ウラジオストク(兵隊さんスペシャル)
ロシアといえば、世間はサッカーW杯で賑わっているが、空気を読まずにウラジオストクの話題を続行する次第である。
ウラジオストクは、言わずと知れたロシアの重要軍港である。以前は閉鎖都市で、外国人が立ち入ることはできなかったらしい。
ここで我らがGoogleマップでウラジオストク港を見てみよう。ここに砲台を置き、ここに虎の子の戦艦を温存して、と考えると、素人目にも良い軍事拠点なのがよくわかる。
そんなわけで、ここウラジオストクには、ミリオタの皆様が涎を垂らして吼えるであろうスポットがテンコ盛り盛りなのである。通りを歩けば砲弾に当たる勢い。
それだけでなく、街中で、セーラー服の水兵さんが、ピロシキをモグモグ食べながら歩いていたり、陸軍の巨大なトラックが爆走していたりする。まさしく軍事都市である。
(ちなみに、ピロシキは立地から考えると、「ピラジョーチニッツァ」のピロシキであったと思われる。美味!)
私は全くミリオタではないけれども、まあせっかくなので、軍事関係の博物館に色々行ってみた。
まずは、要塞博物館。
海岸通りの水族館「オケアナリウム」の隣にある階段の上に入口がある(わかりづらい)。
200ルーブル。薬中みたいな怖めのオニーサンがチケットを売っていた。
張り切って開館直前に行ったら、既に10人くらいの中国人が並んでいた。
ゲートが開くと、私の前に並んでいた中国人たちはワラワラとなだれ込み、入口付近に飾られた砲台だの、潜水艦から取り外した艦砲(多分)だのを取り囲んで一斉に自撮りを開始した。
その後、ろくに展示も見ずに、嵐のように立ち去って行った。
まあ、本人たちは満足そうなので、何よりである。(中国人のこういう、色々割り切ったところは嫌いじゃない。)
ここには他にも、移動式砲台、戦車、魚雷、機雷などの兵器から、要塞の模型や当時の道具類などがあり、(ちゃんと見れば)しっかりと見応えのある博物館である。
機雷ってこんなに大きかったのか!と驚いた。
要塞の屋根によじ登ることもできる。(少なくとも注意はされなかった。)
なお、要塞博物館を降りたところにこじんまりとした遊園地がある。
帰りに横を通りかかると、テレサテンの「愛人」がBGMで流れていた。その次に流れてきたのはポール・モーリアの「サバの女王」。
尽くしても泣き濡れても、ロシアではテレサテンもイージーリスニングであるらしい。
アジアの歌姫の物悲しいメロディに吸い寄せられるように、中年のアジア人グループが次々に入っていったのが印象的であった。
お次は、S-56潜水艦。
S-56、ロシア風に書けばС-56は、ソ連時代に活躍した潜水艦で、Wiki先生によるとソ連とドイツがアレコレ画策して作ったソレらしい。
そんなS-56が今や道路沿いに鎮座。中は博物館になっている。
100ルーブルを入口のおばあちゃんに渡して中に入ると、軍人さんの写真や制服、細々とした小物などが、所狭しと飾ってある。
ロシア語がわからないのであくまで勘だが、これらは歴代艦長さんの写真と、ご本人の制服なのだと思う。
ここに限らず、ロシアの博物館はモスクワとウラジオストクとでけっこう行ったけれど、どこも「よくこんなの残してたね」というものが、丁寧に展示されてあった。特に洋服の類が、大変良い状態で大量に保管されてあるのである。
共産主義というのは、ものを大事にするのだな。
制服の展示だけかと思いきや、急に隔壁が現れた。
この隔壁を超えたスペースには、魚雷の模型がギッシリと積まれており、なかなかにギョッとした。私だったら、こんな物騒なものと一緒に海の底でジッとしているのなど御免である。
そういうおっかないものを、ドンパチ打ったり打たれたりするのが、戦争というものなのであろう。
魚雷を過ぎると出口はすぐ。潜水艦と何の関係もない、ロシア土産が売っているのがなんとも平和であった。
そういえば、潜水艦の周りで伝統衣装のスラブ美女がたむろしていたけれども、写真撮ったら金をせびられたのかもしれない。
S-56潜水艦の上には、戦死者の慰霊碑のようなものがある。
ロシアあるある、同名が非常に多い。
しかし、名前は同じでも、それぞれはかけがえのない一人。ものを言わぬ慰霊碑から受ける印象は重い。
慰霊碑の近くには、砲台が「1941」「1945」と彫られた台座の上に飾ってあった。
1941は独ソ戦関係、1945は対日戦関係だと思われる。
これが1945の砲台。碑文によると、「日本帝国主義との戦いに参加した赤軍の駆逐艦「ヴォイコフ」の砲台」とのことである。(Google翻訳を意訳)
潜水艦の向かいには、クラーヌイ・ヴィムベル軍艦がある。
50ルーブル払えばデッキに上がることができるが、混雑していたので億劫になり、タダで入れる部分だけ見て立ち去った。
太平洋艦隊編に続く。