ニュージーランドドライブ旅(ナゲットポイント、モエラキ・ボルダー、スチームパンク博物館他)
ワイカワの後は、ナゲットポイント、オタゴ半島(ペンギン・プレイス)、ダニーデン、モエラキ・ボルダー、オアマル(アワモアビーチ、ブルーペンギンコロニー、スチームパンク博物館)に寄り、クライストチャーチから離脱した。
ここでは、ナゲットポイント、モエラキ・ボルダー、スチームパンク博物館について書く。
ナゲットポイント
南島南部から、ダニーデンに向かう途中にある。海の中に灯台があり、そこへ向かう道の両側は切り立った崖になっており、高度感が抜群。高所恐怖症の人は、足がプルプルすることうけあい。道の端っこが特に怖いので、人とすれ違うのがとても嫌。真ん中だけを歩きたい。
灯台にたどり着いても、それはそれで怖い。
灯台から海に向かって。プルプルしながら撮った。
駐車場にはトイレがあるが、今どき珍しいバイバイトイレ。要は、排泄物がそのまま自然に放出されるタイプである。トイレの先が外につながっているため、便座に座ると、そよ風が爽やかに股間を通り抜けて行く。ちょっと気持ち悪い。
モエラキ・ボルダー
オアマル近く、球状の巨石がゴロゴロ転がる海岸。もっとオーパーツっぽい真球の石を期待していたのだが、実際はそうでもない。岩がコロコロ転がり続けたら、いつかはこうなるんだろうな、という感じの、普通に角が取れた丸い石。まあそれでもこんなに大きいものは珍しいのだろうけども。
デカい白人のおじさんが、ビニール袋に入ったデカいマフィン(4個入り)を貪りながら歩いていたのが印象的であった。なぜ今ここで・・・。
スチームパンク博物館
オアマルにある、ぼくのかんがえたさいきょうのスチームパンクの博物館。薄暗い部屋に、それらしいガラクタが雑に並んでいる。
おどろおどろしい照明とガラクタ。
PV=nRTって確か高校で習ったぞ。えーと、理想気体の状態方程式(とかなんとか)や!
写真を見ればわかる通り、博物館といえど決してスチームパンクの歴史などがまとまっていたりはしない。本当に、ガラクタが並んでいるだけである。埃をかぶっていたり、蜘蛛の巣が張っていたりするのは、演出なのか、単に掃除をサボってるだけなのか。「あんまり清潔すぎない方がディストピアっぽいよね?チラッ。」という意図だろうか。
スチームパンクってなんだっけ・・・?
ちなみに、この近くには「スチームパンク注意」の標識がある。
なかなか洒落てます。
その他、書き残したことをば
とりあえず、写真を適当にバラバラと貼っていく。
オアマル猫。どうやら双子の片割れのよう。こちらは人懐っこい方。
そういえば、ここ以外で猫って見かけなかったな。
クライストチャーチのカフェで朝食を。
フレンチトーストなのだが、大量のバナナとベーコンで肝心のフレンチトーストが見えない。
低血圧の人には拷問であろうボリューム。
空港にて。ニュージーランドの炭酸ジュース、L&Pを買ったらトランプが付いてきた。
トランプで遊んで時間を潰す。
飛行機から見たタラナキ山。山頂から半径10kmが保護区になっているため、森林が円形に残されている。
以上、駆け足になったが、これでニュージーランド旅行記はおしまい。書き残したことを最後につけ加えるならば、車はスズキのスイフトが圧倒的に多かった。以上!
ニュージーランドドライブ旅(ミルフォードサウンド、オーバーナイトクルーズ編)
GWに片足を突っ込んでしまった今、年末年始の旅行の記事がまだ書き終わっていないことに気づいた。
うっかり気づいてしまったので、今さらながら前回の続きを書く。
さて、時は遡り、2018年12月31日、ニュージーランド2日目。
キーサミットでのトレッキングは思いのほか早く終わったが、あたりは自然、自然に大自然。時間を潰せそうな素敵スポットは何もない。予定より少し早いが、我らがスバル・レガシーに乗って次なる目的地へ向かった。
目指すはミルフォード・サウンド。
実は、湖の上で年を越そうという魂胆でオーバーナイトクルーズを予約していたのだ。ミルフォード・マリナー号、1泊2食付、ちょっとしたアクティビティがついて1人500NZDくらい。高い。
キーサミットから1時間ほど運転し、ツアー会社の駐車場に着いた。腹が立つほど晴れている。
ここからクルーズの受付までは、尿意を我慢して10分ほどの距離である。テクテク歩いて来たものの、ここにも時間を潰せそうなものは何もない。とりあえず放尿(もちろんトイレで)。
暇つぶしに売店で絵葉書を購入。いかにも「観光地」という感じの、わざとらしく美しい写真の絵葉書を3枚。宛先とメッセージを書きながら乗船開始を待つ。
そうしてジリジリと1時間ほど待ち、やっと乗船の時間が来た。
奥がミルフォード・マリナー号。某おニャン子クラブ会員番号36番をなぜか思い出す。
一列に並んで乗り込むと、まずは食堂に集められた。オリエンテーションである。テーブルには、ボトルに入ったぬるい水とグラス、そして各国語の案内が置いてある。
リーダーと思しき男性がマイクで説明を始めるが、私の英語力では、早口で何を言っているのかサッパリわからない。しかし、いくつかの断片から判断するに、テーブルの案内と同じことを言っているようである。よしよし、おっけおっけ、任しとけ。
そうして油断していると、今度はスタッフの自己紹介が始まった。やはり言ってることがわからない。案内の紙をひっくり返してみても、スタッフ紹介のようなものは書いていない。
別にスタッフがだれかわからなくても問題はないのだが、周りの白人達はゲラゲラ笑っているのが気になって仕方がない。一体何がそんなに面白いのか。
こういう時に、周りに合わせて曖昧に笑ってしまうのは日本人の美点であり欠点でもあるからして、笑うもんか、絶対笑わんぞ!などと考えているうちにオリエンテーションは終了した。
ふと周りの客を見ると、人種が偏っている。有色人種はアジア人のみ。家族連れ1組(日本人)、ヒゲのバックパッカー2人組(日本人)、そして我々(日本人)の5名。要は白人と日本人のみ。中国人もいない。いるとうるさいが、いないと寂しいのが中国人。オークランドにたくさんいた中国人は一体どこに行ったのか。客室に向かう途中、再び乗客を見回してみたが、他に同胞はいなかった。
