにした。
なお、正直に言えば、これらの検討を行ったのは、全て夫である。
私は「ふん、いいね」とか「ちょっとヤダ」などテキトーなことを言いながら、ダメ人間パンなどを頬張っていたに過ぎない。
まあ良いや。 腹減ってたんだよ。
さて、実際の旅程は?
いやもう、本当に全然計画通りに進まなかった。乗る交通機関の約半分でトラブルがあった。こんなの初めて。やれやれだぜ!
(灰色字は順調に進んだ部分、赤色字は計画通り進まなかった部分)
・成田から特典航空券でインド、ニューデリー。
・アエロフロートで、モスクワ経由、サンクトペテルブルク
→例のパキスタン上空封鎖により、かなり遠回りしてモスクワへ。
・サンクトペテルブルクから高速列車「アレグロ」号でヘルシンキ
・ヘルシンキからブリテッシュエアウェイズでロンドンまで
→電気系統の故障により速度低下、ロッテルダムで立ち往生。コレはアカンとの判断により、ICに乗り換え。
・アムステルダムから鉄道でベルリンまで
・ベルリンから高速鉄道「ICE」でケルンまで
→トラブルがあったらしく、機種変更。ICEでなくIC、しかも古いボロボロの機種になり、到着時間もやや遅延。
・ケルンから赤い高速鉄道「タリス」でパリまで。
→我々の席のコンセントが故障中。加えて、隣の席にDQN日本人。
・パリからモスクワ経由、アエロフロートで成田
→アエロフロート、スホイ機のシェレメチェボ国際空港での事故により、欠航。翌日のエールフランス直行便に振り替え。(亡くなられた方々のご冥福をお祈りいたします。)
さらに、帰りにシャルル・ド・ゴール国際空港でTax refundの手続きをしていたら、窓口の端末が故障。我々から何か変な電波でも出ているのではないか、と疑いたくなるレベルである。
ニュージーランドドライブ旅(ナゲットポイント、モエラキ・ボルダー、スチームパンク博物館他)
ワイカワの後は、ナゲットポイント、オタゴ半島(ペンギン・プレイス)、ダニーデン、モエラキ・ボルダー、オアマル(アワモアビーチ、ブルーペンギンコロニー、スチームパンク博物館)に寄り、クライストチャーチから離脱した。
ここでは、ナゲットポイント、モエラキ・ボルダー、スチームパンク博物館について書く。
ナゲットポイント
南島南部から、ダニーデンに向かう途中にある。海の中に灯台があり、そこへ向かう道の両側は切り立った崖になっており、高度感が抜群。高所恐怖症の人は、足がプルプルすることうけあい。道の端っこが特に怖いので、人とすれ違うのがとても嫌。真ん中だけを歩きたい。
灯台にたどり着いても、それはそれで怖い。
灯台から海に向かって。プルプルしながら撮った。
駐車場にはトイレがあるが、今どき珍しいバイバイトイレ。要は、排泄物がそのまま自然に放出されるタイプである。トイレの先が外につながっているため、便座に座ると、そよ風が爽やかに股間を通り抜けて行く。ちょっと気持ち悪い。
モエラキ・ボルダー
オアマル近く、球状の巨石がゴロゴロ転がる海岸。もっとオーパーツっぽい真球の石を期待していたのだが、実際はそうでもない。岩がコロコロ転がり続けたら、いつかはこうなるんだろうな、という感じの、普通に角が取れた丸い石。まあそれでもこんなに大きいものは珍しいのだろうけども。
デカい白人のおじさんが、ビニール袋に入ったデカいマフィン(4個入り)を貪りながら歩いていたのが印象的であった。なぜ今ここで・・・。
スチームパンク博物館
オアマルにある、ぼくのかんがえたさいきょうのスチームパンクの博物館。薄暗い部屋に、それらしいガラクタが雑に並んでいる。
おどろおどろしい照明とガラクタ。
PV=nRTって確か高校で習ったぞ。えーと、理想気体の状態方程式(とかなんとか)や!
写真を見ればわかる通り、博物館といえど決してスチームパンクの歴史などがまとまっていたりはしない。本当に、ガラクタが並んでいるだけである。埃をかぶっていたり、蜘蛛の巣が張っていたりするのは、演出なのか、単に掃除をサボってるだけなのか。「あんまり清潔すぎない方がディストピアっぽいよね?チラッ。」という意図だろうか。
スチームパンクってなんだっけ・・・?
