社会の歪みと女子の悩み

毎年、この季節になると女子が気にすることといえば、脇の毛である。アンダーアームヘアー。第二次性徴で生えてくるアレ。

 

チクチクの脇毛ちゃんたちをカミソリでジョリジョリやったり、毛抜きで「痛っ」と悶えたり、はたまたドラッグストアの除毛コーナーをうろついたりしていると、頭をよぎるのは永久脱毛である。幼気な毛根をレーザーで焼き殺す文明の利器!

昔は地獄の痛みと言われたそれも、近年は「輪ゴムでバチーン」程度の痛みであると聞く。

毎年、ネットで値段を調べては、皮膚科に行こうかどうしようか、と考えている。

 

 

しかし、どうしても踏み切れない。

 

永久というからには、もう一生、生えてこないのでしょう?やっぱり欲しいと思っても、再び生やすことはできないのでしょう?

本当に後悔しないだろうか。

 

例えば、フサフサの脇毛がブームになることは本当にありえないのだろうか。

ノースリーブのブラウスからの脇毛チラ見せ。白い肌と黒い脇毛とのコントラストがたまらなくセクシー。

あるいは、青やピンクのカラフル脇毛や、きっちり編み込まれたドレッド脇毛。見えないところのお洒落である。

えー、アナタ脇毛ないの?遅れてるー!

 

これらが本当にないと言えるか?

例えば10年前、再び太眉の時代が来ることなど予想できたか?私はずっと細眉が続くと信じていたぞ。

 

 

さらに言えば、脇毛が生えていない人が迫害されるような世の中は、絶対に訪れないと言えるだろうか?

かつて、猫を飼っているだけで魔女と決めつけられ、眼鏡をかけているだけで知識人階級と見なされ、迫害された人々がいたのを忘れてはならない。

脇毛が生えていないことで差別対象になることがないとも限らない。

 

ここで唐突に私の妄想が始まるのだが。

20XX年、広がるモテ格差(笑)や異常な少子高齢化による社会の歪みにより、ピラミッドの底辺にいる人々の一部が過激派と化し、「娼婦狩り」のムーヴメントを生み出すのである。

「快楽のための性行為は堕落だ!皆に子孫を残す権利を!」という極端なスローガンの下、「娼婦」と見なした女子を連行し、拷問の後、処刑する。反対する人もまた「娼婦」や「娼館の関係者」として連行されるため、皆じっと見守るだけだ。自分と家族を守るために、密告する人まで現れる。そうして、じわりじわりと動きが広がっていく。

 

彼らの言う「娼婦」の特徴にはいくつかあるが、決定的なものとして「脇毛が生えない」というものがある。

「二次性徴を迎えた成人女子に必ず生えるはずの脇毛がないということは、永久脱毛したために他ならない。そんな愚かしいことは男に媚を売る娼婦以外にする人はいない!」というのが彼らの言い分だ。言いがかりでしかないが、今や正義は彼らにあり。

そうして、本物の娼婦だけでなく、もともと体毛の薄い人や、薬の副作用で脇毛がなくなった人々、単に永久脱毛していただけの人々まで迫害されるのである。

 

あの時、なぜ永久脱毛などしてしまったのだろう。なぜ皮膚科に足を踏み入れてしまったのだろう。

カミソリでジョリジョリやったり、毛抜きで「痛っ」と悶えたり、はたまたドラッグストアの除毛コーナーをうろついたりしているだけでも十分幸せだったのに。

永久脱毛女子は、そう愛する人に言い残して連れ去られていくのである。

 

そして人類は、また愚かな過ちを繰り返す。

英語を学ぶということ

10年前、私はさっぱり英語が話せなかった。受験戦争を3回くぐり抜けて来たので、それなりに読み書きはできたし、文法知識もあった。しかし、いざ外国人を前にすると、全く言葉が出なくなった。

 

なぜなのか、今ならわかる。英語コンプレックスのせいだ。

 

