日日是女子日

細かすぎて役に立たない旅行ガイド

無駄話と映画レビュー「わがチーム、墜落事故からの復活」

映画『わがチーム、墜落事故からの復活』を見てきた。

ブラジル・セリエA所属のサッカークラブ、シャペコエンセの選手、幹部、スタッフらを乗せたラミア航空2933便が墜落した事故の、その後を描いたドキュメンタリーである。

 

始めに断っておくと、私は全くサッカーファンではない。ルールも「手を使ったらハンド」程度の間抜けな知識しかない。確かジーコだかペレだかっていう神を信じる多神教徒の宗教儀式なんだよね。(もちろん冗談ですごめんなさい。)

 

そんな私ですら、当時、この悲劇的なニュースを知った時、とても悲しくなったのだ。サッカーを知らずとも、見に行く他あるまい。

 

そうして向かった新宿ピカデリー。改装して久しいが、入るのは実は初。なんだかやたらにオシャレ過ぎて、ピッと舌打ち。なんやあのオサレフォントは!

ピッと思いつつ、オシャレ発券機でチケットを買い、オシャレカウンターでコーヒーを買って5番シアターに向かう。

同じ時間帯に、今をときめくイケメン俳優が主演する映画が上映しているらしく、婦女子(腐ではないと思う)がポスターにキスしながら写真を撮っていたり、何やら華やかな雰囲気である。

キャッキャウフフキラキラ女子エリアを過ぎると、オッサンと、ユニフォーム着たサッカーオタク臭い男子と(ユニフォーム割あるからね)、意識高そうな面倒臭い系女子(私だ!)しかいなかった。「ドキュメンタリー映画あるある」である。仕方あるまい。

 

 

さて、無駄話はここまでにして、映画のレビューをば、いたしましょう。

 

 

映画は、2016年、シャぺコエンセが南米大陸選手権の決勝進出を決めるところから始まる。

監督も選手も、もちろんサポーターも歓喜に満ち、「決勝では命をかけて戦う」などと言う選手までいる。(この後の事故を知っている私は、命より大切な試合などないと思ってしまうのだが。)

そして、誰かが撮っていた飛行機内での和気藹々とした様子が流れる。

 

と、突然事故が起きる。

救助活動が行われ、僅かな生存者が病院に運ばれる。

 

ニュースが伝わると、町全体が悲しみに包まれ、町民たちはスタジアムに集まり、皆チームを思って泣いた。もともと、シャペコエンセは、小さな町のチームで、町の人々はみんな誰かを通じてチームの選手たちにつながっていた。チームとサポーターの距離が近く、とても暖かい雰囲気のチームであったのだ。彼らの衝撃はいかほどであっただろう。

 

そしてこの絶望の淵から、タイトルの通りシャペコエンセの復活劇が始まるのだ。

 

日本版の公式サイトからはエモーショナルな感動秘話や復活劇を予想させられるが、そう簡単な話ではない。

確かに、事故直後は深い悲しみがチームと街を覆い、人々の心は一つになっていた。

しかし、再建を薦める中で、事故から生還した選手、新しいチームの監督と事故後に寄せ集められた選手、事故を免れた選手たちの気持ちが噛み合わずすれ違う。そこに遺族たちの喪失感や現実的な困難が加わり、わかりやすい胸熱展開は繰り広げられない。事故後に参加した監督は新しい理想を、事故前からいる人は前のようなチームを求め、遺族たちは気持ちの整理がつかず、大黒柱を失って生活の不安を抱えている。皆、違う理想を求めている。しかし、それが簡単に一致しないのが常というものだ。生き残った者はその後も生き続けなければならないし、生きるとは現実であり、関係者全員の利害が一致する訳もない。

「みんな自分のことばっかりだな」と思ってしまう。しかしそれが当事者というものなのだろう。

 

そんな中で、生還したアラン、ネト、フォルマンの3選手は、どこに行ってもヒーローであり、復活のシンボルであった。にも関わらず、彼らは彼らだけで孤立しているようにも見えた。熱狂したり悲観に暮れる他の人々よりもずっと冷静で、事故の延長線上を生きているようだ。彼らにとって、事故は肌で触れた事実であり、大義名分ではないのだ。

事故を免れた他の選手との交流があまり描かれなかったのは、演出的な意図なのか、それとも事実なのか。

フォルマンは選手生命を断たれ、アランは復帰した。ネトを応援したい。

 

