日日是女子日

細かすぎて役に立たない旅行ガイド

香港、蓮香居で朝食を

香港といえば飲茶である。

むしろ飲茶以外に何をするのか。雲呑麺か、焼味か。亀苓膏に涼茶、菠蘿包も捨てがたい。って意外とあるな。いや食いもんしかないな。

 

まあとにかく香港に行ったので飲茶してきたぜ、という話である。

 

 

行ってきたのは「蓮香居」、香港の老舗レストラン「蓮香樓」のゲリラ姉妹店である。

(本家に無断で姉妹店を名乗り、しばらく争った後、現在では正式に姉妹店として認められているとのこと。すげえな香港)

蓮香居は、今や少なくなった(らしい)ワゴン式の飲茶店である。

店内を点心の乗ったワゴンが回ってくるので、押しの強い香港人に負けじと群がり、目当てのものをゲット、ワゴンのおばちゃんから伝票にハンコをもらうシステムである。

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唐突にラジオ体操を思い出すこの感じ。

 

店内は混雑しているので、当然のように相席となる。今回も家族連れと、中年男性グループと相席になった。

同テーブルの人々は、互いに知り合いではないようだが、何やら世間話で盛り上がっていた。隣のテーブルの客とまで「それおいしい?」「まあまあかな」といった会話が交わされていた。

香港人は割とフランクだ。

 

と、家族連れの方のお母さんがこちらを見て、ニコニコと「ジャパニーズ?」と尋ねてきた。そうだと答えると、自分を指さして「香港人」という。

旅行で来たと言うと、我々を飲茶ビギナーと認識したらしい。「あれはもう冷めてるから取ってはダメ」「あれはおいしいから取って来なさい」など、親切にあれこれ教えてくれた。

(お父さんに取って来させた)おススメの点心も味見させてくれた。空気を含んだ糸状の衣に肉や野菜を包んで揚げた、紡錘形の食べもの。咸水角に似ているが、衣が餅ではなく、サクサクでとてもおいしかった。

同じものがワゴンで回ってきたので取ろうとすると、お母さんに「あれはさっき食べたから取らなくて良いわ」と止められてしまった。

 

このお母さん、とても世話好きな人のようで、手が汚れたらそれを拭く紙までくれた。この紙は、その家族のお父さんが何処より大量に持ってきたのだが、聞けばトイレの手拭き紙だという。

こういう「合理的」な感じは嫌いじゃない。

 

お母さんに勧められたり、止められなかったりして、ワゴンから取って食べたものは、以下の5つ。正式名称はわからないが、どれもとても美味であった。

  • 鶏の足のごはん(米が長粒種なのが良い)
  • シウマイ(味つけが素晴らしい)
  • 蒸し餃子(プリプリで安定感がある)
  • 鶏肉と椎茸の湯葉巻き(味がよくしみた椎茸がたまらない)
  • マーラーカオ(我が人生ベストマーラーカオに決定)

 

 

なお、お母さん曰く、蓮香居では急須でなく蓋碗でお茶を飲むべきであるらしい。

この蓋碗で飲むスタイル(曰くold style)は蓮香居以外の店では提供されていないらしく、「だからみんなこの店に来るのよ!」とお母さん自慢げ。なるほど良いことを聞いた。

急須と違い、蓋碗は飲む分だけのお湯を入れるので、薄まらずに風味が良いのだという。実際、急須と蓋碗で飲み比べさせてくれたが、本当に違っていて驚いた。

ちなみに、蓋碗からお茶を注ぐのはコツが必要で、お母さんは蓋碗の縁からジョボジョボこぼしてうまくない。

代わってお父さんが見本を見せてくれた。親指、中指で蓋碗を挟み、人差し指で蓋を押さえてパッと90度傾ける。勢いが必要なようだ。

とはいえ、熱々のお茶が入っていると、蓋碗も熱く、しかも満杯だと重いので、どうしてもトロトロとしか傾けられず、ジョボジョボになる。

シロウトは急須で飲むのが無難だろうが、ペーペー香港迷としては是非マスターしたい技ではある。

 

 