私に限らず、多くの日本人には、英語コンプレックスがあると思う。コンプレックスがあるから、やれ文法がおかしいだの、発音がおかしいだの、他人の粗探しをしてバカにする。そして自分は絶対話さない。例えば三単現のsを抜かそうものなら周りからバカだと思われるのだ、おっかなくて話せるわけがない。

 

私のコンプレックスがなくなったのは、やや怪しげな日本語を話す中国人たちのおかげである。周りに何人か中国人がいるが、程度の差はあれ、彼らの日本語は決して完璧とは言えない。「私が使う”の”ナントカ」とか言うし(多分、我用”的”ナントカの感覚なのだろう)、促音を抜かしがちだし、ふいに「アイヤー」とか言ったりする。

しかし、我々ネイティブ日本語スピーカーからすれば、多少表現が不自然でも、全く気にならないし(まあアイヤーは驚いたけども)、言いたいことはわかるので無問題である。それをバカにするやつは、むしろそいつがバカだし、間違いを恐れて何も話さない中国人がいれば「そんなの気にしないで、もっと話さないと上達しないよ!」と注意したであろう。

 

それが、私の英語に対する姿勢に痛烈なブーメランとなって返ってきたのである。私の怪しげな英語をバカにするやつは、むしろそいつがバカだし、間違いを恐れて何も話さないでいれば「そんなの気にしないで、もっと話さないと上達しないよ!」と注意されるであろう。

 

非ネイティブの粗探しなど無視すれば良い、どうせそいつらもたいして話せない。他人の目を気にしたら負けだ。

発音が悪いとバカにされたら、うるせえこれが私のアイデンティティ、で一蹴である。そして「知らないの?これNYスタイルだよ?」とバカにし返せば良いのだ。(移民の多いNYでは、世界各国のアクセントの英語が話されている。行ったことないけどな!)

要は図々しさ、女は度胸なのだ。コンプレックスなどくそくらえ!

 

 

コンプレックスを克服したら、とにかく練習あるのみ。練習すれば、それだけ上達する。外国語学習には多大な努力が必要なので、他人を気にする余裕があったら、表現を一つでも覚えた方が生産的なのである。

王道はない。いわゆる「聞き流すだけ」や「3ヶ月でペラペラ」の類もそれなりに試したが、「お前らマーケティングうまいな!」という結論に落ち着いた。

 

そうして空いた時間にちょこちょこ練習し、イングランド人に「エイゴ上手デスネ」と言われる程度には話せるようになった。

この場合の「上手」とは、我々が外国人に「日本語お上手ですね」というのと同じ意味であろう。

そんな程度のレベルか、と思われるかもしれないが待ってほしい。いいですか、そんなレベルでもこうしてツラツラ語ってしまう図々しさが英語コンプレックスを克服するためには大事なのですよ。

 

 

ところで、最近ロシア語を学び始めた。

テキストの初っぱなから「労働者」だの「タワーリシチ」だのという単語が出てきて、何やら真っ赤っ赤である。

別の意味で他人の目が気にならないでもない。

ウラジオストク(郵便局編)

海外に旅行に行ったら、必ず自分宛に絵はがきを送っている。現地の人に混じって窓口に並び、郵便局で切手を買ったり、ポストに投函したりすると、その国の事情が垣間見え、まるで生活しているかのような気分に浸れるのだ。ほんの少しではあるが、理解が深まるような気がする。

 

そんな訳で、ウラジオストクでも、雑貨屋で絵はがきを買い求め、ホテルでこりこり書きつけ、郵便局に向かった。

 

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こちらがその絵はがき。下のロシア語は「おめでとう」という意味らしい。特にめでたいこともないが(脳みそ以外は)、不思議の国のウラジオストクでささやかな冒険、特別な日ではある。なんでもない日おめでとう。

 

郵便局は、ウラジオストクのほぼ向かいにある。すぐ近くには、スーパーマーケットやレーニン像があったりする。

 