部屋に入ると、そこは絵に描いたような船室である。備品類は全て固定式で、引き出しを押しても、びくりともしなかった。ベッド下には、緊急用のオレンジ色のライフジャケット。ドアを全開にすると自動でストッパーがかかり、壁に固定できる。気分が盛り上がるぜ・・・。
感心しながらくつろいでいると、船内放送が流れた。なんとか聞き取ったところでは、アクテビティが開始するので集まれ、と言っている。とりあえず部屋を出て、人の流れに乗って進むと、船後部のデッキに辿り着いた。
アクテビティは、カヌーか、エンジン付きのボートから選べるが、自力で漕ぐのはダルいのでボートを選択。赤いライフジャケットを受け取り、腰紐をキッチリ固定する。
ガイドのお兄さん(東南アジア系っぽいイケメン)の案内で、ホンダの船外機がついた小型ボートに乗り込む。
乗客は全部で14人くらい、他にもう一艘ある。全員乗り込むと舫が解かれ、ボートツアーの開始である。世界遺産の絶景の中、湖の上を風を切って進むボートはとても気持ちが良い。
遠く、我々の船を見ると、カヌーが2、30艘、プカプカ浮かんでいた。そのうち、一艘のカヌーが転覆したという知らせが入り、我々のボートもフルスピードで救助に向かった。やっとカヌー組のところに着くと、既に他のボートが救出した後だった。落ちた人には申し訳ないが、実はボートツアーで一番盛り上がったのは、この時である。救助に向かうためにスピードを上げると、皆キャアキャア言いながら楽しんでいた。まあ、無事で良かった。
船に戻ると、夕食タイム。席は勝手に指定され、6人がけのテーブルに相席で座る。
我々が食堂に向かうと、既に夫婦連れが1組座っていた。シカゴから来たという、少し神経質そうな奥様と、大雑把な感じの旦那さん。先ほど同じボートに乗っていたのを思い出した。軽く挨拶をして、夕食の開始を待っていると、もう1組の夫婦がやって来た。小柄でかわいい感じの奥さんと、ラインホルト・メスナーみたいなワイルドな旦那さん。イタリア人。タイルの会社を経営しているとのことで、日本のメーカーにも卸しているとのこと。
男女に分かれ、合コンのような席順で座ったため(発想がゲス)、うっかりガイジンに挟まれてしまった。
無理矢理書くとこんな感じ。
伊 夫 米
[ テーブル ]
伊 私 米
仕方なく、奥様3人で当たり障りない会話をするのだが(これが社交ってやつだな)、私は雑談が苦手である。目的もなく、目指すべき結論もない状態で、一体何を話せば良いのか。どこから来たのか、どれくらい滞在して、どこに行ったのか、当たり障りのない会話をひと通り終えると、ネタが尽きてしまった。
イタリア奥にニュージーランドを選んだ理由を聞かれたので「ペンギンに会いに来た!」と言うと、「あら、ペンギンね!」などと言いながら、アザラシの写真を見せてくれた(ペンギン関係ないじゃん、というのは置いておいて)。写真は2枚あり、メスナーがアザラシにちょっかいを出し、アザラシが怒っている。ワイルド過ぎだろう。
ふと、男性陣を見ると、お互い一言も発さずに「女の人っておしゃべり好きだよねー」みたいな目でこちらを見ていた。好きじぇねえよ、全然好きじゃない。もっとお前らも社交しろ。
さて、料理はパンとサラダ、スープがサーブされ、メインはブッフェ式である。ブッフェの開始前に、コック長がマイクでメニューの説明をしてくれる。この時点でデザートは出ていなかったのだが、コック長が「やあ、見てくれよ、素敵なデザートじゃないか!」とキウイジョークをかますと、食堂内がドッカンドッカン湧いた。
最後にコック長は、ブッフェはテーブルごとに順番に取りに行くように、と言った。我々のテーブルは一番最後だった。
「ちょっと損だわね」とイタリア奥。全く同感である。順番を待つ間に、どんどん料理が消えていく。
やっと我々の番が回ってきて、急いで料理を取る。料理は普通に美味しかったのだが、普通なだけに正直全く印象に残ってない。ああ、羊肉は美味しかった。さすがに新鮮である。その辺の羊をチョチョイっとドナドナして来たのだろう。(羊肉も熟成するのだろうか、それなら別に新鮮屠殺したてではないのか。)
間違えて隣のイタリア奥のグラスを使ってしまい、ごめんねーと言ってる側から再度間違えた時、なぜか爆笑された以外は、もはや会話もなくなっていた。
隣のテーブルでは、バックパッカー日本人が中心となり、何やら下品な話題で盛り上がっていた。よう知らんけど。
そしてお楽しみ、スイーツタイム。ニュージーランドの激甘メレンゲ菓子「パブロヴァ」やチョコレートケーキ、クランブルやフルーツなど、メインの料理と同じくらいの量と種類。
今度は我々のテーブルが一番最初である。皆ウキウキとした表情で、大皿にデザートをモリモリに積み上げる。釣られてモリモリにしてしまったが、どれもこれま虫歯になりそうな甘さ。美味しいか不味いかで言えば、甘い。なんとか完食したが、ものすごく口が甘かった。
ディナーを終えると、あとは自由時間である。19時も過ぎていたが、空は、まだ明るさが残っている。
船室でゴロゴロし、船内を彷徨ううちに、すっかり日が暮れた。ふとデッキから下を覗くと、アザラシが船に上がり込んで寝ていた。
タマちゃん。左の黒い細長いやつがソレ。
南十字星を探したが、それらしい十字の星座が2つあり、どちらが本物かわからなかった。スマホで調べたくても、そこは圏外。同定は諦めた。
部屋に戻り、ストレッチャーのようなベッドに横たわる。スクリューは止まっていたが、発電機なのか、小さく規則正しい振動音が気になって寝付けない。いや、少し緊張しているかもしれない、とも思う。
スマホに落としてきた本を読むうちに、いつのまにか眠りについていた。
翌朝、食堂で朝食をとり、部屋に戻ると、船は海の近くに移動したらしい。波が高く、船が大きく揺れるので、寝不足の私はすっかり酔ってしまった。そこから下船まで起き上がれなかったのだが、デッキに出ていた夫によると、またアザラシたちがいたらしい。
アザラシ。
実は、公式ホームページには「運がよければイルカやペンギンが姿を現すかもしれません。」などと書いてあったが、ペンギンなどどこにもいなかった。いたのはアザラシだけ。