さて、レビューと銘打つからには評価をしよう。

十分に楽しめたが、途中で席を立った観客もおり、皆に薦められるかというと疑問である。人によっては退屈かもしれない。

という訳で、個人的には★★★★☆、客観的には★★★☆☆

 

 

おまけ。

後ろの席の人がずっと貧乏揺りをしていて、いい加減にしろ、と思ったら地震が起きた。震源地は千葉県東方沖で震度5弱

それからピタリと貧乏揺りが止まった。

あの人ナマズかなんかだったんですかね。

私の黒(光りする生き物の)歴史

本日は、紳士諸君が大好きなアイツについてお話ししたいと思う。

黒くて偏平で、ギラギラしていて、ピンと伸びた触角がチャームポイントのアイツである。

名前を書くのもおぞましいが、強いて言うならGKBRだ。つまりはコックのローチだ。

淑女の皆さんはもしかしたらお嫌いかもしれない。

 


賢明な諸君は当然ご存じのことだと思うが、やつらは飛翔はできない。できるのは滑空だけ。

高いところから飛び降りて、グライダーのように進んでいく、ただそれだけ。自ら飛び上がることはできないのだ。

 


そんなわけで、やつらが地面を這い回っている分には、恐れることは何もない。

怖いのは、こちらの目線の上にいる場合である。

高いところによじ登り、じっと身を伏せていたかと思うと、急に滑空する。

そして、なぜか必ずこちらに向かってくる。

なんという恐怖。もうみんな残らず火星にでも移住してください。

 

 

 

さて、ここで突然私の恋バナが始まる。タイトル通りの黒歴史である。

 

大学生時代、多忙な男の子と付き合っていた。

彼はバイトに部活にとても忙しく、なかなか会える時間がなかった。

たまに私の家に来て、ごはんを食べて、用事が済むと帰って行く。彼の部屋に会いに行こうとすると、素っ気なくかわされてしまう。


当然、浮気でもしてるのだろうと思っていた。もしかしたら私の方が浮気相手なのかもしれない。

それでも当時は「健気で一途なワタクシ」「甲斐甲斐しくごはんを作って待っているワタクシ」に酔っていたので、それなりに満足していた。


そんなある日、訳あって自分の部屋に戻れなくなった。一言で言えば、近所に出没する変質者に目をつけられたのである。

仕方なしに、彼の家に押しかけ、身を寄せることにした。

浮気か何か、証拠でも見つけてやろうという気持ちも多少あったかもしれない。

 


しかし、私が彼の家で見たものは、誰かの長い髪の毛でも、不審な化粧水でもなかった。

 


そこには、大量のゴミと大量のやつらがいた。あの、例の黒光りする仲間たちである。

 


1DKの汚部屋に、少なく見積もっても100匹くらいはいたであろう。

やつらは床をトロトロと歩いたり、触覚をヒクヒクさせたり、壁によじ登って滑空したりしていた。

多勢の余裕だろうか、優雅なものである。

 

しかし、他に行くあてなどない。

その時、私の中で何かが音を立てて壊れた。

 

とりあえず、床にいるものからゴキジェットで手当たり次第殺した。

(ゴキジェットがあるくせに、なんで使わなかったんだろうな、あの男は)

そのうち、薬剤を噴射するより、缶の底で潰した方が確実で早いことを学んだ。

最初は気持ちが悪かったが、そのうち何も感じなくなった。

地を這い回るやつらなど恐るるに足らず。ひたすらに潰した。

 


それからは、戦いの日々であった。


まず、片っ端からゴミを捨てて掃除しまくった。

ゴミを持ち上げると、影には必ずそれがいた。

流しの下を開けたら、ジッと休んでいたヤツと目が合った。


部屋中をひっくり返して、卵を集めて捨てた。小豆をこぼしたように卵があった。タンスの中にまで卵があった。


ゴキブリホイホイを買ってきて、部屋中に設置した。

一晩経って、そっと覗くと、5匹くらいずつ捕らわれていた。

粘着シートの上で身動きも出来ずに、触覚だけがフワフワ動いていた。やつらの静かな息づかいが聞こえるようだった。

設置したホイホイを集め、命ごと捨てるのは気が滅入った。


あまりにキリがないので、バルサンを買ってきて、彼がバイトに行っている隙に燻蒸した。

所定時間後、部屋に戻ると、トルメキア軍もろとも壊滅したペジテ市みたいになっていた。

ひっくり返って死んだ蟲たちを割り箸でつまんで袋に入れながら、玄関から部屋の奥まで進んだ。


帰ってきた彼氏に褒めてもらえるかと思ったら、「殺生は好かん」と冷たく言われた。

「生きものに優しくて素敵」と思った。

彼が部屋に呼んでくれなかったのは、少なくとも、ヒトへの浮気ではなかったのだ。満足した。

 