ちなみに、この近くには「スチームパンク注意」の標識がある。
なかなか洒落てます。
その他、書き残したことをば
とりあえず、写真を適当にバラバラと貼っていく。
オアマル猫。どうやら双子の片割れのよう。こちらは人懐っこい方。
そういえば、ここ以外で猫って見かけなかったな。
クライストチャーチのカフェで朝食を。
フレンチトーストなのだが、大量のバナナとベーコンで肝心のフレンチトーストが見えない。
低血圧の人には拷問であろうボリューム。
空港にて。ニュージーランドの炭酸ジュース、L&Pを買ったらトランプが付いてきた。
トランプで遊んで時間を潰す。
飛行機から見たタラナキ山。山頂から半径10kmが保護区になっているため、森林が円形に残されている。
以上、駆け足になったが、これでニュージーランド旅行記はおしまい。書き残したことを最後につけ加えるならば、車はスズキのスイフトが圧倒的に多かった。以上!
ニュージーランドドライブ旅(ミルフォードサウンド、オーバーナイトクルーズ編)
GWに片足を突っ込んでしまった今、年末年始の旅行の記事がまだ書き終わっていないことに気づいた。
うっかり気づいてしまったので、今さらながら前回の続きを書く。
さて、時は遡り、2018年12月31日、ニュージーランド2日目。
キーサミットでのトレッキングは思いのほか早く終わったが、あたりは自然、自然に大自然。時間を潰せそうな素敵スポットは何もない。予定より少し早いが、我らがスバル・レガシーに乗って次なる目的地へ向かった。
目指すはミルフォード・サウンド。
実は、湖の上で年を越そうという魂胆でオーバーナイトクルーズを予約していたのだ。ミルフォード・マリナー号、1泊2食付、ちょっとしたアクティビティがついて1人500NZDくらい。高い。
キーサミットから1時間ほど運転し、ツアー会社の駐車場に着いた。腹が立つほど晴れている。
ここからクルーズの受付までは、尿意を我慢して10分ほどの距離である。テクテク歩いて来たものの、ここにも時間を潰せそうなものは何もない。とりあえず放尿(もちろんトイレで)。
暇つぶしに売店で絵葉書を購入。いかにも「観光地」という感じの、わざとらしく美しい写真の絵葉書を3枚。宛先とメッセージを書きながら乗船開始を待つ。
そうしてジリジリと1時間ほど待ち、やっと乗船の時間が来た。
奥がミルフォード・マリナー号。某おニャン子クラブ会員番号36番をなぜか思い出す。
一列に並んで乗り込むと、まずは食堂に集められた。オリエンテーションである。テーブルには、ボトルに入ったぬるい水とグラス、そして各国語の案内が置いてある。
リーダーと思しき男性がマイクで説明を始めるが、私の英語力では、早口で何を言っているのかサッパリわからない。しかし、いくつかの断片から判断するに、テーブルの案内と同じことを言っているようである。よしよし、おっけおっけ、任しとけ。
そうして油断していると、今度はスタッフの自己紹介が始まった。やはり言ってることがわからない。案内の紙をひっくり返してみても、スタッフ紹介のようなものは書いていない。
別にスタッフがだれかわからなくても問題はないのだが、周りの白人達はゲラゲラ笑っているのが気になって仕方がない。一体何がそんなに面白いのか。
こういう時に、周りに合わせて曖昧に笑ってしまうのは日本人の美点であり欠点でもあるからして、笑うもんか、絶対笑わんぞ!などと考えているうちにオリエンテーションは終了した。
ふと周りの客を見ると、人種が偏っている。有色人種はアジア人のみ。家族連れ1組(日本人)、ヒゲのバックパッカー2人組(日本人)、そして我々(日本人)の5名。要は白人と日本人のみ。中国人もいない。いるとうるさいが、いないと寂しいのが中国人。オークランドにたくさんいた中国人は一体どこに行ったのか。客室に向かう途中、再び乗客を見回してみたが、他に同胞はいなかった。
部屋に入ると、そこは絵に描いたような船室である。備品類は全て固定式で、引き出しを押しても、びくりともしなかった。ベッド下には、緊急用のオレンジ色のライフジャケット。ドアを全開にすると自動でストッパーがかかり、壁に固定できる。気分が盛り上がるぜ・・・。