帰り際、お母さんとその長女に香港観覧車を猛プッシュされた。「たった20ドルよ!ここから歩いてすぐだから、ぜひ乗りなさい、たった15分だから予定も邪魔しないわ!」

なんとなく、大阪のおばちゃんとノリが似てるな、と思った。

広東語覚えようかな。(言ってみるだけ)

カッコよすぎるジジババと至福の音楽「ブエナビスタソシアルクラブアディオス」レビュー

18年前。まだ高校生だった私は、渋いジャケットに惹かれて、1枚のCDを買った。

ブエナビスタソシアルクラブ」のアルバムである。

複雑だけど心地の良いリズム、少し哀愁を帯びた優しいボーカル。何を歌っているのかさっぱりわからなかったが、ガキの耳にも、カッコいいことだけはわかった。それから何度も繰り返し聞いた。

映画も見ようと思ったことは覚えているが、どうしただろう、結局見ていないような気がする。全然覚えていない。

 

 

その続編が先日公開されたブエナビスタソシアルクラブアディオスである。

 

 

公式ページの言葉を借りると、

あれから18年、グループによるステージでの活動に終止符を打つと決めた現メンバーが、“アディオス”世界ツアーを決行、ヴェンダース製作総指揮で最後の勇姿を収めた音楽ドキュメンタリーが完成した。(中略)苦労した子供の頃のエピソード、ミュージシャンとしての不遇時代から、大成功のあとの華々しい世界ツアーまでも追いかける。

 

まあ、そんな内容ではある。

だが、この文章を読んで想像したものとは少し違った気がする。何かしらを深く掘り下げたドキュメンタリーを期待して観ると失望するかもしれない。色々詰め込みすぎて内容がとっ散らかっているし、その割に人物描写が物足りないような印象を受けた。

 

が、しかし。そういうものは、この映画においては枝葉だろう。

とにかく渋いジジイとイカしたババアにシビれ、熱く美しい音楽に聴き惚れていればよろしい。すげえかっけーから、能書き垂れてないで聞いてみな、Don’t think, feel. そういうやつ。それで十分。以上!

 

 

とはいえ、それだけではあまりに雑なので、印象に残ったことを少し書こう。

 

まず、彼らが、まるで息を吸うように音楽を奏でていたこと。それがとても心地良かったこと。

ヴォーカルのオマーラが「歌うことは生きること」と言い、ギターのエリアデスが「体に音楽が流れている」と言うように、演奏技術や表現力といったものではなく、体に染みついて、溢れ出てきたものをそのまま演奏しているのだろう。バンドが楽しそうな時は私も楽しい気持ちになったし、オマーラが悲しみながら歌うシーンでは涙がこぼれた。キューバという土地のせいなのか、長年の経験のなせる技なのか。

 

また、彼らのCDが世界的に売れて、成功を収めていく下りも、サクセスストーリーという感じがゼロであることも印象に残った。

何しろメンバーのほとんどが老齢で、杖なしでは歩くこともままならないメンバーすらいる。ツアーにバンド付の医者(!)が帯同し、ステージ前に血圧を測ったり、注射を打ったり。

若者のように「成功したぜイェー!」と、ただ前進すれば良いというものではない。どんなに有名になっても、残された時間は多くない。

突然の成功に戸惑いながら、老体に鞭打ち、世界を回る様子を見ていると、商業主義に踊らされる、社会主義国の彼らが気の毒に思えてくる。

それでも、ミュージシャンとしては、幸せでもあったのだろう。困惑しつつも、ステージでは本当に楽しそうな顔をしていた。

 

 

それでは、本作の評価をしよう。

主観的には★4.5、ツレはつまらなかったようなので、客観的には★3というところか。

 

 

おまけ。

ワールドツアーのラストは、ハバナの「カール・マルクス劇場」だった。さすが。

 

おまけその2

予測変換でポチポチやってたら、ブエナビスタソシアルクラブアディダスになってた。三重線で訂正いたしまふ。(修正済)

 

社会の歪みと女子の悩み

毎年、この季節になると女子が気にすることといえば、脇の毛である。アンダーアームヘアー。第二次性徴で生えてくるアレ。

 

チクチクの脇毛ちゃんたちをカミソリでジョリジョリやったり、毛抜きで「痛っ」と悶えたり、はたまたドラッグストアの除毛コーナーをうろついたりしていると、頭をよぎるのは永久脱毛である。幼気な毛根をレーザーで焼き殺す文明の利器!