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エータ、レーニン像。

 

ソ連崩壊から30年も経って、まだ像が残されていることも驚きだったが、いつ行っても中国人観光客で賑わっているのも意外であった。彼らはレーニンと同じポーズで集合写真を撮ったり、満面の笑みで自撮りしたり、とても満足そうであった。世界人民大団結万歳。

外国で見る中国人は、どの国であろうと、何やら楽しそうである。

 

 

そのような共産主義的喧騒を通り抜け、郵便局内に入ると、薄暗く、しんと静まり返っていた。

窓口と思われるところで、職員と思われる女性に絵はがきを見せると、階段を指差して静かな口調で何やら私に指示をした。もちろんロシア語なのでさっぱりわからないが、言われた通り階段を上ると、郵便貯金の窓口のような雰囲気である。どうも違う気がする。

それでも窓口の人に絵はがきを見せると、案の定違うらしく、右の方を指差し「あちらに行け」と言う。そして「あちら」の窓口に行くと今度は「下は行け」と言われる。たらい回しである。

 

仕方なしに1階に下りると、先ほどは気づかなかった場所にドアがあった。まるでRPGである。

重い扉を恐る恐る開くと、そこにも窓口があった。中には職員の女性が3人。同時に私を見つめてきた。

「ズドラーストビチェ」と挨拶し、一番仕事ができそうな女性に絵はがきを見せると、彼女はチラと一瞥した後、ロシア語でピシャリと何かを言った。「切手を買っていらっしゃい」と言われた気がして、「グジェ(どこ)?」と聞くと、ドアの外を指差した。

 

言われた通り、ドアの外に出たが、そこには最初に向かった窓口と、売店があるだけである。

とりあえず売店のレジに座っていた中年女性に絵はがきを見せると、何かを了解したように頷き、料金を調べて45ルーブル分の切手を貼ってくれた。ようやく正解にたどり着いたのである。

 

切手の貼られた絵はがきを持って、先ほどのドアを開けると、またもやロシア語で何かを言われた。しきりに後ろを指差している。見ると、そこには青色の箱があり、上面にははがきが入る程度のスリットが開いていた。ポストのように見える。窓口の女性が何を言っているのか全くわからないが、他に選択肢はない。えいままよ、絵はがきを青い箱に放り込んだ。

 

「届かないかもしれないな」と諦めていたが、絵はがきは2週間後にちゃんと届いた。

たらい回しにされ、何度も「ニェット」と言われたが、それがむしろ異国の醍醐味というか、やはりロシアは妙にクセになる魅力がある。

 

これだから、外国から絵はがきを送るのはやめられない!

無駄話と映画レビュー「わがチーム、墜落事故からの復活」

映画『わがチーム、墜落事故からの復活』を見てきた。

ブラジル・セリエA所属のサッカークラブ、シャペコエンセの選手、幹部、スタッフらを乗せたラミア航空2933便が墜落した事故の、その後を描いたドキュメンタリーである。

 

始めに断っておくと、私は全くサッカーファンではない。ルールも「手を使ったらハンド」程度の間抜けな知識しかない。確かジーコだかペレだかっていう神を信じる多神教徒の宗教儀式なんだよね。(もちろん冗談ですごめんなさい。)

 

そんな私ですら、当時、この悲劇的なニュースを知った時、とても悲しくなったのだ。サッカーを知らずとも、見に行く他あるまい。

 

そうして向かった新宿ピカデリー。改装して久しいが、入るのは実は初。なんだかやたらにオシャレ過ぎて、ピッと舌打ち。なんやあのオサレフォントは!

