日日是女子日

細かすぎて役に立たない旅行ガイド

美食の都リヨン、その2

年末年始のリヨン旅行続き。

 

リヨン2日目の朝、爽やかな鳥のさえずりとともに目を覚ました。全く腹が減っていない。おかしい。これまで、どんなに夕食を食べ過ぎようとも我々の強靭な胃袋は翌朝までにキッチリ消化を完了してきたのだ。

もともと、我々夫婦は食べっぷりには自信がある。飲食店では「よく食べよく飲む客」として1発で顔を覚えられるし、海外でも食べきれなかったことはほとんどない。欲張って注文し過ぎたサンクトペテルブルクの”Ukha”ですら、翌朝はすっきり空腹で目が覚めたのだ。

リヨン恐るべし。半日過ごしただけでこれでは、先が思いやられる。

それでも、食べ続けなければならない。とりあえずホテルに朝食をつけてしまったので食べないわけにはいかない。

 

可愛らしい内装の朝食会場に入ると、空腹にはならないものの、「食うか」という気持ちになってくる。パンは数種類、チーズやハムも充実、ケーキサレ(日本でも一時期「フランスの塩味のケーキ」という捻りのないキャッチコピーで流行ったアレ)があり、色とりどりのクッキー・ケーキに親指サイズのカヌレ(大好物!)、複数種のフルーツヨーグルト、どれも美味しいのだが、野菜不足が気になるラインナップである。各テーブルにはイズニーの発酵バターが気前よく置いてある。一人分30gくらい。普段はこの1/3くらいで満足しているのだが、ついテンションが上がって全部使い切ってしまった。さらにその勢いでデザートまで食べてしまった。チョコレートケーキはゴリっと甘く、いくら甘党でも毎回全力で甘くされるとちょっと疲れてくる。控え目にしたつもりだったが、やや腹が重い。自分の学習能力のなさに呆れつつ、インスタントっぽい薄いコーヒーを流し込んだ。美味しそうなものを目にすると理性が飛ぶのだ。

 

しかし、腹が重い。とにかく街を歩き回って腹を空かせる作戦に打って出た。

 

まずは旧市街、サン・ジャン広場にあるサン・ジャン大聖堂に向かった。洗礼者ヨハネに捧げられたカトリック司教座聖堂である(とWikipediaに書いてあった)。12世紀に起工し、300年かかって完工したとのことで、縁取りの細工が凝っていて素人目にも美しい。リテラシーがなさすぎて「気が遠くなるほど手間がかかってるな」程度の月並みな感想しか持てないのが残念である。

 

f:id:suzpen:20200726044522j:image

サン・ジャン大聖堂外観。iPhoneで撮るのは難しげ。

 

重い扉を開けて中に入ると、まず目につくのが礼拝堂のステンドグラスである。聖人を描いているらしいが、リテラシーがなさすぎて(以下略)。身廊の高さは80m、上に向かって伸びる細工のせいか外観より高く見え、縦長の空間に足音や囁き声やその他いろいろな雑音が反響してそれがかえって神聖に感じられる。椅子に座って眺めていると、重い胃袋のことも忘れて心が穏やかになってくる。

 

f:id:suzpen:20200726044651j:image

よくわからないけど、何かご利益ありそうな感じ(違)

 

ぼーっと自分の世界に入り込んでいると、セロリのような匂いの煙が出る香炉を振り回しながら、司祭(多分)が入ってきた。いつのまにか日曜礼拝が始まっていたのだ。出るに出られず、かと言って何をすれば良いかもわからず、浮かないように周りに合わせて立ったり座ったり、今思えばこれが身に染みついた日本人の習性というやつであろう。教会歌手の先導で賛美歌を歌うたいまくるのだが、メロディもわからなければ、当然歌詞も全くわからない。司祭(多分)がやたらに歌うまい。すぐ終わるだろうとタカをくくっているうちに、黒いコートを着た街の名士的な紳士が延々とスピーチを始めたため、さすがに退散した。スピーチの途中で退席するのは失礼な気もしたが、まあきっと隣人愛的な感じで許してくれるに違いない。

 

 

サン・ジャン大聖堂を出た我々が向かったのは、フニクレール(ケーブルカー)の駅である。これでフルヴィエールの丘を一気に登り、リヨンのシンボル的建造物、ノートルダム大聖堂に向かう。片道乗車券1.9ユーロ。

 

f:id:suzpen:20200726045208j:image

京急電鉄を斜めにしたような見た目。ダァシェリイェス。

 

ノートルダム大聖堂、別名フルヴィエール大聖堂はこの手のものにしては比較的新しく、20世紀直前の1896年に完成した。先に見たサン・ジャン大聖堂よりも外装、内装共に圧倒的に細工が細かく豪華だが、工期はたったの24年である。サン・ジャン大聖堂の実に1/10以下。技術の進歩は凄まじいものだ。

こちらでもミサを行っていたためか、内部は写真撮影禁止だった。そして、そのまま外観も撮り忘れた。痛恨のミス。まあ写真なんていくらでもネットに落ちてるので気にしない。