その頃の私は、確かに何かか壊れていたのだろう。どこで聞いたのだったか、こんな話を思い出した。

昔々あるところに、夫婦が仲良く暮らしていた。

ある時、夫が出かけている間に、妻が鬼にさらわれてしまった。

帰宅して妻がいないことに気づいた夫は、悲しみに暮れながら必死で探した。

やっとの思いで見つけた妻は、幸せそうに鬼のパンツを洗っていた。

 

それから1年くらい付き合ったが、何が原因だったか、ふいと別れてしまった。

あの哀れな捕らわれのGKBRを思い出す。

それでも私は幸せだったのだ。

ウラジオストク(パーティーロック編)

太平洋艦隊編の続きである。

 

太平洋艦隊博物館を出ると、ちょうど昼前だったので、腹ごなしも兼ねて市街地まで歩いて戻ることにした。海沿いの道をまっすぐ行けば、中央広場に着くはずである。

 

歩道には人が溢れ、何やら賑わっている。

人を避けながら歩いていると、ガラガラの車道をランニングウェアを着た集団がこちら方面に向かって走って来た。

 

ここで腑に落ちた。朝のあの異様な雰囲気はマラソン大会だったのだ。(前々回の伏線、これにて回収。)

 

ラソン大会とは言っても、犬と一緒に走っていたり、お友達とキャッキャウフフしていたり、何やら自由な雰囲気である。プラカードを持っている人までいる(デモなのか)。そして皆、のんびりとしたスピードである。

これは、きっとウラジオストク市民ふれあいマラソンとか、そんなユルい大会なのだろう。または、速さを競うのは目的ではなく「同志みんなで走ろう会」のような更にユルい催しなのかもしれぬ。

 

そんなユルランナーたちをホノボノと眺めていると、今度は逆方向から猛スピードのガチランナーがやってきた。

ストライドが先ほどのユル集団と倍は違う。ぐいぐいと、力強く進んで行く。

それを追うように、セグウェイカメラマンがスイスイ進む。

トップランナーを見る限りは、全くユルくない、ちゃんとしたマラソン大会のようである。

 

要するに、ユルランナーたちは単にビリグループだった訳である。

何キロのコースなのかは知らないが、トップランナーは既に折り返し地点を過ぎて、まだユルランナーたちが和気藹々と走る(たまに歩く)地点まで戻ってきたのだ。

トップランナーの後を、続々とガチランナーたちが走ってくる。

 

と、後ろから、「ウラー!ウラー!」という雄叫びが聞こえた気がした。

しかし、振り返っても何も見えない。

 

「ウラー!ウラー!」

今度ははっきりと聞こえた。赤軍か。赤軍の突撃なのか。それともロシア式声援なのか。

 

「ウラー!ウラー!」

どんどん近づいてくる雄叫び。

 

叫んでいたのは、青黒の揃いのジャージを着たランナー集団であった。

10人はいただろうか。そのうち1人は、白地に青のバッテンの旗を掲げていた。ロシア海軍旗である。

ということは、ロシア海軍の皆様である。太平洋艦隊の皆様かもしれない。全員ガチムチで、足並みも揃っている。

「ウラー!」と叫びながら、猛スピードで駆け抜けて行った。息も切らしていない。

 

本場の、しかも本職のウラーに出会えたことに興奮を抑えきれないが、1人旅のため、誰とも共有できない。とりあえず日本にいる夫にLINEで報告。

 

さらにテクテク歩いて行くと、中央広場が見えてきた。

そして、広場の手前にゴールがあった。

 

ゴールでは、LMFAOのParty Rock Anthemが爆音でかかっていた。

 

ご存知とは思うが、これな。


LMFAO ft. Lauren Bennett, GoonRock - Party Rock Anthem (Official Video)

 

ウラジオストクに来て、ポールモーリアだのテレサテンだのは聞いたが、ロシアンポップのようなものはどこでも一切耳にしなかった。なぜだろうか。

カチューシャすら流れていなかった。一応ロシア語で歌えるようにしていったのに。

 