感心しながらくつろいでいると、船内放送が流れた。なんとか聞き取ったところでは、アクテビティが開始するので集まれ、と言っている。とりあえず部屋を出て、人の流れに乗って進むと、船後部のデッキに辿り着いた。
アクテビティは、カヌーか、エンジン付きのボートから選べるが、自力で漕ぐのはダルいのでボートを選択。赤いライフジャケットを受け取り、腰紐をキッチリ固定する。
ガイドのお兄さん(東南アジア系っぽいイケメン)の案内で、ホンダの船外機がついた小型ボートに乗り込む。
乗客は全部で14人くらい、他にもう一艘ある。全員乗り込むと舫が解かれ、ボートツアーの開始である。世界遺産の絶景の中、湖の上を風を切って進むボートはとても気持ちが良い。
遠く、我々の船を見ると、カヌーが2、30艘、プカプカ浮かんでいた。そのうち、一艘のカヌーが転覆したという知らせが入り、我々のボートもフルスピードで救助に向かった。やっとカヌー組のところに着くと、既に他のボートが救出した後だった。落ちた人には申し訳ないが、実はボートツアーで一番盛り上がったのは、この時である。救助に向かうためにスピードを上げると、皆キャアキャア言いながら楽しんでいた。まあ、無事で良かった。
船に戻ると、夕食タイム。席は勝手に指定され、6人がけのテーブルに相席で座る。
我々が食堂に向かうと、既に夫婦連れが1組座っていた。シカゴから来たという、少し神経質そうな奥様と、大雑把な感じの旦那さん。先ほど同じボートに乗っていたのを思い出した。軽く挨拶をして、夕食の開始を待っていると、もう1組の夫婦がやって来た。小柄でかわいい感じの奥さんと、ラインホルト・メスナーみたいなワイルドな旦那さん。イタリア人。タイルの会社を経営しているとのことで、日本のメーカーにも卸しているとのこと。
男女に分かれ、合コンのような席順で座ったため(発想がゲス)、うっかりガイジンに挟まれてしまった。
無理矢理書くとこんな感じ。
伊 夫 米
[ テーブル ]
伊 私 米
仕方なく、奥様3人で当たり障りない会話をするのだが(これが社交ってやつだな)、私は雑談が苦手である。目的もなく、目指すべき結論もない状態で、一体何を話せば良いのか。どこから来たのか、どれくらい滞在して、どこに行ったのか、当たり障りのない会話をひと通り終えると、ネタが尽きてしまった。
イタリア奥にニュージーランドを選んだ理由を聞かれたので「ペンギンに会いに来た!」と言うと、「あら、ペンギンね!」などと言いながら、アザラシの写真を見せてくれた(ペンギン関係ないじゃん、というのは置いておいて)。写真は2枚あり、メスナーがアザラシにちょっかいを出し、アザラシが怒っている。ワイルド過ぎだろう。
ふと、男性陣を見ると、お互い一言も発さずに「女の人っておしゃべり好きだよねー」みたいな目でこちらを見ていた。好きじぇねえよ、全然好きじゃない。もっとお前らも社交しろ。
さて、料理はパンとサラダ、スープがサーブされ、メインはブッフェ式である。ブッフェの開始前に、コック長がマイクでメニューの説明をしてくれる。この時点でデザートは出ていなかったのだが、コック長が「やあ、見てくれよ、素敵なデザートじゃないか!」とキウイジョークをかますと、食堂内がドッカンドッカン湧いた。
最後にコック長は、ブッフェはテーブルごとに順番に取りに行くように、と言った。我々のテーブルは一番最後だった。
「ちょっと損だわね」とイタリア奥。全く同感である。順番を待つ間に、どんどん料理が消えていく。
やっと我々の番が回ってきて、急いで料理を取る。料理は普通に美味しかったのだが、普通なだけに正直全く印象に残ってない。ああ、羊肉は美味しかった。さすがに新鮮である。その辺の羊をチョチョイっとドナドナして来たのだろう。(羊肉も熟成するのだろうか、それなら別に新鮮屠殺したてではないのか。)
間違えて隣のイタリア奥のグラスを使ってしまい、ごめんねーと言ってる側から再度間違えた時、なぜか爆笑された以外は、もはや会話もなくなっていた。