まあ、このあたりのペンギンは、夏にはいなくなるのは知っていた。なので、仕方ない。別のペンギンスポットに期待することにした。
(この期待が裏切られるのは、これまでに書いた通り。)
船は昼前に港に着いた。ヨロヨロと這い出す。太陽が眩しい。
大きく伸びをして、車に戻った。
次の宿泊地はワイカワ。再びテ・アナウを経由して南へ向かう。小型船を牽引した車をやたらに見かけた。夏休みは湖でモーターボートで遊ぶ。まるでスネ夫の自慢話だ。きっとあのボートは3人用に違いない。
途中、熊谷市指した案内板が有名なブラフポイントに寄り、トイレに入ったが、地獄の汚さであった。便座に謎の黄色い液体が乗っている。しかも紙がない。
ブラフポイントの熊谷を指す案内板。ここにも中国人はいなかった。
この日の宿は「ワイカワ・ハーバービュー」というペンションである。
そこに着いた時には既に18時を回っており、スタッフらしき人はどこにもいなかった。ペンションの前には「受付は17時まで。それ以降は、xxx-xxxxまで電話してね。」と書いた看板がかかっていたが、携帯電話は圏外。電話できない。
部屋の前に回り込むと、ドアに鍵が刺さっている。このまま入って良いのだろうか。とにかく状況を打破できるもの、例えば公衆電話のような物がないか、周りを見るウロウロするが、何もない。
再び看板の前で途方に暮れていると、隣の民家から、背の高い老人が出てきた。眩しそうにこちらを見ながら「お前さんたちはペンションの客かね?」と問う。そうだ、と答えると、「部屋のドアに鍵が刺さっているから、開けて入るのじゃ。出る時は、鍵をテーブルの上に置いて行ってくれればいいんじゃよ。」と教えてくれた。
親切な隣人に感謝しつつ、部屋に入ると、「何かあったら、17時以降は、xxx-xxxxまで電話するか、お隣のジムに聞いてね!」と書いた紙が置いてあった。あの老人はジムというらしい。サンキュー、ジム。
部屋に荷物を置いて、鍵をかけ、車ですぐのところにあるキュリオベイに、ペンギンを見に行った。
それにしても、鍵を刺しっぱなしで放置するとは、大らかというかなんというか、すげえ治安がいいんだな、ということはよくわかった。
続く。
ニュージーランドドライブ旅(キーサミット編)
テアナウからの続き。
2018年12月31日、朝。テアナウ。
南京虫フリーのベッドから、もそもそ抜け出し、買っておいたミューズリーを摂取。ミューズリーのくせに「ナッツ&チョコレート」という、意識の低い味である。
カロリー万歳。なぜなら、この後、我々はトレッキングをするからである。
目的地は、キー・サミット。「ルートバーン・トラック」というガチコースの一部ながら、3時間ほどで往復できるので、ミルフォード・サウンドのついでに寄るのにちょうどいい。お手軽にニュージーランドの大自然を味わえる。(と期待していた。)
テアナウから、車を走らせ、見事な岩山がそびえる94号線を駆け抜ける。
この絶景も、ずっと見てると麻痺してきて、なんとも思わなくなる。
ちなみに、このあたりの道幅やカーブの曲率は、首都高のそれに近い。大自然に囲まれた、合流と料金所のない首都高である(もはや別物)。
加えて、
カーブの入り口には必ず推奨速度が表示されているので、非常に走りやすい(んじゃないかと助手席で思っていた。)
そうして登山口の駐車場に着いたのは9時過ぎ。
既に混み合っており、なんとか隙間を見つけて車を止めたが、あと30分遅かったらスペースは全て埋まっていたかもしれない。
あいにくの雨だが、全身雨具を着込むほどではない。雨具の上着だけ着て、ペットボトルのミネラルウオーターが入ったペラペラのナップサックを背負う。
出発するとトイレはない。登山口近くのアンモニア臭いトイレで用を足す。
(どれくらい臭いかというと、理科の授業でアンモニア水の匂いを嗅ぐ時に、うっかり手扇するのを忘れたくらいの臭さである。目にしみる系)
税関で死守したトレッキングシューズの紐をギュッと結び、キーサミットへ出発だ。
道はかなり良く整備されていて、例えるならば高尾山。はっきり言って、キーサミットまでならトレッキングシューズなどいらなかった。ウォーキングシューズで十分である。
正直、日本の砂利道の方が険しいんじゃないかな、と思ってしまうレベルで楽勝なのだが、これはあくまで個人の感想である。
これから行く予定の方が、もしこれを読まれていたら、油断せずに自分が十分と判断した装備で向かわれますよう。(楽勝じゃん、というのは楽勝の装備があったからこそ言えることである。)
さて、整備されたコースを歩いていくと、軽装のフランス人カップルに追い抜かれた。夜中に近所のコンビニに行くような格好のくせに、やたらと速い。さすがモンブランの国の民は違う。
そうしてフランス人カップルが見えなくなる頃、前に10人ほどのグループがゆっくりしたペースで歩いているのが見えた。荷物の量から推測するに、我々と目的地は同じであろう。ツアー客らしく、ガイドの声が聞こえてきた。
しめしめ、日本語である。
ひたひたと近づく。
そして、しんがりのガイドらしき男性に、日本語で「おはようございます!」と元気に挨拶する。ガイドは驚きながら「あ、おはようございます!」と爽やかに返してくれた。
同胞との触れ合いのひととき。この、何も言わなくてもなんとなく伝わるハイコンテクストな感じはなんだろう。
「おはようございまーす」と言いながらグループを抜かしてしばらく歩くと、また日本人グループに遭遇した。ひたひたと近づき日本語で「おはようございます!」「あ、おはようございます!」・・・というのを2回くらい繰り返すと、樹林帯を抜けた。
ここで晴れていれば、絶景が広がっているに違いないのだが、よほど日頃の行いが悪いらしい、あたりはガスが広がり何も見えなかった。
それでも霧の中をさらに進むと、突然山頂に着いた。
これが山頂、何も見えやしない。その辺の池とかにしか見えない。
山頂といえばお待ちかね、お弁当タイムである。
実は、来る前に、テアナウの人気店「マイルズ・ベター・パイ」でミートパイなど買っておいたのだ。(詳しくはWebで!と言いたいところだが、ホームページは工事中)