昔は地獄の痛みと言われたそれも、近年は「輪ゴムでバチーン」程度の痛みであると聞く。

毎年、ネットで値段を調べては、皮膚科に行こうかどうしようか、と考えている。

 

 

しかし、どうしても踏み切れない。

 

永久というからには、もう一生、生えてこないのでしょう?やっぱり欲しいと思っても、再び生やすことはできないのでしょう?

本当に後悔しないだろうか。

 

例えば、フサフサの脇毛がブームになることは本当にありえないのだろうか。

ノースリーブのブラウスからの脇毛チラ見せ。白い肌と黒い脇毛とのコントラストがたまらなくセクシー。

あるいは、青やピンクのカラフル脇毛や、きっちり編み込まれたドレッド脇毛。見えないところのお洒落である。

えー、アナタ脇毛ないの?遅れてるー!

 

これらが本当にないと言えるか?

例えば10年前、再び太眉の時代が来ることなど予想できたか?私はずっと細眉が続くと信じていたぞ。

 

 

さらに言えば、脇毛が生えていない人が迫害されるような世の中は、絶対に訪れないと言えるだろうか?

かつて、猫を飼っているだけで魔女と決めつけられ、眼鏡をかけているだけで知識人階級と見なされ、迫害された人々がいたことを忘れてはならない。

脇毛が生えていないために、差別対象になることがないとも限らない。

 

 

ここで唐突に私の妄想が始まるのだが。

20XX年、広がるモテ格差(笑)や異常な少子高齢化により、社会の歪みが増大し、ピラミッドの底辺にいる人々の一部が過激派と化す。そして「娼婦狩り」のムーヴメントを生み出すのである。

「快楽のための性行為は堕落だ!皆に子孫を残す権利を!」というスローガンの下、「娼婦」と見なした女子を連行し、拷問の後、処刑する。反対する人もまた「娼婦」や「娼館の関係者」として連行されるため、皆じっと見守るだけだ。自分と家族を守るために、密告する人まで現れる。「娼婦狩り」は、じわりじわりと広がっていく。

 

彼らの言う「娼婦」の特徴にはいくつかあるが、決定的なものとして「脇毛が生えない」というものがある。

「二次性徴を迎えた成人女子に必ず生えるはずの脇毛がないということは、永久脱毛したために他ならない。そんな愚かしいことは男に媚を売る娼婦以外にする人はいない!」というのが彼らの言い分だ。言いがかりでしかないが、今や正義は彼らにあり。誰も反論できない。

そうして、本物の娼婦だけでなく、もともと体毛の薄い人や、薬の副作用で脇毛がなくなった人々、単に永久脱毛していただけの人々まで迫害されるのである。

 

あの時、なぜ永久脱毛などしてしまったのだろう。なぜ皮膚科に足を踏み入れてしまったのだろう。

カミソリでジョリジョリやったり、毛抜きで「痛っ」と悶えたり、はたまたドラッグストアの除毛コーナーをうろついたりしているだけでも十分幸せだったのに。

永久脱毛で脇毛を失った女は、愛する人にそう言い残して連れ去られていくのである。

 

そして人類は、また愚かな過ちを繰り返す。

ウラジオストク(郵便局編)

海外に旅行に行ったら、必ず自分宛に絵はがきを送っている。現地の人に混じって窓口に並んで切手を買ったり、ポストに投函したりすると、まるでそこで生活しているかのような気分に浸れるのだ。お国柄は、日常的なところに現れる。

 

そんな訳で、ウラジオストクでも、雑貨屋で絵はがきを買い求め、ホテルでこりこり書きつけ、郵便局に向かった。

 