既にゴールしていたロシア海軍の皆様は、時々思い出したように「ウラー!」と叫んでいる。

もうええっちゅうねん。

 

 

続く。かもしれない。

 

ウラジオストク(太平洋艦隊編、その2)

太平洋艦隊博物館のゲートの先は、階段になっている。

降りると、大砲や、小型潜水艇(だろうか)が、博物館をぐるりと取り囲むように展示してある。いきなり大迫力である。

f:id:suzpen:20180623203543j:image

 

ほう立派な、と眺めていると、厳しい表情の長身の老人が近づいてきた。

もしや休館日か、と身構えつつ「ズトラーストビチェ」と挨拶すると、“Chinese? Korean?”と聞いてくる。「ジャパニーズ」と答えると、少し考えた後に、「コニチワ、アリガートウ」と言って自慢げである。よく見ると目の端に微笑らしきものが浮かんでいる。

丁寧に博物館の入口まで案内し、”Enjoy!”と言って去っていった。

 

怖い人かと思ったら普通にいい人。もはやお馴染みのパターンである。顔が怖いだけに、親切にされるとやたらと感激する。

それにしても、ロシアのオッサンというのは、なぜ皆あんなに顔が怖いのか。子供は紅顔の美少年、若者は白皙の美青年なのに(白人だから当たり前)、それより年を取ると、いきなりロシアンマフィアである。中間がいない。美青年とロシアンマフィアの間がミッシングリンク

 

さて。

入口の重い扉を開けると、中にいた警備員のオッサンが上を指さし「セカンドフロア」と言う。

言われるがままに階段を上ると、チケット売り場らしき場所には人がいない。あたりをぐるりと回っても見つからないので、再び降りて先ほどのオッサンに聞いてみることにした。

ロシア語ができないので、Google翻訳のお出ましである。

「チケットを買いたいのですが、売り場に誰もいません」

スマホをオッサンに見せると、少し考えて、別のオッサンBを連れてきた。オッサンBは何やら陽気な雰囲気である。

 

オッサンBに連れられて2階に上がると、チケット売り場をスルーして展示室に入り、ここを見てろと言う。チケットはいらないのか、と聞いても展示の説明をするだけで、全く会話が噛み合わない。

説明といっても、私が全くロシア語を解さないので、写真を指さしては「これは誰」などと言うだけである。ノーリアクションも申し訳ないので、説明を受けるたびに、言われた名前を復唱しておいた。すると、オッサンBは「そうだ」と言わんばかりに真剣に頷く。親切な人なのは間違いない。

そのうち、日本のどこから来た、と聞くので、(神奈川と言ってもわからんだろう)と、「ヨコハマ」と答える。するとオッサンB、「カナガーワ!」と返してくる。まさかの返答。なかなかやり手である。

 

そんなやりとりを数分続けて、「とにかくここを見てろ」と言ってオッサンBは去っていった。

一人になり、目的の日露戦争の展示をじっくり見る。

海戦図だとか、プロパガンダポスターと思しき日本艦隊がボッコボコにやられてる絵など、説明文は読めないものの、なかなか面白い。

東郷平八郎や戦艦三笠の写真は見つけたが、クニャージ・スヴォーロフの写真は見つけられなかった。ないはずはないので、おそらく見落としたのだろう。

 

日露戦争の展示を見終わると満足しつつ、隣接した第一次世界大戦の展示室に入った。

フーン、と見ていると、先ほどのオッサンBと、アジア人女性が入ってきた。彼女はロシア語が堪能なようだ。見るからに日本人らしき風貌だったが、果たしてそうであった。

親切なオッサンBは、私を呼ぶと、彼女にジャパニーズ、カナガーワと紹介した。同様に、彼女はジャパニーズ、ヒロシーマとのことであった。しばし日本人的曖昧スマイルで挨拶。

その後、チケットを買えたか彼女に聞いてみたが、やはり「展示の説明ばかりされて全然答えてくれない」らしい。

ロシア語のできる彼女ですら、その有様であれば、何か複雑な事情があるのだろう。

 

彼女にロシア語が通じるのが嬉しいらしく、オッサンBはかなり熱心に説明している。一瞬、混ぜてもらって彼女に通訳してもらおうかとも思ったが、若干腹も減ってきたので、一人で第一次大戦の展示を後にした。

 

そのまま第二次世界大戦の展示室に入ろうとして、チケット売り場に老婆がいることに気づいた。(もしや、単にチケット係が遅刻してただけではあるまいな。)