ピッと思いつつ、オシャレ発券機でチケットを買い、オシャレカウンターでコーヒーを買って5番シアターに向かう。

同じ時間帯に、今をときめくイケメン俳優が主演する映画が上映しているらしく、婦女子(腐ではないと思う)がポスターにキスしながら写真を撮っていたり、何やら華やかな雰囲気である。

キャッキャウフフキラキラ女子エリアを過ぎると、オッサンと、ユニフォーム着たサッカーオタク臭い男子と(ユニフォーム割あるからね)、意識高そうな面倒臭い系女子(私だ!)しかいなかった。「ドキュメンタリー映画あるある」である。仕方あるまい。

 

 

さて、無駄話はここまでにして、映画のレビューをば、いたしましょう。

 

 

映画は、2016年、シャぺコエンセが南米大陸選手権の決勝進出を決めるところから始まる。

監督も選手も、もちろんサポーターも歓喜に満ち、「決勝では命をかけて戦う」などと言う選手までいる。(この後の事故を知っている私は、命より大切な試合などないと思ってしまうのだが。)

そして、誰かが撮っていた飛行機内での和気藹々とした様子が流れる。

 

と、突然事故が起きる。

救助活動が行われ、僅かな生存者が病院に運ばれる。

 

ニュースが伝わると、町全体が悲しみに包まれ、町民たちはスタジアムに集まり、皆チームを思って泣いた。もともと、シャペコエンセは、小さな町のチームで、町の人々はみんな誰かを通じてチームの選手たちにつながっていた。チームとサポーターの距離が近く、とても暖かい雰囲気のチームであったのだ。彼らの衝撃はいかほどであっただろう。

 

そしてこの絶望の淵から、タイトルの通りシャペコエンセの復活劇が始まるのだ。

 

日本版の公式サイトからはエモーショナルな感動秘話や復活劇を予想させられるが、そう簡単な話ではない。

確かに、事故直後は深い悲しみがチームと街を覆い、人々の心は一つになっていた。

しかし、再建を薦める中で、事故から生還した選手、新しいチームの監督と事故後に寄せ集められた選手、事故を免れた選手たちの気持ちが噛み合わずすれ違う。そこに遺族たちの喪失感や現実的な困難が加わり、わかりやすい胸熱展開は繰り広げられない。事故後に参加した監督は新しい理想を、事故前からいる人は前のようなチームを求め、遺族たちは気持ちの整理がつかず、大黒柱を失って生活の不安を抱えている。皆、違う理想を求めている。しかし、それが簡単に一致しないのが常というものだ。生き残った者はその後も生き続けなければならないし、生きるとは現実であり、関係者全員の利害が一致する訳もない。

「みんな自分のことばっかりだな」と思ってしまう。しかしそれが当事者というものなのだろう。

 

そんな中で、生還したアラン、ネト、フォルマンの3選手は、どこに行ってもヒーローであり、復活のシンボルであった。にも関わらず、彼らは彼らだけで孤立しているようにも見えた。熱狂したり悲観に暮れる他の人々よりもずっと冷静で、事故の延長線上を生きているようだ。彼らにとって、事故は肌で触れた事実であり、大義名分ではないのだ。

事故を免れた他の選手との交流があまり描かれなかったのは、演出的な意図なのか、それとも事実なのか。

フォルマンは選手生命を断たれ、アランは復帰した。ネトを応援したい。

 

さて、レビューと銘打つからには評価をしよう。

十分に楽しめたが、途中で席を立った観客もおり、皆に薦められるかというと疑問である。人によっては退屈かもしれない。

という訳で、個人的には★★★★☆、客観的には★★★☆☆

 

 

おまけ。

後ろの席の人がずっと貧乏揺りをしていて、いい加減にしろ、と思ったら地震が起きた。震源地は千葉県東方沖で震度5弱

それからピタリと貧乏揺りが止まった。

あの人ナマズかなんかだったんですかね。

私の黒(光りする生き物の)歴史

本日は、紳士諸君が大好きなアイツについてお話ししたいと思う。

黒くて偏平で、ギラギラしていて、ピンと伸びた触角がチャームポイントのアイツである。

名前を書くのもおぞましいが、強いて言うならGKBRだ。つまりはコックのローチだ。

淑女の皆さんはもしかしたらお嫌いかもしれない。

 