牛肉ミンチ入りのパイにチーズをのせた「ミンスチーズパイ」、ワイン煮込みの鹿肉がゴロゴロ入った「ベニソンパイ」、そして口直しに「シーフードパイ」の3つである。
とはいえ、まだ歩かなければならないし、満腹になるのは避けるべきだ。シーフードパイは下山後に食べることにし、私はミンスチーズ、夫はベニソンを食べることにした。
残念ながら、雨で湿気てしまっていたが、肉汁がぎゅっとして、パイの小麦風味もたまらなくおいしかった。運動して腹が減っていたこともあり、あっという間にペロリと平らげてしまった。ベニソンもひと口食べたが、全く臭みもなく、ワイン風味が気が利いて美味であった。
程よく空腹も収まれば、展望のない山頂になど用はない。さっさと降りて、シーフードパイを食べるのだ。
そうして下り始めてしばらく歩くと、再び先ほどのツアーグループに遭遇した。まだ先ほどの場所からあまり進んでいなかった。グループだと、個人客に道を譲ったり、体力のない人にペースを合わせなければならず、どうしても時間がかかるのだろう。
しばらく歩くと、朝出発した駐車場が見えた。
往復で2時間ほどである。健脚の人であれば、1.5時間ほどのコースだと思う。
靴を履き替え、雨具を脱いで、念願のシーフードパイにかぶりついたが、これはそれほどおいしくなかった。
つづく。多分あと2回くらい。
おまけ。
ここまで、見かけたアジア人は日本人だけである。一緒に上海からオークランドに飛んだ中国人たちは、一体どこに消えたのだろう。
ニュージーランドドライブ旅(クイーンズタウン〜テアナウ編)
2018年12月30日、上海を発った我らがNZ288便は、ヌルっとオークランド空港に着陸した。
タラップを降り、フレンドリーなイミグレを通ると、いよいよ厳しいと評判の税関だ。
私は使用済のトレッキングシューズを持ち込んでいたので、Nothing to declareではなく、Dealareに並ばなければならない。申告せずにバレると、罰金400NZDである。バカにならない。
申告用紙の細々とした項目にチェックを入れ、いざ税関職員との対決である。
今回の対戦相手はサンタクロース風。Ho! Ho! Ho!とか言い出しかねない感じの、立派なヒゲのおじさんである。
申告用紙をフムフムと読んだサンタ風おじさん、トレッキングシューズに食いつくも、「水でよく洗って、アルコホールで消毒しましたよ。」と答えると「パーフェクト!」とニコニコ通してくれた。サンキューおじさん。
そうしてテクテク歩いて国内線に乗り換える。
キウイ!キウイ!と連呼する安全ビデオに辟易しつつ、9時30分にオークランドを出発。
ニュージーランド航空NZ615便は、南島の絶景を飛び越え、晴天のクイーンズタウン空港に着陸した。
途中、上昇気流により激しく揺れ、前の席のお子様は盛大に嘔吐していた。
後で調べたところ、どうもこのルートは揺れるので有名らしい。私も着陸があと5分遅かったらヤバかった。もう少しで、ニュージーランド航空のオシャくそゲロ袋に、胃の中身をぶち込むところだったぜ。
ディスイズニュージーランド航空特製の、オシャくそゲロ袋。
クイーンズタウン空港は、立派な山々に囲まれた立地にある。まるで上高地の中に滑走路を作ったような無理矢理感はあるものの、なかなかの絶景である。
素晴らしい景色に見惚れつつ、タラップで空港に降り立つ。それにしても、タラップは良い。ボーディングブリッジの味気なさと比べたら、旅情は格別である。
国内線なので、「イミグレの行列ができる前に滑りこまないと」など気にする必要はない。目についたトイレに駆け込んだ。
スッキリした気持ちで空港近くのエースレンタカーに向かい、銀色のスバル・レガシーをレンタルした。(窓口のお兄さんがいいやつ。)
その足で向かったのは、「世界一うまいハンバーガー」ことファーグバーガーである。
世界一食べられているハンバーガーはマクダーナー社のアレであることは疑いようがない(私は期間限定グラコロが好きである)。たまに食べたくなるけど、しかしまあ、だからといって別に世界一うまくはない。
というわけで、出国前からかなり気になっていた。並ぶとは聞いていたのだが、現地に着くと恐ろしく並んでいる。行列ができるラーメン屋さん2軒分超ほどである。何はともあれ腹は減ったことだし、諦めて近くのフィッシュ&チップス屋に行くことにした。
向かった先は「エリックズフィッシュアンドチップス」、大学の美術部の新歓看板みたいな、手作りっぽいおしゃれな外観のお店だ。
コレが例のブツ。
フィッシュはブルーコッドとイカと、あと何だっけ。まあウマイ。
塩辛くてビールが欲しくなるのだが、レンタカー移動なのでグッと我慢した。主に運転するのは夫なのだが、助手席要員には助手席要員なりに仕事がある。ドライバー様が眠くならないよう、歌や踊りや小話などで楽しませなければならないのだ。責任重大。
ちなみに、チップスはクマラをチョイス。
クマラとは、ニュージーランドの地野菜、平たく言わなくてもサツマイモである。サツマイモのサツマイモ臭さを強くして、甘さを弱くした感じと言えばわかりやすいだろうか。
全然美味しそうに聞こえないが、熱々ホクホクでとても美味しい。
しかし、フィッシュの付け合わせはサツマイモよりジャガイモの方が良いかもしれない。クマラも激ウマなんだが、それはそれとして揚げたジャガタラ芋が欲しくなるんである。いや、すげえウマいんだけど。
そうして、日本で言えば軽井沢のような雰囲気のクイーンズタウンを後にして、我々が向かった先は、フィヨルドランド国立公園近くの街、テ・アナウである。
ニュージーランド国道6号線を道なりにクネクネ行くと(ナビいらねえな)、南房総のような雰囲気のテ・アナウに到着した。
本日の宿は、アルペンホーン・モーテルと言う。到着したのは、まだ18時前くらいだったのだが、既にフロントには鍵がかかっており、スタッフらしき人は誰もいなかった。
どうしようかと周りを見ると、"ペン様"と書いた封筒が、フロントの窓に雑にベッと貼ってあった。(ちょっと斜めになってた。)
シズシズと封筒を開けると「部屋は4号室、鍵はチェックアウトする時にテーブルに置いて行ってね!」と書いたA4の紙と、鍵が入っていた。
なんと無用心な!
