無駄話と映画レビュー「わがチーム、墜落事故からの復活」
映画『わがチーム、墜落事故からの復活』を見てきた。
ブラジル・セリエA所属のサッカークラブ、シャペコエンセの選手、幹部、スタッフらを乗せたラミア航空2933便が墜落した事故の、その後を描いたドキュメンタリーである。
始めに断っておくと、私は全くサッカーファンではない。ルールも「手を使ったらハンド」程度の間抜けな知識しかない。確かジーコだかペレだかっていう神を信じる多神教徒の宗教儀式なんだよね。(もちろん冗談ですごめんなさい。)
そんな私ですら、当時、この悲劇的なニュースを知った時、とても悲しくなったのだ。サッカーを知らずとも、見に行く他あるまい。
そうして向かった新宿ピカデリー。改装して久しいが、入るのは実は初。なんだかやたらにオシャレ過ぎて、ピッと舌打ち。なんやあのオサレフォントは!
ピッと思いつつ、オシャレ発券機でチケットを買い、オシャレカウンターでコーヒーを買って5番シアターに向かう。
同じ時間帯に、今をときめくイケメン俳優が主演する映画が上映しているらしく、婦女子(腐ではないと思う)がポスターにキスしながら写真を撮っていたり、何やら華やかな雰囲気である。
キャッキャウフフキラキラ女子エリアを過ぎると、オッサンと、ユニフォーム着たサッカーオタク臭い男子と(ユニフォーム割あるからね)、意識高そうな面倒臭い系女子(私だ!)しかいなかった。「ドキュメンタリー映画あるある」である。仕方あるまい。
さて、無駄話はここまでにして、映画のレビューをば、いたしましょう。
映画は、2016年、シャぺコエンセが南米大陸選手権の決勝進出を決めるところから始まる。
監督も選手も、もちろんサポーターも歓喜に満ち、「決勝では命をかけて戦う」などと言う選手までいる。(この後の事故を知っている私は、命より大切な試合などないと思ってしまうのだが。)
そして、誰かが撮っていた飛行機内での和気藹々とした様子が流れる。
と、突然事故が起きる。
救助活動が行われ、僅かな生存者が病院に運ばれる。
ニュースが伝わると、町全体が悲しみに包まれ、町民たちはスタジアムに集まり、皆チームを思って泣いた。もともと、シャペコエンセは、小さな町のチームで、町の人々はみんな誰かを通じてチームの選手たちにつながっていた。チームとサポーターの距離が近く、とても暖かい雰囲気のチームであったのだ。彼らの衝撃はいかほどであっただろう。
そしてこの絶望の淵から、タイトルの通りシャペコエンセの復活劇が始まるのだ。
日本版の公式サイトからはエモーショナルな感動秘話や復活劇を予想させられるが、そう簡単な話ではない。
確かに、事故直後は深い悲しみがチームと街を覆い、人々の心は一つになっていた。
しかし、再建を薦める中で、事故から生還した選手、新しいチームの監督と事故後に寄せ集められた選手、事故を免れた選手たちの気持ちが噛み合わずすれ違う。そこに遺族たちの喪失感や現実的な困難が加わり、わかりやすい胸熱展開は繰り広げられない。事故後に参加した監督は新しい理想を、事故前からいる人は前のようなチームを求め、遺族たちは気持ちの整理がつかず、大黒柱を失って生活の不安を抱えている。皆、違う理想を求めている。しかし、それが簡単に一致しないのが常というものだ。生き残った者はその後も生き続けなければならないし、生きるとは現実であり、関係者全員の利害が一致する訳もない。
「みんな自分のことばっかりだな」と思ってしまう。しかしそれが当事者というものなのだろう。
そんな中で、生還したアラン、ネト、フォルマンの3選手は、どこに行ってもヒーローであり、復活のシンボルであった。にも関わらず、彼らは彼らだけで孤立しているようにも見えた。熱狂したり悲観に暮れる他の人々よりもずっと冷静で、事故の延長線上を生きているようだ。彼らにとって、事故は肌で触れた事実であり、大義名分ではないのだ。
事故を免れた他の選手との交流があまり描かれなかったのは、演出的な意図なのか、それとも事実なのか。
フォルマンは選手生命を断たれ、アランは復帰した。ネトを応援したい。
さて、レビューと銘打つからには評価をしよう。
十分に楽しめたが、途中で席を立った観客もおり、皆に薦められるかというと疑問である。人によっては退屈かもしれない。
という訳で、個人的には★★★★☆、客観的には★★★☆☆
おまけ。
後ろの席の人がずっと貧乏揺りをしていて、いい加減にしろ、と思ったら地震が起きた。震源地は千葉県東方沖で震度5弱。
それからピタリと貧乏揺りが止まった。
あの人ナマズかなんかだったんですかね。