隣のテーブルでは、バックパッカー日本人が中心となり、何やら下品な話題で盛り上がっていた。よう知らんけど。
そしてお楽しみ、スイーツタイム。ニュージーランドの激甘メレンゲ菓子「パブロヴァ」やチョコレートケーキ、クランブルやフルーツなど、メインの料理と同じくらいの量と種類。
今度は我々のテーブルが一番最初である。皆ウキウキとした表情で、大皿にデザートをモリモリに積み上げる。釣られてモリモリにしてしまったが、どれもこれま虫歯になりそうな甘さ。美味しいか不味いかで言えば、甘い。なんとか完食したが、ものすごく口が甘かった。
ディナーを終えると、あとは自由時間である。19時も過ぎていたが、空は、まだ明るさが残っている。
船室でゴロゴロし、船内を彷徨ううちに、すっかり日が暮れた。ふとデッキから下を覗くと、アザラシが船に上がり込んで寝ていた。
タマちゃん。左の黒い細長いやつがソレ。
南十字星を探したが、それらしい十字の星座が2つあり、どちらが本物かわからなかった。スマホで調べたくても、そこは圏外。同定は諦めた。
部屋に戻り、ストレッチャーのようなベッドに横たわる。スクリューは止まっていたが、発電機なのか、小さく規則正しい振動音が気になって寝付けない。いや、少し緊張しているかもしれない、とも思う。
スマホに落としてきた本を読むうちに、いつのまにか眠りについていた。
翌朝、食堂で朝食をとり、部屋に戻ると、船は海の近くに移動したらしい。波が高く、船が大きく揺れるので、寝不足の私はすっかり酔ってしまった。そこから下船まで起き上がれなかったのだが、デッキに出ていた夫によると、またアザラシたちがいたらしい。
アザラシ。
実は、公式ホームページには「運がよければイルカやペンギンが姿を現すかもしれません。」などと書いてあったが、ペンギンなどどこにもいなかった。いたのはアザラシだけ。
まあ、このあたりのペンギンは、夏にはいなくなるのは知っていた。なので、仕方ない。別のペンギンスポットに期待することにした。
(この期待が裏切られるのは、これまでに書いた通り。)
船は昼前に港に着いた。ヨロヨロと這い出す。太陽が眩しい。
大きく伸びをして、車に戻った。
次の宿泊地はワイカワ。再びテ・アナウを経由して南へ向かう。小型船を牽引した車をやたらに見かけた。夏休みは湖でモーターボートで遊ぶ。まるでスネ夫の自慢話だ。きっとあのボートは3人用に違いない。
途中、熊谷市指した案内板が有名なブラフポイントに寄り、トイレに入ったが、地獄の汚さであった。便座に謎の黄色い液体が乗っている。しかも紙がない。
ブラフポイントの熊谷を指す案内板。ここにも中国人はいなかった。
この日の宿は「ワイカワ・ハーバービュー」というペンションである。
そこに着いた時には既に18時を回っており、スタッフらしき人はどこにもいなかった。ペンションの前には「受付は17時まで。それ以降は、xxx-xxxxまで電話してね。」と書いた看板がかかっていたが、携帯電話は圏外。電話できない。
部屋の前に回り込むと、ドアに鍵が刺さっている。このまま入って良いのだろうか。とにかく状況を打破できるもの、例えば公衆電話のような物がないか、周りを見るウロウロするが、何もない。
再び看板の前で途方に暮れていると、隣の民家から、背の高い老人が出てきた。眩しそうにこちらを見ながら「お前さんたちはペンションの客かね?」と問う。そうだ、と答えると、「部屋のドアに鍵が刺さっているから、開けて入るのじゃ。出る時は、鍵をテーブルの上に置いて行ってくれればいいんじゃよ。」と教えてくれた。
親切な隣人に感謝しつつ、部屋に入ると、「何かあったら、17時以降は、xxx-xxxxまで電話するか、お隣のジムに聞いてね!」と書いた紙が置いてあった。あの老人はジムというらしい。サンキュー、ジム。
部屋に荷物を置いて、鍵をかけ、車ですぐのところにあるキュリオベイに、ペンギンを見に行った。
それにしても、鍵を刺しっぱなしで放置するとは、大らかというかなんというか、すげえ治安がいいんだな、ということはよくわかった。
続く。