賢明な諸君は当然ご存じのことだと思うが、やつらは飛翔はできない。できるのは滑空だけ。

高いところから飛び降りて、グライダーのように進んでいく、ただそれだけ。自ら飛び上がることはできないのだ。

 


そんなわけで、やつらが地面を這い回っている分には、恐れることは何もない。

怖いのは、こちらの目線の上にいる場合である。

高いところによじ登り、じっと身を伏せていたかと思うと、急に滑空する。

そして、なぜか必ずこちらに向かってくる。

なんという恐怖。もうみんな残らず火星にでも移住してください。

 

 

 

さて、ここで突然私の恋バナが始まる。タイトル通りの黒歴史である。

 

大学生時代、多忙な男の子と付き合っていた。

彼はバイトに部活にとても忙しく、なかなか会える時間がなかった。

たまに私の家に来て、ごはんを食べて、用事が済むと帰って行く。彼の部屋に会いに行こうとすると、素っ気なくかわされてしまう。


当然、浮気でもしてるのだろうと思っていた。もしかしたら私の方が浮気相手なのかもしれない。

それでも当時は「健気で一途なワタクシ」「甲斐甲斐しくごはんを作って待っているワタクシ」に酔っていたので、それなりに満足していた。


そんなある日、訳あって自分の部屋に戻れなくなった。一言で言えば、近所に出没する変質者に目をつけられたのである。

仕方なしに、彼の家に押しかけ、身を寄せることにした。

浮気か何か、証拠でも見つけてやろうという気持ちも多少あったかもしれない。

 


しかし、私が彼の家で見たものは、誰かの長い髪の毛でも、不審な化粧水でもなかった。

 


そこには、大量のやつらがいた。あの、例の黒光りする仲間たちである。

 


1DKの部屋に、少なく見積もっても100匹くらいはいたであろう。

やつらは床をトロトロと歩いたり、触覚をヒクヒクさせたり、壁によじ登って滑空したりしていた。

多勢の余裕だろうか、優雅なものである。

 

しかし、他に行くあてなどない。

その時、私の中で何かが音を立てて壊れた。

 

とりあえず、床にいるものからゴキジェットで手当たり次第殺した。

(ゴキジェットがあるくせに、なんで使わなかったんだろうな、あの男は)

そのうち、薬剤を噴射するより、缶の底で潰した方が確実で早いことを学んだ。

最初は気持ちが悪かったが、そのうち何も感じなくなった。

地を這い回るやつらなど恐るるに足らず。ひたすらに潰した。

 


それからは、戦いの日々であった。


まず、片っ端からゴミを捨てて掃除しまくった。

ゴミを持ち上げると、影には必ずそれがいた。

流しの下を開けたら、ジッと休んでいたヤツと目が合った。


部屋中をひっくり返して、卵を集めて捨てた。小豆をこぼしたように卵があった。タンスの中にまで卵があった。


ゴキブリホイホイを買ってきて、部屋中に設置した。

一晩経って、そっと覗くと、5匹くらいずつ捕らわれていた。

粘着シートの上で身動きも出来ずに、触覚だけがフワフワ動いていた。やつらの静かな息づかいが聞こえるようだった。

設置したホイホイを集め、命ごと捨てるのは気が滅入った。


あまりにキリがないので、バルサンを買ってきて、彼がバイトに行っている隙に燻蒸した。

所定時間後、部屋に戻ると、トルメキアに滅ぼされたペジテ市みたいになっていた。

ひっくり返って死んだ蟲たちを割り箸でつまんで袋に入れながら、玄関から部屋の奥まで進んだ。


帰ってきた彼氏に褒めてもらえるかと思ったら、「殺生は好かん」と冷たく言われた。

「生きものに優しくて素敵」と思った。

彼が部屋に呼んでくれなかったのは、少なくとも、ヒトへの浮気ではなかったのだ。満足した。

 