上品な雰囲気の老婆に100ルーブル払い、これで一安心である。

それにしても、ロシアのお年寄りは元気である。

 

不勉強なもので、第二次世界大戦ロシア海軍というのがいまいちピンと来ていなかったのだが、展示を見てもよくわからなかった。

しかし、ドイツが嫌いなことだけはよくわかった。

 

先の大戦の展示を見終わると、3階に上がり、「現代のロシア海軍と世界との交流」のような展示を見る。

我らが海自の制服や、なぜか兜が展示されていると思ったら、アフリカの民芸品や、北朝鮮の壺だの金日成肖像画だの、何やらカオスな展示である。

他に、ロシアの現代の潜水服?のような展示もあったが、よくわからなかった。

 

最後がやや消化不良ではあったが(私が無知なことも原因だろうが)、存分に堪能して博物館を後にした。

 

なかなか興味深い博物館であった。説明やレイアウトなど、丁寧に人の手で作り込んだ感じがする。

もう少しロシアの歴史を勉強してから再訪したい。

 

パーティーロック編に続く。

 

おまけ。

展示してあったロシア領土の地図。

f:id:suzpen:20180625215851j:image

国後択捉がバッチリ入ってますぞ!

ウラジオストク(太平洋艦隊編、その1)

ウラジオストクといえば、太平洋艦隊である。

 

最近、私の中で日露戦争モノが熱いのだが、バルチック艦隊こと第二、第三太平洋艦隊が、遠き西の果てからドンブラコと向かった先もウラジオストクであった。

不幸なことに(我々日本人にとっては幸運なことだが)、ウラジオストクに辿り着く前に、彼らは、天気晴朗ナレドモ波高キ日本海で撃滅されてしまった。

ちなみに、日露戦争における私のヒーローは児玉源太郎である。(陸軍じゃん。)

 

そんな訳で、私が今回のウラジオストク旅行において最も楽しみにしていたのは、「太平洋艦隊博物館」であった。

 

この太平洋艦隊博物館は、今回宿泊したヴェルサイユホテルから離れたところにある。

歩けない距離ではないが、小銭もゴッソリたまってきたことであるし(オツリがいちいち細かいのだ、10ルーブルの釣銭を2ルーブルコイン5枚で渡してきたりする)、路線バスに乗ってみるのもまた一興であろう。

 

31番のバスに乗れば着くらしい。とりあえずホテル近くのバス停で待っていると、それほど待たずに目的のバスがやってきた。

前のドアからバスに乗り込み、21ルーブルを支払う。

支払うといっても、「さあ払いますよ」とジェスチャーしながら、運転席の横にある台に小銭を並べただけである。これが正しいかは知らないが、他にも多くの小銭が置いてあったから、間違いでもないのだろう。

信号で止まると、運転手は台から小銭を回収して、チャッチャッと音を立てて数えていた。

 

 

ウラジオストク駅に着くと、バスは停車したまま動く様子がない。乗客も皆降りてしまった。どうやらここが終着らしい。

しかし、終着ということは始発でもある。このまま待っていればいつかは発車するだろう。

 

ノンビリ構えていると、突然眼光鋭いオッサンが乗り込んできて、大声で運転手に何やら絡み始めた。

運転手も何やら怒鳴り返し、喧嘩のような雰囲気である。これはマズい。

オッサンの服は薄汚く、痩せこけている。まだ午前中なのに既に酔っているのか、呂律が回っていない。関わると面倒臭そうである。目を合わせないように、「私は空気」オーラを身にまとう。

 

しかし、オッサンは私に気づくと、近づいてきて早口で何やら怒鳴ってきた。なんとなく降りろと言っている気がする。(第六感である。)

「降りろってこと?」外を指して日本語で聞くと「ダー」と言う。何がダーなのか知らないが、仕方なくオッサンと一緒にバスを降りる。

 

駅で降りたところでどうしようもない。私は太平洋艦隊博物館に行きたいのだ。クニャージ・スヴォーロフの写真が見たいのだ。

 

ふとオッサンを見ると、運転手と談笑しながら、外でタバコを吸い始めている。

 

