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お菓子の思い出(キャトル、ガトーノア)

私は甘党である。

どれくらい甘党かというと、甘いもので酒が飲めるくらいの甘党である。

要は酒好きの甘党なので、体に悪いことこの上ない。

 

和菓子洋菓子中華菓子、羊羹からロクムまでなんでもござれ!なのだが、何かひとつだけ選ぶとすれば、クッキー系が好きである。

クッキー系とは、何もクッキーやサブレ、ガレット、ショートブレッドに限らない。タルト生地もクッキー系だし、沖縄のちんすこう、台湾のパイナップルケーキ、はたまた修道院土産でおなじみガドリエットなどなど、結局全然ひとつに絞れないのである。悩ましい。

 

そんな罪深いクッキー系お菓子の中で、どうしても忘れられない味がある。

 

それは25年ほど前のこと。

東京に出張した父が、誰に教えてもらったのか、当時話題だというお菓子を買ってきた。

時間がない中、列に並んでやっと手に入れたのだ、と自慢げに取り出したそれは、高級そうな黒い箱に入っており、いかにも大都会東京砂漠、田舎ではお目にかかれないオサレなシロモノである。

ドキドキしながら箱を開けると、上品な薄紙に包まれた茶色いお菓子が現れた。A5サイズほどの長方形の焼き菓子で、2センチ幅くらいずつ切れ目が入っている。地味な見た目だ。

母にお茶を入れてもらって、パクリと噛り付いて驚いた。あまりにおいしかったのだ。

強めに炒った胡桃を、ほろ苦いキャラメルと混ぜ、バターの香るクッキー生地で包んで焼いてある。苦味と甘味のバランスが絶妙で、田舎には絶対存在しえない、ハイカラな味であった。それまでに食べた、どんなお菓子よりも、はるかに洗練されて美味であった。

おいしいものを食べて、世界が広がる感じがすることがありますね、あのお菓子はまさに私の経験値を棒高跳びのように超えていった。

 

東京には、こんなに美味しいものがあるのか。

我ながら馬鹿馬鹿しい話だが、その時、私は大人になったら絶対東京に移り住もうと心に決めた。東京に住んで、この洒落たお菓子をお腹いっぱい食べるのだ。

父は「カトウ」という有名店で買ったと言っていた。加藤なのかKatoなのか知らないが、有名店なら、道行く人に尋ねればきっと辿りつけるだろう。

 

まだインターネットのなかった時代だ。東京は遠く、得られる情報は少なく、それ故、若干ピントのズレた憧れを18歳になるまで密かに温め続けた。

そして、大学進学とともに、期待と不安を抱いて上京した。目的は、勉学が半分、「カトウ」のお菓子が半分である。とてもじゃないが、親には言えない。

 

しかし、はるばる東京まで出てきたのに、誰に聞いても「カトウなんて聞いたことがない」と言う。父にきいても、もはや覚えてはいなかった。

それからしばらく経って、ネットが普及した時にもGoogle食べログで何度調べたが、見つけることはできなかった。カトウ、加藤、Kato、さまざまなキーワードを入れてみるが、返ってくるのは的外れな答えばかり。

そのうち「もう店を畳んでしまったのだろう」と諦めてしまった。

昔、たった一度食べたきりのお菓子など見つからなくても、東京に住む理由なんていくらでも見つけられた。

 

そうして、上京して15年以上経った。

 

何か甘いものでも買おうと、品川駅のQuatreで、可愛らしいケーキの並ぶショーケースを覗いていた。

ふと目線を上げると、あの長方形のお菓子があった。いつか夢見た「カトウ」の胡桃のお菓子である。当時は薄紙に包まれていたそれは、現代らしくポリプロピレン製の個包装になってはいたが、間違いない。ガトーノア。まさにこれだ。

 

そこで気づいたのだ。

「カトウ」ではなく「キャトル」だったのだ、と。

腹に落ちた。キャトルじゃん、お父さん発音悪すぎ。

 

すかさず2本買い、急いで家に帰って、立ったまま噛り付いた。

 

間違いない、あのお菓子だ。香ばしくてとても美味しい。

 

しかし、悲しいことに、私が思い描いていたほどには美味しくなかった。確かに美味しいのだが、私の記憶ではもっとバターが香っていたし、もっと甘さと苦味のえもいえぬハーモニーがあったのだ。

私の舌が肥えたのか、味が落ちたのか。それとも、あまりに長く夢を見過ぎたのか。

子ども時代の憧れは、手に入ってみればこんなものだ。

それでも私が東京に住む理由はいくらでも見つけられる。もはや東京に住んでないけど。