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こちらがその絵はがき。下のロシア語は「おめでとう」という意味らしい。特にめでたいこともないが(脳みそ以外は)、不思議の国のウラジオストクでささやかな冒険、特別な日ではある。なんでもない日おめでとう。

 

郵便局は、ウラジオストクのほぼ向かいにある。すぐ近くには、スーパーマーケットやレーニン像があったりする。

 

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エータ、レーニン像。

 

ソ連崩壊から30年も経って、まだ像が残っていることも驚きだが、いつ行っても中国人観光客で賑わっているのがなかなかに趣深い。彼らはレーニンと同じポーズで集合写真を撮ったり、満面の笑みで自撮りしたり、とても満足そうであった。世界人民大団結万歳。

外国で見る中国人は、どの国であろうと、何やら楽しそうである。

 

 

そのような共産主義的喧騒を通り抜け、郵便局内に入ると、薄暗く、しんと静まり返っていた。

窓口と思われるところで、職員の女性に絵はがきを見せると、階段を指差し、静かな口調で何やら説明してくれた。この窓口ではないようだ。何を言われたのかはさっぱりわからなかったが、指示された階段を上ると、そこにも窓口が並んでいた。しかし、貯金窓口のような雰囲気である。

とりあえず、近くの窓口で絵はがきを見せると、「ニェット」と首を振り、右の方を指差し「あちらへ行け」と言う。そして「あちら」の窓口に行くと今度は「下は行け」と言われる。たらい回しである。

 

仕方なく、再び1階に下りると、先ほどは気づかなかった場所にドアがあった。まるでRPGである。

重い扉を恐る恐る開くと、そこにも窓口があった。中には職員の女性が3人、一斉に私を見つめてきた。

「ズドラーストビチェ」と挨拶し、一番仕事ができそうな女性に絵はがきを見せると、彼女はチラと一瞥した後、早口で何かをピシャリと言った。女性の仕草から「切手を買っていらっしゃい」と言われたと考え、「グジェ(どこ)?」と聞くと、ドアの外を指差した。

 

言われた通り、ドアの外に出たが、そこには最初に向かった窓口と、売店があるだけである。

売店は郵便局とは関係なさそうに見えたが、他に選択肢はない、レジに座っていた中年女性に絵はがきを見せると、何かを了解したように頷いた。ようやく正解にたどり着いたらしい。料金を調べて45ルーブル分の切手を貼ってくれた。

 

切手の貼られた絵はがきを持って、先ほどのドアを開けると、今度は私の後ろあたりを指差し、何やら言っている。

振り返ると、そこには青色の箱があり、上面にはがきが入る程度のスリットがあった。

ポストだろうか。窓口の女性が何を言っているのか全くわからないが、えいままよ、絵はがきを青い箱に放り込んだ。

 

「届かないかもしれないな」と諦めていたが、絵はがきは2週間後にちゃんと届いた。

たらい回しにされ、何度も「ニェット」と言われたが、それがむしろ異国の醍醐味というか、やはりロシアは妙にクセになる魅力がある。

 

これだから、外国から絵はがきを送るのはやめられない!

 

続く

無駄話と映画レビュー「わがチーム、墜落事故からの復活」

映画『わがチーム、墜落事故からの復活』を見てきた。

ブラジル・セリエA所属のサッカークラブ、シャペコエンセの選手、幹部、スタッフらを乗せたラミア航空2933便が墜落した事故の、その後を描いたドキュメンタリーである。

 

始めに断っておくと、私は全くサッカーファンではない。ルールも「手を使ったらハンド」程度の間抜けな知識しかない。確かジーコだかペレだかっていう神を信じる多神教徒の宗教儀式なんだよね。(もちろん冗談ですごめんなさい。)

 

そんな私ですら、当時、この悲劇的なニュースを知った時、とても悲しくなったのだ。サッカーを知らずとも、見に行く他あるまい。

 

そうして向かった新宿ピカデリー。改装して久しいが、入るのは実は初。なんだかやたらにオシャレ過ぎて、ピッと舌打ち。なんやあのオサレフォントは!