しかも玄関のドアはガラス製。余裕で割って入っちゃえる仕様である。不安。
ていうか、テーブルに鍵置いてチェックアウトって何だ。放任過ぎだろう。
初日にして、ニュージーランドの治安の良さを実感した。出かける時に鍵を閉めない田舎レベル。
おい外務省、別に犯罪とか多くないんじゃないか。
ややガタピシする(そして簡単にピッキングされそうな)鍵を開けて入ると、部屋は古いながらも清潔であった。
何はともあれ、まずはベッドシーツを引っぺがし、マットレスを持ち上げて南京虫チェック。
綺麗である。合格。
ニュージーランドは、とにかく南京虫が多いらしい。どんなに慎重になっても慎重になりすぎることはない。虫チェックは欠かせない仕事の一つだ。
虫チェックを済ませて窓を開けると、部屋に面した庭で、白人のオニイサンが上半身裸で腕立て伏せをしていた。シュッ、シュッと息を吐きながら、とても良いテンポで上体を上下させている。
と、我々に気づいたオニイサンは、立ち上がって「ハロー」と微笑み、そのままの流れでスクワットを始めた。筋肉は裏切らない!
そうして色々面食らいつつ、近所のスーパー「カウントダウン」で牛肉(ポーターハウス)、羊ソーセージ、地野菜クマラと、これまた地野菜パースニップ、牛乳とシリアルなどを購入し、焼いたりレンチンしたりして夕食にした。
合わせるのはニュージーランド産ピノ・ノワール、デザートはキウイである。ニュージーはワインのコスパが良い。
写真がないのだが、パースニップがやたらにうまかった。見た目は白い人参なのだが、人参の青臭さはそのままに(人参好きには、この青臭いのが堪らなく良いのだ)、カロテン味をなくして甘さを強くしたような、ビンビンくる野菜感。なかなか体に良さそうな味である。
日本でも栽培してくれないものか。北海道あたりで、うまいこと育てられるんじゃないか?
そういえば、キウイもめちゃくちゃウマかった。
日本のキウイは、未熟なまま収穫して追熟でなんとかしてると思うのだが、ニュージーのキウイは、ちゃんと木の上で熟させているのではないか。
酸味がなく、かといって、だらしなくもなく、さわやかな香りが立つ。さすがキウイーランド。「我々キウイの果物だからキウイフルーツ」などと名づけるだけのことはある(後述)。
まあ、日本の酸味の強いキウイも、あれはあれで結構好きなんだけど。
地場のおいしいものをお腹いっぱい食べながら、ニュージーランドの夜は更けていくのであった。
続く。
おまけ。
キウイについて、一応Wiki先生の見解を載せておくと、
1906年にニュージーランドが新しい果樹のキウイフルーツとして、中国原産のActinidia deliciosaやActinidia chinensisの品種改良に成功、1934年頃から商業栽培を開始し、世界各国で食べられるようになった果物である。
「キウイフルーツ」という名称は、ニュージーランドからアメリカ合衆国へ輸出されるようになった際、ニュージーランドのシンボルである鳥の「キーウィ (kiwi)」に因んで1959年に命名された(果実と鳥の見た目の類似性から命名された訳ではない)。
鳥関係ねえのかよ。
もひとつおまけ。
アルペンホーンモーテルのシャワーは、温度調節がやたらにシビアであった。そのシビアさは、倍率300倍くらいの光学顕微鏡のピント合わせくらい、と言えば、わかる向きにはわかるだろう。
ニュージーランド(ペンギンに会いたい編④)
ニュージーランド ペンギン記事の続き。
ブッシービーチのペンギンたちに満足した我々は、次なる目的地「オアマルブルーペンギンコロニー」へと向かった。
ここでは、エサを取りに海に出たブルーペンギンたちが巣に帰ってくるのを観察できる。
これが、想像以上に良かった。これだけでもニュージーランドに来た甲斐があった。本当に感動した。しばらくドキドキした。
しかし、この素晴らしい体験をするためには、絶対に外せない重要なコツがある。忘れないうちにそれだけ書いておきたい。
- ちゃんとペンギンが見たければ、絶対にプレミアムエントリーにすること。ジェネラルエントリーでは、人ですら豆粒に見えるような距離から、体高約30センチの小さなペンギンを見なければならない。
- できるだけ海に近い席を取ること。そうすれば、ペンギンたちが海から陸に上がるところが観察できる。海側の席でなければ、人や岩の陰になって見えない。そのために、遅くても30分前には入っておくこと。
これからオアマルブルーペンギンコロニーに行く予定の方は、以上をお忘れなきよう。
さて、大事なことは書いたので、ここからは私の好き勝手に(公序良俗に反しない範囲で)書きたいと思う。
コロニー近くの「ペンギン注意」の標識。ブルーペンギンコロニーなのに、イエローアイドペンギンなのはご愛嬌ということで。
ブッシービーチを後にした我々は、ビューイング開始の30分ほど前に駐車場に着いた。駐車場というか、山を切り開いた空き地のような空間は、開始まで時間があるにも関わらず、既に半分ほど埋まっていた。
車が多いのではない。中途半端な間隔をあけて、皆がてんでばらばらの向きに停めるせいで、入るはずの面積に入れるべき数の車が収容できないのである。ラインが引いていないのを良いことに、3台は余裕で停められるスペースに1.5〜2台くらいしか停めていない。日本でこんな停め方をすれば、場内アナウンスで、至急お車の移動をお願いされるに違いないレベルである。