ここで気づいた。これはロシアあるある「怒鳴られたと思ったら、普通に話しているだけだった」なのだろう。

よく見ると、何かの障がいがあるようで、動きがぎこちない。呂律が回っていないのも、きっとそのせいであろう。案外いいやつかもしれぬ。

試しにオッサンに、地図を指さし「ヤハチューパイチー(I want to goの意)」と話しかけてみると、別の31番バス(!)の前まで連れて行ってくれた。さらに一緒にバスに乗り込むと、運転手に「この人を頼むよ」と話をつけてくれたようだ。(完全に第六感である。)

去りゆくオッサンにスパシーバ連呼。

 

ポケットから新たに21ルーブルを取り出して台に並べ、ここで得意の「ヤハチューパイチー(地図を指さし)」を運転手に繰り出す。

運転手は、パリッとアイロンのかかった清潔なシャツを着た知的な中年紳士である。ややダニエル・クレイグ似。

地図を見てもピンと来ていない様子なので「ここがヴラジヴォストークバグザール、ヤハチューパイチー、ここ」などと日露チャンポンで話すと、片頬あたりに「わかったぜ」という表情が浮かんだ(気がした)ので、席に座り、バスの発車を待つことにした。

 

エンジンがかかり、いよいよ発車となった時、先ほどのオッサンが再び乗り込んできて、私の後ろの席に座った。

私の肩をコツコツ叩き、「降りる時教えてやるからな」と言っている。(もちろん第六感である)

 

走り出したバスは、まもなく中央広場に停車した。要人でも来るのか、何かイベントがあるのか、警備員がたくさん集まっている。

後ろのオッサンは窓を開け、身を乗り出して、警備員に何やら怒鳴っている。バスが動き出しても、腕を伸ばして警備員の肩をパシーンと叩いたりしていた。

 

ふと、バスが規定のルートを逸れていることに気づいた。要人訪問だがイベントだかのせいで通行止めになっているのだろう、大きく迂回して、太平洋艦隊博物館から少し離れた場所にバスは停車した。

後ろのオッサンと運転手から同時に「ここで降りるんだ」と教えてもらい(第六感)、なぜか合掌しながらスパシーバを連呼して、バスを降りた。

 

Googleマップを見ながら太平洋艦隊博物館まで歩く。

中央広場からは離れているのに、ここにも警備員が何人かおり、車も全く走っていない。

これから何が始まるのだろうか。面倒なことにならなければ良いが。

少しだけ不安を抱きながら、博物館の門をくぐった。

 

その2に続く。

 

ウラジオストク(兵隊さんスペシャル)

ロシアといえば、世間はサッカーW杯で賑わっているが、空気を読まずにウラジオストクの話題を続行する次第である。

 

ウラジオストクは、言わずと知れたロシアの重要軍港である。以前は閉鎖都市で、外国人が立ち入ることはできなかったらしい。

ここで我らがGoogleマップウラジオストク港を見てみよう。ここに砲台を置き、ここに虎の子の戦艦を温存して、と考えると、素人目にも良い軍事拠点なのがよくわかる。

 

そんなわけで、ここウラジオストクには、ミリオタの皆様が涎を垂らして吼えるであろうスポットがテンコ盛り盛りなのである。通りを歩けば砲弾に当たる勢い。

それだけでなく、街中で、セーラー服の水兵さんが、ピロシキをモグモグ食べながら歩いていたり、陸軍の巨大なトラックが爆走していたりする。まさしく軍事都市である。

(ちなみに、ピロシキは立地から考えると、「ピラジョーチニッツァ」のピロシキであったと思われる。美味!)

 

私は全くミリオタではないけれども、まあせっかくなので、軍事関係の博物館に色々行ってみた。

 

 

まずは、要塞博物館。

f:id:suzpen:20180619201923j:image

海岸通りの水族館「オケアナリウム」の隣にある階段の上に入口がある(わかりづらい)。

200ルーブル。薬中みたいな怖めのオニーサンがチケットを売っていた。

 

張り切って開館直前に行ったら、既に10人くらいの中国人が並んでいた。

ゲートが開くと、私の前に並んでいた中国人たちはワラワラとなだれ込み、入口付近に飾られた砲台だの、潜水艦から取り外した艦砲(多分)だのを取り囲んで一斉に自撮りを開始した。

その後、ろくに展示も見ずに、嵐のように立ち去って行った。

まあ、本人たちは満足そうなので、何よりである。(中国人のこういう、色々割り切ったところは嫌いじゃない。)

 