ピッと思いつつ、オシャレ発券機でチケットを買い、オシャレカウンターでコーヒーを買って5番シアターに向かう。

同じ時間帯に、今をときめくイケメン俳優が主演する映画が上映しているらしく、婦女子(腐ではないと思う)がポスターにキスしながら写真を撮っていたり、何やら華やかな雰囲気である。

キャッキャウフフキラキラ女子エリアを過ぎると、オッサンと、ユニフォーム着たサッカーオタク臭い男子と(ユニフォーム割あるからね)、意識高そうな面倒臭い系女子(私だ!)しかいなかった。「ドキュメンタリー映画あるある」である。仕方あるまい。

 

 

さて、無駄話はここまでにして、映画のレビューをば、いたしましょう。

 

 

映画は、2016年、シャぺコエンセが南米大陸選手権の決勝進出を決めるところから始まる。

監督も選手も、もちろんサポーターも歓喜に満ち、「決勝では命をかけて戦う」などと言う選手までいる。(この後の事故を知っている私は、命より大切な試合などないと思ってしまうのだが。)

そして、誰かが撮っていた飛行機内での和気藹々とした様子が流れる。

 

と、突然事故が起きる。

救助活動が行われ、僅かな生存者が病院に運ばれる。

 

ニュースが伝わると、町全体が悲しみに包まれ、町民たちはスタジアムに集まり、皆チームを思って泣いた。もともと、シャペコエンセは、小さな町のチームで、町の人々はみんな誰かを通じてチームの選手たちにつながっていた。チームとサポーターの距離が近く、とても暖かい雰囲気のチームであったのだ。彼らの衝撃はいかほどであっただろう。

 

そしてこの絶望の淵から、タイトルの通りシャペコエンセの復活劇が始まるのだ。

 

日本版の公式サイトからはエモーショナルな感動秘話や復活劇を予想させられるが、そう簡単な話ではない。

確かに、事故直後は深い悲しみがチームと街を覆い、人々の心は一つになっていた。

しかし、再建を薦める中で、事故から生還した選手、新しいチームの監督と事故後に寄せ集められた選手、事故を免れた選手たちの気持ちが噛み合わずすれ違う。そこに遺族たちの喪失感や現実的な困難が加わり、わかりやすい胸熱展開は繰り広げられない。事故後に参加した監督は新しい理想を、事故前からいる人は前のようなチームを求め、遺族たちは気持ちの整理がつかず、大黒柱を失って生活の不安を抱えている。皆、違う理想を求めている。しかし、それが簡単に一致しないのが常というものだ。生き残った者はその後も生き続けなければならないし、生きるとは現実であり、関係者全員の利害が一致する訳もない。

「みんな自分のことばっかりだな」と思ってしまう。しかしそれが当事者というものなのだろう。

 

そんな中で、生還したアラン、ネト、フォルマンの3選手は、どこに行ってもヒーローであり、復活のシンボルであった。にも関わらず、彼らは彼らだけで孤立しているようにも見えた。熱狂したり悲観に暮れる他の人々よりもずっと冷静で、事故の延長線上を生きているようだ。彼らにとって、事故は肌で触れた事実であり、大義名分ではないのだ。

事故を免れた他の選手との交流があまり描かれなかったのは、演出的な意図なのか、それとも事実なのか。

フォルマンは選手生命を断たれ、アランは復帰した。ネトを応援したい。

 

さて、レビューと銘打つからには評価をしよう。

十分に楽しめたが、途中で席を立った観客もおり、皆に薦められるかというと疑問である。人によっては退屈かもしれない。

という訳で、個人的には★★★★☆、客観的には★★★☆☆

 

 

おまけ。

後ろの席の人がずっと貧乏揺りをしていて、いい加減にしろ、と思ったら地震が起きた。震源地は千葉県東方沖で震度5弱

それからピタリと貧乏揺りが止まった。

あの人ナマズかなんかだったんですかね。

私の黒(光りする生き物の)歴史

本日は、紳士諸君が大好きなアイツについてお話ししたいと思う。

黒くて偏平で、ギラギラしていて、ピンと伸びた触角がチャームポイントのアイツである。

名前を書くのもおぞましいが、強いて言うならGKBRだ。つまりはコックのローチだ。

淑女の皆さんはもしかしたらお嫌いかもしれない。

 