うっかり雑な人の隣に停めれば、「ちょっとハンドル切りすぎたぜHA-HA!」などと擦られかねないので(偏見)、たまたまキッチリ停めた車の横にスペースを見つけ、すかさずそこに駐車した。
車を降りて歩くと、ペンギン顔ハメ看板があった。
ブルーペンギンっぽいけど何か違う。疑惑の謎ペンギン。
この顔ハメ看板の向かい側の建物が受付である。我々は既に公式ウェブサイトで支払いまで済んでいたので、名前を伝えてパンフレットを受け取り、そのまま入場した。ちなみに、建物内には、色々なペンギングッズが販売されており、ペンギン好きにはたまらない、幸せ散財スペースである。
ビューイングスペースに向かって受付の建物を出ると、35ドルの普通席に向かう通路と、50ドルのプレミアム席に向かう木道の二手に分かれる。
今回は奮発してプレミアム席にしたのだが、席までは木陰を縫うように設置された木道をクネクネと進まなければならない。普通席が受付を出てすぐのところにあるのとはエライ違いである。
そうしてたどり着いたのは、雛壇のようなプレミアム席。記憶が曖昧だが、10人用くらいのベンチが6段ほどだったと思う。席は自由だ。
前方の席は既に埋まっていたので、仕方なく最後段、雛壇に向かって左から2番目と3番目の席に座った。我々の右側、つまり最も海側の席には幼児を抱いた中国人女性が座っており、横から覗くと彼女の向こうに海岸が見えた。
海岸には1メートルほどの四角い岩がゴロゴロしており、岩と岩の間を波が出たり入ったりしていた。
後からわかったのだが、海から帰ってきたペンギンたちは、この岩場を乗り越え、急な坂を上りきり、平坦な砂地を走り抜けて木製の柵をくぐり、巣に帰る。プレミアム席は、まさにこの砂地の真ん前にある。
周りを見ると、ほとんどが身なりの良い中国人の家族連れだった。言葉はわからないが、ウキウキしている感じは伝わってくる。
ふと海の方を見遣ると、悲しげな目をした老人が、ごつい双眼鏡を覗きながら、無線で何やら話していた。ペンギンの接近を確認しているらしい。彼はきっと老練なペンギン探し師なのだ。
ペンギン探し師が話している相手は、数十メートル離れた普通席にいる男性スタッフらしかった。男性はペンギン探し師から無線を受けると、マイクに向かってペンギンの接近と、観察時の注意事項を陽気に伝えた。驚くことに、そこには中国人スタッフまでおり、おそらく同じ内容を中国語で繰り返した。スタッフらの声は、マイクとスピーカーを通して、こちら側にもうるさいくらいの音量で響いている。
「ペンギンが怖がるのでうるさくしないように」という注意もあったが、お前らの方がよっぽどうるさいのではないか、と思ったのは秘密である。(が、多分みんなそう思っていただろう。)
ペンギンの接近が伝えられてから、どれくらい経っただろうか。
寒さで鼻の頭がツンとしてきた頃、とうとうペンギンが到着したとのアナウンスがあった。我々の席からは、海岸全体を見渡すことはできなかったものの、陸に上がろうと踠くペンギンたちの一部分だけ見ることができた。
岩場には、既に海から出て念入りに羽繕いするペンギンたち。疲れているのか、じっと動かないペンギンもいる。
しばらく留まった後、準備の整ったペンギンから順に、少しずつ砂地の方に進み出てくる。
砂地の入り口に着くと、一旦立ち止まって様子を確認する。砂地に入れば、天敵から身を隠すところがないのだ。慎重になって慎重すぎることはない。
ふと、先頭のペンギンの表情が、急に険しくなったように見えた。
次の瞬間、まるでヨーイドンをするように、20羽ほどのペンギンたちが次々とダッシュし始めた。ブルーペンギン独特の前屈みの姿勢で砂地を横切り、整然と柵を潜り抜けると、草むらの中に消えていった。そこに巣があるのだろう。
ペンギンたちが通り過ぎると、静まっていた客席が、急にざわつき始めた。中国語なのでわからないが、たった今目撃した大偉業について語り合っているのだろう。ペンギンたちは無事ミッションを完了したのだ。
素晴らしい!頑張るペンギンたちを、もっと見たい。
そうして、我々はまたペンギンの到着を待った。
空がすっかり暗くなり、気温がぐんぐん下がり出す。
この時点で、普通席の客は半分ほど帰ってしまっていた。どうせよく見えなかったのだろう。もし見えていたら、絶対にもっと見たいと思うはず。あんなにアッサリと帰るわけがないのだ。
その証拠に、プレミアム席の客は全員、寒さに耐え、辛抱強く待っている。
しかし、やはり寒いのだろうか、それとも飽きたのか、右隣の子どもがグズり始めた。母親があやしても一向に機嫌が直らず、子どもを抱いて残念そうに帰って行った。
彼女には気の毒だが、我々はこれ幸いと海側に席を移動した。さっきまで一部しか見えなかった海岸が、全て見渡せるようになった。
ペンギン探し師は双眼鏡を見続け、無線でスタッフと連絡を取り合っている。
スタッフは、観客が退屈しないように、時々思いついたように解説を始めたりする。スタッフが話せば、当然同じ内容の中国語アナウンスも入る。これでは中国人が多いわけだ。
と、波打ち際が急に騒がしくなった。再びペンギンたちが帰ってきたのだ。さっきよりも多い。
波に揉まれながら、上陸しようともがいている。岩に叩きつけられ、引き波に流され、せっかく岸に泳ぎついても再び波に押し戻されてしまう。それでも諦めずに陸によじ登るペンギンたち。
がんばれ!がんばれ!