ここには他にも、移動式砲台、戦車、魚雷、機雷などの兵器から、要塞の模型や当時の道具類などがあり、(ちゃんと見れば)しっかりと見応えのある博物館である。

機雷ってこんなに大きかったのか!と驚いた。

要塞の屋根によじ登ることもできる。(少なくとも注意はされなかった。)

 

 

なお、要塞博物館を降りたところにこじんまりとした遊園地がある。

f:id:suzpen:20180619205001j:image

 

帰りに横を通りかかると、テレサテンの「愛人」がBGMで流れていた。その次に流れてきたのはポール・モーリアの「サバの女王」。

尽くしても泣き濡れても、ロシアではテレサテンもイージーリスニングであるらしい。

アジアの歌姫の物悲しいメロディに吸い寄せられるように、中年のアジア人グループが次々に入っていったのが印象的であった。

 

 

お次は、S-56潜水艦。

f:id:suzpen:20180619202337j:image

 

S-56、ロシア風に書けばС-56は、ソ連時代に活躍した潜水艦で、Wiki先生によるとソ連とドイツがアレコレ画策して作ったソレらしい。

 

そんなS-56が今や道路沿いに鎮座。中は博物館になっている。

100ルーブルを入口のおばあちゃんに渡して中に入ると、軍人さんの写真や制服、細々とした小物などが、所狭しと飾ってある。

ロシア語がわからないのであくまで勘だが、これらは歴代艦長さんの写真と、ご本人の制服なのだと思う。

 

ここに限らず、ロシアの博物館はモスクワとウラジオストクとでけっこう行ったけれど、どこも「よくこんなの残してたね」というものが、丁寧に展示されてあった。特に洋服の類が、大変良い状態で大量に保管されてあるのである。

共産主義というのは、ものを大事にするのだな。

 

制服の展示だけかと思いきや、急に隔壁が現れた。

f:id:suzpen:20180619203307j:image

この隔壁を超えたスペースには、魚雷の模型がギッシリと積まれており、なかなかにギョッとした。私だったら、こんな物騒なものと一緒に海の底でジッとしているのなど御免である。

そういうおっかないものを、ドンパチ打ったり打たれたりするのが、戦争というものなのであろう。

 

魚雷を過ぎると出口はすぐ。潜水艦と何の関係もない、ロシア土産が売っているのがなんとも平和であった。

そういえば、潜水艦の周りで伝統衣装のスラブ美女がたむろしていたけれども、写真撮ったら金をせびられたのかもしれない。

 

 

S-56潜水艦の上には、戦死者の慰霊碑のようなものがある。

f:id:suzpen:20180728120252j:image

ロシアあるある、同名が非常に多い。

しかし、名前は同じでも、それぞれはかけがえのない一人。ものを言わぬ慰霊碑から受ける印象は重い。

 

慰霊碑の近くには、砲台が「1941」「1945」と彫られた台座の上に飾ってあった。

1941は独ソ戦関係、1945は対日戦関係だと思われる。

 

f:id:suzpen:20190217155721j:image

これが1945の砲台。碑文によると、「日本帝国主義との戦いに参加した赤軍駆逐艦「ヴォイコフ」の砲台」とのことである。(Google翻訳を意訳)

 

潜水艦の向かいには、クラーヌイ・ヴィムベル軍艦がある。

50ルーブル払えばデッキに上がることができるが、混雑していたので億劫になり、タダで入れる部分だけ見て立ち去った。

 

 

太平洋艦隊編に続く。

ウラジオストク(タクシー編)

空港で、ATMやらSIMカードやら、色々と準備を整えると、だいたい18時過ぎ。

日本でバスの時刻表を確かめてきたから、ちょうど市街地へ向かうバスが出たばかりであることは知っている。Buses | Международный аэропорт Владивосток

 

それでも、空港の外に出てバス停に向かって歩いてみる。

空は広く明るく、淡く澄んでいる。思ったよりも寒くない。

 

掲示された時刻表を見ると、案の定、次のバスまではかなり時間がある。

「残念、バスが行ってしまった」と白々しく一人呟き、予定通りタクシーカウンターに向かう。

特に意味はない。強いて言うならば、旅行者プレイである。

 

タクシーカウンターは空港の中にある。再び入るには手荷物検査と金属探知機の列に並ばなければならない。

下らない一人遊びの代償に舌を打ちつつ、これも旅の醍醐味である。わざわざウラジオストクで、無為なことをする。

 