賢明な諸君は当然ご存じのことだと思うが、やつらは飛翔はできない。できるのは滑空だけ。

高いところから飛び降りて、グライダーのように進んでいく、ただそれだけ。自ら飛び上がることはできないのだ。

 


そんなわけで、やつらが地面を這い回っている分には、恐れることは何もない。

怖いのは、こちらの目線の上にいる場合である。

高いところによじ登り、じっと身を伏せていたかと思うと、急に滑空する。

そして、なぜか必ずこちらに向かってくる。

なんという恐怖。もうみんな残らず火星にでも移住してください。

 

 

 

さて、ここで突然私の恋バナが始まる。タイトル通りの黒歴史である。

 

大学生時代、多忙な男の子と付き合っていた。

彼はバイトに部活にとても忙しく、なかなか会える時間がなかった。

たまに私の家に来て、ごはんを食べて、用事が済むと帰って行く。彼の部屋に会いに行こうとすると、素っ気なくかわされてしまう。


当然、浮気でもしてるのだろうと思っていた。もしかしたら私の方が浮気相手なのかもしれない。

それでも当時は「健気で一途なワタクシ」「甲斐甲斐しくごはんを作って待っているワタクシ」に酔っていたので、それなりに満足していた。


そんなある日、訳あって自分の部屋に戻れなくなった。一言で言えば、近所に出没する変質者に目をつけられたのである。

仕方なしに、彼の家に押しかけ、身を寄せることにした。

浮気か何か、証拠でも見つけてやろうという気持ちも多少あったかもしれない。

 


しかし、私が彼の家で見たものは、誰かの長い髪の毛でも、不審な化粧水でもなかった。

 


そこには、大量のゴミと大量のやつらがいた。あの、例の黒光りする仲間たちである。

 


1DKの汚部屋に、少なく見積もっても100匹くらいはいたであろう。

やつらは床をトロトロと歩いたり、触覚をヒクヒクさせたり、壁によじ登って滑空したりしていた。

多勢の余裕だろうか、優雅なものである。

 

しかし、他に行くあてなどない。

その時、私の中で何かが音を立てて壊れた。

 

とりあえず、床にいるものからゴキジェットで手当たり次第殺した。

(ゴキジェットがあるくせに、なんで使わなかったんだろうな、あの男は)

そのうち、薬剤を噴射するより、缶の底で潰した方が確実で早いことを学んだ。

最初は気持ちが悪かったが、そのうち何も感じなくなった。

地を這い回るやつらなど恐るるに足らず。ひたすらに潰した。

 


それからは、戦いの日々であった。


まず、片っ端からゴミを捨てて掃除しまくった。

ゴミを持ち上げると、影には必ずそれがいた。

流しの下を開けたら、ジッと休んでいたヤツと目が合った。


部屋中をひっくり返して、卵を集めて捨てた。小豆をこぼしたように卵があった。タンスの中にまで卵があった。


ゴキブリホイホイを買ってきて、部屋中に設置した。

一晩経って、そっと覗くと、5匹くらいずつ捕らわれていた。

粘着シートの上で身動きも出来ずに、触覚だけがフワフワ動いていた。やつらの静かな息づかいが聞こえるようだった。

設置したホイホイを集め、命ごと捨てるのは気が滅入った。


あまりにキリがないので、バルサンを買ってきて、彼がバイトに行っている隙に燻蒸した。

所定時間後、部屋に戻ると、トルメキア軍もろとも壊滅したペジテ市みたいになっていた。

ひっくり返って死んだ蟲たちを割り箸でつまんで袋に入れながら、玄関から部屋の奥まで進んだ。


帰ってきた彼氏に褒めてもらえるかと思ったら、「殺生は好かん」と冷たく言われた。

「生きものに優しくて素敵」と思った。

彼が部屋に呼んでくれなかったのは、少なくとも、ヒトへの浮気ではなかったのだ。満足した。

 