手を固く握りしめて応援するうちに、少しずつ、上陸に成功するペンギンが出てきた。疲れた体を引きずって、なんとか波の来ない場所まで移動すると、ほっとしたように羽繕いを始める。双眼鏡で見ると、濡れた羽がツヤツヤしている。寒そうだ。冷たい海から上がって、濡れたまま風の中でじっと空間を見ている。
そうして、準備が整ったペンギンたちは前に進み、また砂地の前で息を詰める。
首を前に傾け、走り出すかと思うと動かない。人間が見ているのだから、よほどのことがない限り安全なはずだ。それでも、彼らが納得いくまで慎重に確認し、ヨシと思ったら走り始める。
不思議なことに、彼らがダッシュし始める前、「ヨシ行くぞ」という顔をする。大丈夫みたいだ、ここを大急ぎで走り抜けて、ヒナに餌をあげなくちゃ。
羽繕いをしていたペンギンたちが何回かに分かれて巣に戻った後、よく見ると巣とは逆方向に向かうペンギンが4羽いた。時々立ち止まりながら、どんどん逆方向に進んでいく。心配して見ていると、次々にヒョイっとどこかに消えていった。
あれは、エリート・ペンギンによる秘密組織「ブルーペンギンズ(フロム・マダガスカル)」の特殊任務だったのだろうと信じている。
ブルーペンギンズのミッションも終わったようだし、既に22時近く、腹も空いて来たので帰ることにした。スタッフによると、この日は69羽のペンギンが帰って来たらしい。パンフレットによると、1月は150羽ほど見られるということなので、半分程度だったことになる。169匹の間違いかとも思ったが、感覚的にそこまで多くはなかったから、やはり69羽で合っているのだろう。
帰りに木道を歩いていると、先を歩いていた老夫婦がこちらを振り返り、声を出さずに合図をくれた。奥さんが手を伸ばして、地面を指している。
指の方向を見ると、巣に戻ったペンギンたちがいた。とても近い。よく見ると、木道沿いに多くのペンギンがおり、赤い照明で照らされていた。この赤い照明は、確かペンギンには見えない光だったはずだ。
近くで見ると、とても小さく儚げである。この可愛らしい小さな生き物が、さっきまで荒波と戦っていたのだ。なんと健気で逞しいのだろう。
大仕事を終え、リラックスしたペンギンたちを驚かさないように、息を潜め、足音を立てないように気を遣いながら、そろそろとコロニーを後にした。
ペンギンが、あんなに表情豊かだなんて知らなかった。
もっともっとペンギンが好きになった。
ペンギンに会いたい編終わり。
普通の旅行記に続く。
ニュージーランド(ペンギンに会いたい編③)
ペンギン記事の続き
キュリオベイ、ペンギン・プレイスと、ペンギンの遠さに失望しながらも、我々はまだ諦めてはいない。最後まで…希望を捨てちゃいかん。諦めたらそこで試合終了なのだ。
希望を捨てずに向かった次なるペンギン聖地は「ブッシービーチ」である。
ここは、ペンギンパレードで有名なオアマルブルーペンギンコロニーのすぐ近くにある。
夜にはそこのブルーペンギンコロニーに行くので、それまでブッシービーチでYEPことイエローアイドペンギンを観察する魂胆だ。
日程的に、YEPは最後のチャンス。
とはいえ、ブッシービーチでは、ペンギンが出てくる朝晩、ビーチに下りられない。ビーチの上方、少し離れた位置に設置された観察台から見るしかないのだ。これもペンギンたちを保護するため、仕方のないことではある。
さらに無料。昭和風に言えばロハ、業界人っぽく言えばダーター。
55ドル払って激遠だった例を鑑みれば、タダなのだから、どんなにペンギンが遠くても文句は言えない。
激減しているYEPは、もはや同じ場所で息ができるだけで神々に感謝すべき存在なのかもしれない。
何が「ペンギンがそこら辺を歩いている」だ、夢見させるようなこと言うな!!
そんなわけで、心の某安西先生を無視して、全く期待せずに行ったのだ。
だが。しかし。
なんと、18時半の時点で1羽発見した!
キュリオベイでは21時まで待ってやっと出てきたのに、既にベリーラッキー状態である。
※ 前回記事ペンギン・プレイスのガイドによると、YEPは貴重なので、1羽見れたらベリーラッキー、2羽見れたらベリーベリーラッキーらしい。
しかも、今までで一番近い。双眼鏡を覗けば、頭の黄色い模様もくっきり見える。感動。羽繕いに夢中で一歩も動かないけど、すばらしくかわいい。なんと美しい鳥!!
そうしてペンギンのかわいい仕草をうっとり眺めていると、ふと、ひとつの予想が我々の頭をよぎった。
「これ、あと30分待ったら増えるんじゃね?」
我々は自分の直感を信じ、30分時間を潰した後、再び観察台に戻った。
すると、なんとペンギンが3羽に増えていた。ベリーベリー、ベリーラッキー。
しかも、波打際を泳ぎ回ったり、他のペンギンに駆け寄ったり、2羽でテクテク歩いたり、なんかもう光栄ですアリガトウゴザイマス!
素晴らし過ぎる光景を、この両の目にジュウジュウと焼き付け、ブレブレながらもiPhoneにも記録して、晴れやかな気持ちでそこを後にした。
確かに触れられるほどの近さではない。
しかし、これまででYEPの貴重さは十分理解した。
ブッシービーチのペンギンたちに、私スズキペンよりMVPs(Most Valuable Penguins)を授与したい。
ニュージーランド(ペンギンに会いたい編②)
ニュージーランド、ペンギン記事の続編である。
今回はオタゴ半島のイエローアイドペンギン観察ポイント「ペンギン・プレイス」について書きたい。
オタゴ半島は、千葉県で言えば鴨川あたりの位置にある。(ニュージーランドの地理は、千葉県でイメージするとわかりやすい。ミルフォードサウンドが木更津、クライストチャーチはいすみ市、オークランドは柏あたりであろう。)
ペンギン・プレイスは、野生のペンギンが見られるツアーを売りにしている、民間のペンギン保護地区である。
1人55ドル払うと、曰く「アザラシや、コガタペンギン、そして我々の目玉であるイエロー・アイド・ペンギン(YEP)を観察する」ツアーに参加することができる。
55ドルといえば、日本円で4,000円ちょっと、鴨川シーワールドの1日券を買って、ちょっとしたオヤツを食べてもオツリが来るお値段である。なかなか強気だ。
強気なのには、きっと訳がある。
ペンギン・プレイスのホームページを見てみよう。そこにはこんな写真がある。
近い!近過ぎちゃってどうしよう!かわいくってどうしよう!な近さ。
こんなん見せられたら、期待が高まらない方がおかしい。
これでキュリオベイみたいに遠かったら詐欺だぞ、わかってんだろうな?