タクシーカウンターには、不機嫌そうな、化粧の濃い、メリル・ストリープ似の女性がいて、無愛想にスマホでタクシーを手配してくれた。若い頃は美人だっただろう。

料金は先払い。1,500ルーブル

クレジットカードで支払い、「メリル」の言葉を待っていると、焦茶色の古いジャケットにハンチング帽の、風刺画の労働者然としたオッサンがカウンターに来て、何やら大声で怒鳴っている。いかにも関わったら面倒臭そうな輩である。

目を合わせないようにしていると、オッサンを冷たくあしらったメリルがピシャリと言う。

"He’s your driver. “

 

オズオズとオッサンを見やると、人懐こくニコニコしている。

“Chinese? Korean?”と聞くので「ジャパニーズ、ヤポーンカ」と答えると、さらにニコニコして「ダイジョーブネ!」と日本語で答えてくれる。

いい人っぽい。

(車内で聞いたところによると、昔、中古車輸入の仕事でよく日本の富山、新潟に行っていたそうだ)

 

ウェイトヒア、ダイジョーブネ、などと言い、5分ほど待たされ(きっとトイレだろう)、車の前に連れていかれると、グレーのセダンである。タクシーには見えない、普通のロシア車である。

(後で調べたところ、ロシアのUAZというメーカーのようだ)

 

煙草吸うから1分待ってね、などと自由なことを言い、私を車内で3分ほど待たせ、準備万端整ったオッサンドライバーは景気良くエンジンをふかして空港を後にした。

 

途中、「アムールタイガーの銅像」だの「日本車メーカーのディーラー」だの、ローカル感溢れる名所をカタコトの英語で説明してくれた。

埃っぽい高速道路を縦横無尽に駆け抜け(周りの車が2.5列程度で走行しているので、車線が決まっていないのかとよく見ると、単にラインが消えかけているだけで、片側二車線だった。ロシアン自由)、市街地に差し掛かると、オッサンは「シートが取れるか見てくるよ」などと意味不明なことを言って、クネクネの裏道に入り出した。

 

ちょうど渋滞が始まっていたから、抜け道か?と思ったら、見晴らしの良い高台で車を止め、ここで降りろと言う。

 

 

鷹の巣展望台だった。正確には、展望台に向かう路上なのだろうか。

f:id:suzpen:20180615194439j:image

 

ウラジオストクの名所の一つである。夕暮れの金角湾にかかる橋が美しい。

冷えてきた空気の中で、ゴールデンブリッジ、と目を細めて煙草を吸う、ドライバーのオッサン。

写真では伝わらないだろうが、旅情をそそる風景ではある。

 

辺りには車がびっしりと停まっていて、自撮りをするアジア人女性が大勢いた。

先のシート云々は、場所が取れるかどうか、という意味だったのだろう。

 

オッサンが煙草一本吸い終わるまで、存分に景色を楽しみ、車に乗り込んだ。

坂を下りながら「帰国の飛行機はいつ?ルースキー島にドライブしつつ、空港まで送るよ。2000ルーブルでいいよ」となかなか素敵なオファーをされるも、ライト乗り鉄的にはアエロエクスプレスにどうしても乗りたかったので、丁重に断った。(結局乗れなかったけれども!)

 

そこからいくつかのごみごみした通りを抜け、びっしりと縦列駐車が並ぶ坂を登ると、わがヴェルサイユホテルであった。

 

重厚な木の二重扉を開けてフロントに向かい、チェックイン。フロントには、悲しげな目をした痩せ型の女性が立っていた。

カウンターがやたらと高いのは防犯用なのだろうか。

 

 

クラシックな鍵をガチャリと音を立てて開けると、部屋は真っ赤であった。

レーニンも真っ青の赤さ、と呟き、一人満足する。

f:id:suzpen:20180615200555j:image

 

部屋には、この椅子と机と、古めかしいテレビとナショナルの冷蔵庫(!)、シングルベッドがあるのみ。

がらんと殺風景な部屋だが、実際はとても居心地が良かった。

「異国の古いホテルに滞在しているのだ」と思うと、妙に盛り上がるものがある。

 

荷物を置き、一息つくと、とにかく空腹であった。

 

向かいのスタローヴァヤ「MINUT」で夕食を済ませ(美味しくなかった)、隣の食料品店でロシアビールを買い(103ルーブル、カードがなかなか読み込めなかった)、部屋でダラダラ飲みつつ、不安と興奮の初日は終了した。

 

やはりロシアはたまらんな!!

 

続く。多分まだまだ終わらない。飽きなければ。