 

余談だが、大聖堂の横にはプレハブのトイレがある。そこそこ清潔な水洗式で無料、しかもありがたいことに紙まで設置してあるのだが、なんと便座がない。紙は御座すのだが便座がない。海外にありがちな過酷なトイレの洗礼を受け、仕方なく中腰で頑張った。

 

f:id:suzpen:20200726045329j:image

ノートルダム大聖堂からの景色。

 

さて、フルヴィエールの丘には、他にも古代ローマ劇場も見どころらしいのだが、小腹が減ってきた(気がした)のでスキップした。ランチタイムだ。

店は心に決めてある。徒歩で丘を下ってソーヌ川を渡り、テロー広場を横切り、おハイソな石畳のプレジダンエドワール・エリオ通りを南に下り、ちょちょっと奥に入れば到着だ。

 

f:id:suzpen:20200726180840j:image

丘を下ったところにあったバンクシー風の落書き。

 

f:id:suzpen:20200726181458j:image

テロー広場。目の前の重厚な建物は市役所らしい。


f:id:suzpen:20200726181613j:image

テロー広場の噴水。馬の鼻から湯気を出すセンスは理解できない。

 

そのお目当ての店は、ムール・フリットが有名なla cabaneである。とはいえ、私はあまり貝類が得意でない(何かに入っていれば我慢して食べるが、喜んでは食べない)ので、Burger cabaneというハンバーガーを注文した。タルタルもやってる店だけあって肉の質が良く、レア目に焼いたパティが美味しい。小腹が減っていたつもりだったが、途中で胃が重くなり、ビールで流し込んで完食した。食べられるのなら、極力食べ物は残さない主義。

ちなみに、貝好きの夫は当然ムール・フリットをシードル味で注文していたが、普通に美味しかったとのこと。ビールをパイントでつけて2人で39ユーロ。

 

f:id:suzpen:20200726045759j:image

ムールフリット。鍋にギッシリムール貝。ビールグラスとの対比で量の多さを推し量っていただきたい。


f:id:suzpen:20200726045803j:image

ハンバーガー。なんでリヨンに来てまでこんなもん食ってるんだ、という気がしないでもないが。

 

 

腹ごなしにジャコバン広場をウロついてみたりしつつ(全然大した運動量ではない)、食休みのため一旦ホテルに戻った。(親が死んでも食休み)

 

f:id:suzpen:20200726150729j:image

ジャコバン広場の噴水。こんなものが街に普通にあるなんて羨ましい。

 

ホテルで休んでいると、いよいよ胃がオカシくなり、吐き気まで催してきた。こんなこともあろうかと、持ってきていた某漢方胃腸薬を飲んでみるも全く効果なし。しばらく右を下にして横になってみたものの、幽門は東名高速道路における大和トンネルの如き大渋滞である。バターやら肉やらで胃腸が疲れているのだろうか。否、そんなもの今までいくら食べても平気だった。加齢か。加齢が原因なのか。

ともかく2日目にしてこの調子では先が思いやられる。

 

私がベッドでゴロゴロ苦しんでいる間、夫は暇つぶしに散歩に出かけ、そのうち重要なことを思い出した、と言って戻ってきた。昔、ヨーロッパに留学していた夫の知人がこんなことを言っていたのだそうだ。

「ヨーロッパで胃もたれした時って、日本の胃腸薬は全然役に立たないんだよね。現地で普通に売ってる、なんか水で溶かして飲む錠剤みたいやつが効くんだけど、何が違うんだろうね。」

 

それだ!と顔を見合わせた。これからのリヨン食い倒れ旅行を楽しめるかどうかは、その「水で溶かして飲む錠剤みたいやつ」を入手できるかどうかにかかっている。

思い立ったが吉日、早速ホテルを出て薬局に向かった。前日、モノプリを冷やかした際、斜向かいに大きめの薬局があるのを見ていた。薬の名前は知らないが、それほど特殊な薬ではないようだし行けば何とかなるだろう。

 

ホテルから10分ちょっと歩いて薬局に着いてみると、無慈悲にも閉店していた。入口に張り紙があったのでGoogle翻訳にかけてみた。「19時以降は深夜窓口で販売」というような内容が書いてあるようだが、この時まだ18時過ぎである。念のため深夜窓口にも回ってみたが、灯は付いているものの人がいるわけでもなく、開いているのか閉まっているのか判然としない。

しばらく様子を見ようかとも思ったが、なんとなく長居する気になれず諦めた。そこまで治安の悪い雰囲気でもなかったが、店のすぐ目の前ちは地下鉄駅があり、色々な人が屯していた。長時間突っ立っていれば、それだけ変な人に絡まれる可能性も高くなる。そもそも、もし開いていたとしてもフランス語は話せないし、英語が通じたとしても私の英語力では「胃が重い」くらいは言えてもそれ以上の混み合ったニュアンスは表現できない。要は難易度が高すぎるのだ。

 

仕方ないので、夕食は軽いものを取ることにした。せっかくリヨンまで来ているのだから食事を抜くなど言語道断。多少胃の調子が悪いくらいなら頑張って食べようというものである。