その頃の私は、確かに何かか壊れていたのだろう。どこで聞いたのだったか、こんな話を思い出した。

昔々あるところに、夫婦が仲良く暮らしていた。

ある時、夫が出かけている間に、妻が鬼にさらわれてしまった。

帰宅して妻がいないことに気づいた夫は、悲しみに暮れながら必死で探した。

やっとの思いで見つけた妻は、幸せそうに鬼のパンツを洗っていた。

 

それから1年くらい付き合ったが、何が原因だったか、ふいと別れてしまった。

あの哀れな捕らわれのGKBRを思い出す。

それでも私は幸せだったのだ。

ウラジオストク(パーティーロック編)

太平洋艦隊編の続きである。

 

太平洋艦隊博物館を出ると、ちょうど昼前だったので、腹ごなしも兼ねて市街地まで歩いて戻ることにした。海沿いの道をまっすぐ行けば、中央広場に着くはずである。

 

歩道には人が溢れ、何やら賑わっている。

人を避けながら歩いていると、ガラガラの車道をランニングウェアを着た集団がこちら方面に向かって走って来た。

 

ここで腑に落ちた。朝のあの異様な雰囲気はマラソン大会だったのだ。(前々回の伏線、これにて回収。)

 

ラソン大会とは言っても、犬と一緒に走っていたり、お友達とキャッキャウフフしていたり、何やら自由な雰囲気である。プラカードを持っている人までいる(デモなのか)。そして皆、のんびりとしたスピードである。

これは、きっとウラジオストク市民ふれあいマラソンとか、そんなユルい大会なのだろう。または、速さを競うのは目的ではなく「同志みんなで走ろう会」のような更にユルい催しなのかもしれぬ。

 

そんなユルランナーたちをホノボノと眺めていると、今度は逆方向から猛スピードのガチランナーがやってきた。

ストライドが先ほどのユル集団と倍は違う。ぐいぐいと、力強く進んで行く。

それを追うように、セグウェイカメラマンがスイスイ進む。

トップランナーを見る限りは、全くユルくない、ちゃんとしたマラソン大会のようである。

 

要するに、ユルランナーたちは単にビリグループだった訳である。

何キロのコースなのかは知らないが、トップランナーは既に折り返し地点を過ぎて、まだユルランナーたちが和気藹々と走る(たまに歩く)地点まで戻ってきたのだ。

トップランナーの後を、続々とガチランナーたちが走ってくる。

 

と、後ろから、「ウラー!ウラー!」という雄叫びが聞こえた気がした。

しかし、振り返っても何も見えない。

 

「ウラー!ウラー!」

今度ははっきりと聞こえた。赤軍か。赤軍の突撃なのか。それともロシア式声援なのか。

 

「ウラー!ウラー!」

どんどん近づいてくる雄叫び。

 

叫んでいたのは、青黒の揃いのジャージを着たランナー集団であった。

10人はいただろうか。そのうち1人は、白地に青のバッテンの旗を掲げていた。ロシア海軍旗である。

ということは、ロシア海軍の皆様である。太平洋艦隊の皆様かもしれない。全員ガチムチで、足並みも揃っている。

「ウラー!」と叫びながら、猛スピードで駆け抜けて行った。息も切らしていない。

 

本場の、しかも本職のウラーに出会えたことに興奮を抑えきれないが、1人旅のため、誰とも共有できない。とりあえず日本にいる夫にLINEで報告。

 

さらにテクテク歩いて行くと、中央広場が見えてきた。

そして、広場の手前にゴールがあった。

 

ゴールでは、LMFAOのParty Rock Anthemが爆音でかかっていた。

 

ご存知とは思うが、これな。


LMFAO ft. Lauren Bennett, GoonRock - Party Rock Anthem (Official Video)

 

ウラジオストクに来て、ポールモーリアだのテレサテンだのは聞いたが、ロシアンポップのようなものはどこでも一切耳にしなかった。なぜだろうか。

カチューシャすら流れていなかった。一応ロシア語で歌えるようにしていったのに。

 

既にゴールしていたロシア海軍の皆様は、時々思い出したように「ウラー!」と叫んでいる。

もうええっちゅうねん。

 

 

続く。かもしれない。