(しかし、よく見ると何やら合成写真っぽいような・・・ゴニョゴニョ。)
そわそわとチケットを買い、ベンチに座って開始を待っていると、老若男女、白人客がポツポツとやってきた。
10人ほど集まったところで、ガイドのお姉さんがやってきた。
がっちりと太っており、頭にはデカデカと「侍」の刺繍が入ったキャップを被っている。(キャップの後ろ側には「SAMURAI」と刺繍が入っており、漢字が読めないキウイにも親切設計になっている。)
最初にガイドに連れて来られたのは、年季の入った狭い講堂である。
「ハーイ!」といかにもガイドのお姉さんよろしく挨拶すると、「みんなはどこから来たのかしら?」と質問する。
「カリフォルニアよ」「イギリスさ」観客が口々に答えていく。
ここは「我々はジャパン、サムライの国から来たぜ」などと答えるべきか。しかし、こんなところで日本人だとバレたら「クジラはかわいいから食べてはダメだキウイ!許せないキウイ!」などと面倒なことになりはしないだろうか。
迷っていると、隣のおじいさんがモゴモゴと「家から来たのじゃ」と答え、会場がドッカンドッカン湧いたところで話題が変わった。
ワシらはサムライの国から来たのじゃよ・・・。
ガイドの英語は早口な上にニュージーランド・アクセントが強く、ほとんど聞き取れなかったのだが、曰く「我々はペンギン・ホスピタルを運営しており、ニュージーランド中の、怪我や病気や飢餓に苦しむペンギンたちを保護して治療後、自然に還している。」「ペンギン・ホスピタルでは、昨年は100匹以上保護した。」「それでもYEPは減り続けており、気候変動や政治的な理由(詳しく聞き取れなかった)でどんどん危機的なものになっている。」
とにかくYEPは貴重らしい。
そうして講義が終わり、我々が連れて来られたのは件のペンギン・ホスピタルである。
檻の中に、ジッとしているイエローアイドペンギンたち。
初めて近くで見たYEPは、本当に美しく、神々しい生き物だった。なんと素晴らしい鳥!
とはいえ、ここは病院。やはり元気がない。
かわいい!とはしゃいで、調子の悪いペンギンたちの写真を撮りまくるのは気が引けた。
どうせこれからいくらでも野生のペンギンに会えるのだ。
早く元気になってね、と願いを込めつつ、ホスピタルを後にした。
そしていよいよお楽しみ。野生のペンギン観察ツアーのスタートである。埃だらけの古いマイクロバスに乗り込み、観察ポイントへ向かう。
バスも講堂も、全体的にオンボロなのが、ペンギン以外に金を使っていない感じで好印象だ。
よく見ると、バスの側面には日本語で乗車定員が書いてあった。元は日本の幼稚園バスだったに違いない。
ガタガタの道を、ギシギシ軋むバスで進んで行く。外を見ると、こんなところにまで羊牧場がある。さすが人口より羊が多い国は違う。隙あらば羊を詰め込んでくる。
羊たちは、口をもぐもぐさせながら無表情にバスを見送っていた。
10分ほど走ったところで突然バスが止まり、我々は外に出された。あたりには何もない。
ガイドの後について行くと、木が覆い被さる階段があった。そこを下り、塹壕のようなトンネルに入った。トンネル内は迷路のように入り組んで、薄暗く、狭く、埃っぽい。
1kmほど歩かされただろうか、突然、海岸に面した掘建小屋に着いた。履いていたスニーカーは、すっかり埃だらけである。
小屋はトンネルと繋がっており、床から1.3メートルほどの高さに、15センチほどの幅でスリットが開いている。スリットから海岸を覗き、ペンギンを観察するシステムである。
ふーん、ペンギンいないなーと思って見ていると、ガイドが海岸を指さし、「ほら、ペンギンがいるわ、2羽よ、あそこ」と言う。
色めき立ってそちらを見ると、遥か遠くに白い点が見えた。そこから少し離れて、もう一つ点がある。持ってきた双眼鏡を覗くと、うっすらと白黒のペンギン形が見えた。
中央の白い点がペンギンだ。一応スマホ用の望遠レンズを付けてコレである。
遠い。キュリオベイより倍は遠い。これは詐欺紛いの遠さ。
周りを見ると、他の客もモヤっとした顔をしている。腑に落ちない、と言った様子で写真を撮ったり、無言で双眼鏡を覗いたり、どことなく気まずい空気が流れる。
と、ガイドは何を思ったか、「皆さん、2羽も見れて超ラッキーよ!YEPは1羽見れたらベリーラッキー、2羽見れたらベリーベリーラッキーなのよ!」などとほざく。
お前、1羽すら見られない可能性もあったのかよ。それで55ドルも取るのかよ。
釈然としないまま、終わりの時間が来た。
途中、これまた豆粒のようなアザラシを観察してバスに戻った。豆粒ながら、アザラシは9匹ほど転がっていた。
バスに着くと、ガイドは人数を数え「あら?2人足りないわ!」などと慌て出した。
あの入り組んだトンネルで、客が迷子になっていたらコトである。慌てるのも無理はない。
ふと、終わりの時間になっても残りたそうにしていた夫婦客がいたのを思い出した。あの2人がまだ帰って来ていないのでは。
しかし、ここからの展開がキウイであった。
"家から来た"おじいさんが、テンパるガイドに平然と「みんないるよ」と言った。それに釣られ、他の人も「誰もいなくなってないよ。」などと言い出す。
ガイドはそれを聞くと、なんと「そうよね、きっと気のせいだわ!」と微笑み、そのままバスを発車させたのだ!
もし本当に2人残されていたら、どうするんだろう。あの夫婦がバスにいるか、怖くて確かめられなかった。
まあキウイはおおらかだから気にしないのかな。
適当過ぎるぜキウイ。
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