そんなわけで、この日の夜はベトナム料理を食べることにした。とりあえず胃を軽くする目論見もあり、新市街にある店まで歩いて行くことにした。

ローヌ川を渡り、新市街を歩く。観光客の多い旧市街と違って、あまり人は歩いていない。車が接触したらしく路上で口論する人々を見かけたが、街並みは整然としており、それほど危険な感じはしなかった。歩いているうちに少しだけ胃も軽くなってきた(気がした)。

そうして店まであと少しのところまで来て角を曲がると、突然状況が一変した。移民らしき人々が大勢、騒ぐでもなく屯っており、泥棒市なのか何なのか地面に靴やらバッグやらが散らばっている。全員男性、背は高くないが油断ならない殺気があり、こちらを値踏みするような視線をひりひり感じる。明らかにヤバい雰囲気である。色々なサイトで「ここには近づくな」と書かれていた地下鉄Guillotière駅周辺に誤って入り込んでしまったのだ。

周りを刺激しないよう、かといって怯えを悟られないよう、バッグを固く握りしめ早足で通り過ぎた。次の角を曲がると、再び静かな街並みが広がっていた。時間にして30秒もなかったと思うが、もっとずっと長く感じた。

それまで、街の治安は徐々に変わるものだと思っていた。治安の良い地域から悪い地域の間はグラデーションになっていて、治安が悪くなる予兆が見えた時点で道を変えれば良いのだと。

しかし、あそこには全く何の予兆もなかった。駅の本当の直近だけが異空間のように治安が悪かった。何もなくてラッキーだった。夜に観光地域外を歩く時、何気なくフラフラせず、ルート取りに細心の注意が必要であると認識を改めなければならない。

 

嫌な汗が引かないまま、店に着いた。心底ほっとした。

店の名前はL'Etoile d'Asie、口コミ評価も高い落ち着いた雰囲気のベトナム料理店である。

 

f:id:suzpen:20200726045937j:image

あんまりベトナム料理っぽくない感じ。

 

一息ついて22ユーロのコースを注文した。前菜にエビと鶏肉のサラダ、メインにブンチャー、デザートは私がチェー(ココナッツ風味のぜんざいのようなもの)、夫がローマイチー(ココナッツ風味の大福的なもの)。

疲れた胃に優しいほっとする味だが、ベトナムや日本で食べるものより若干こってりしているのは、フランス人の好みに合わせているのだろうか。胃の調子も悪いので、グラスワイン(コート・デュ・ローヌ)を頼んで2人で51ユーロ。ワインが予想外に美味しくて、腹が云々寝ぼけたことを言わずにpotで頼めば良かった。


f:id:suzpen:20200726045947j:image

清肝涼茶。久しぶりのアジアのお茶にホッとする。


f:id:suzpen:20200726045931j:image

エビと鶏肉のサラダ。酸味がすっきりさっぱり。心に染みる美味さ。


f:id:suzpen:20200726045950j:image

牛肉のブンチャー(米の麺を使った混ぜ麺)、トッピングの揚げ春巻がボリューム満点で、ややジャンク。


f:id:suzpen:20200726045940j:image

チェー。優しい甘さが堪らない。デザートの甘さって、こんなもんで十分だよな、としみじみ思った。


f:id:suzpen:20200726045944j:image

ローマイチー。美味しかったらしい。

 

 

程よい満腹感で食事を終え、良い気分でローヌ川沿いを歩いてホテルに戻った。ローヌ川沿いは、夜でもランニングしている人がいる程度には安全なルートである。

 

ベルクール広場まで戻ってくると、ホームレスのグループが寝床の準備をしていた。リヨンで見かけたホームレスは、大抵数人グループで、大きめの犬を連れていた。恐らく自衛のためなのだろう。

 

ホテルに戻ってシャワーを浴び、キャラメルを舐めながら絵葉書を書いた。このキャラメル、ベッドメイキング時にハウスキーパーが置いて行ってくれるものなのだが、本気でめちゃくちゃ美味い。良質なバターの味がした。この手のものがフランスは本当に質が高い。


f:id:suzpen:20200726045934j:image

絵葉書。ホテルに備え付けのものだが、悪くない。

 

色々あった1日だったが、なんとなく落ち着いた気分で眠りについた。

 

続く。

 

おまけ。

私はいつも、旅先で車のメーカー比率が気になってしまう。小学校の頃、社会の授業が好きだったのだが、その延長線上なのだと思う。(その割に常識がないのはご愛嬌ということで)

さすがに世界的な自動車メーカーを輩出したフランスだけあって、リヨンではルノープジョーシトロエンがほとんどを占め、ドイツ車は1/3くらいしかなかった。日本車はさらに少なく、5%くらいだろうか。トヨタが案外少なく、日産が多いあたりはルノーの絡みだろう(そういえば、ちょうどこの時期にカルロス・ゴーン氏は楽器ケースに隠れてレバノンに密出国していたはずだ)。ホンダ、マツダはわずかに見たが、三菱車を全く見かけなかったのは偶然だろうか。