その頃の私は、確かに何かか壊れていたのだろう。どこで聞いたのだったか、こんな話を思い出した。

昔々あるところに、夫婦が仲良く暮らしていた。

ある時、夫が出かけている間に、妻が鬼にさらわれてしまった。

帰宅して妻がいないことに気づいた夫は、悲しみに暮れながら必死で探した。

やっとの思いで見つけた妻は、幸せそうに鬼のパンツを洗っていた。

 

それから1年くらい付き合ったが、何が原因だったか、ふいと別れてしまった。

あの哀れな捕らわれのGKBRを思い出す。

それでも私は幸せだったのだ。

ウラジオストク(パーティーロック編)

太平洋艦隊編の続きである。

 

太平洋艦隊博物館を出ると、ちょうど昼前だったので、腹ごなしも兼ねて市街地まで歩いて戻ることにした。海沿いの道をまっすぐ行けば、中央広場に着くはずである。

 

歩道には人が溢れ、何やら賑わっている。

人を避けながら歩いていると、ガラガラの車道をランニングウェアを着た集団がこちら方面に向かって走って来た。

 

ここで腑に落ちた。朝のあの異様な雰囲気はマラソン大会だったのだ。(前々回の伏線、これにて回収。)

 

ラソン大会とは言っても、犬と一緒に走っていたり、お友達とキャッキャウフフしていたり、何やら自由な雰囲気である。プラカードを持っている人までいる(デモなのか)。そして皆、のんびりとしたスピードである。

これは、きっとウラジオストク市民ふれあいマラソンとか、そんなユルい大会なのだろう。または、速さを競うのは目的ではなく「同志みんなで走ろう会」のような更にユルい催しなのかもしれぬ。

 

そんなユルランナーたちをホノボノと眺めていると、今度は逆方向から猛スピードのガチランナーがやってきた。

ストライドが先ほどのユル集団と倍は違う。ぐいぐいと、力強く進んで行く。

それを追うように、セグウェイカメラマンがスイスイ進む。

トップランナーを見る限りは、全くユルくない、ちゃんとしたマラソン大会のようである。

 

要するに、ユルランナーたちは単にビリグループだった訳である。

何キロのコースなのかは知らないが、トップランナーは既に折り返し地点を過ぎて、まだユルランナーたちが和気藹々と走る(たまに歩く)地点まで戻ってきたのだ。

トップランナーの後を、続々とガチランナーたちが走ってくる。

 

と、後ろから、「ウラー!ウラー!」という雄叫びが聞こえた気がした。

しかし、振り返っても何も見えない。

 

「ウラー!ウラー!」

今度ははっきりと聞こえた。赤軍か。赤軍の突撃なのか。それともロシア式声援なのか。

 

「ウラー!ウラー!」

どんどん近づいてくる雄叫び。

 

叫んでいたのは、青黒の揃いのジャージを着たランナー集団であった。

10人はいただろうか。そのうち1人は、白地に青のバッテンの旗を掲げていた。ロシア海軍旗である。

ということは、ロシア海軍の皆様である。太平洋艦隊の皆様かもしれない。全員ガチムチで、足並みも揃っている。

「ウラー!」と叫びながら、猛スピードで駆け抜けて行った。息も切らしていない。

 

本場の、しかも本職のウラーに出会えたことに興奮を抑えきれないが、1人旅のため、誰とも共有できない。とりあえず日本にいる夫にLINEで報告。

 

さらにテクテク歩いて行くと、中央広場が見えてきた。

そして、広場の手前にゴールがあった。

 

ゴールでは、LMFAOのParty Rock Anthemが爆音でかかっていた。

 

ご存知とは思うが、これな。

 

ウラジオストクに来て、ポールモーリアだのテレサテンだのは聞いたが、ロシアンポップのようなものはどこでも一切耳にしなかった。なぜだろうか。

カチューシャすら流れていなかった。一応ロシア語で歌えるようにしていったのに。

 

既にゴールしていたロシア海軍の皆様は、時々思い出したように「ウラー!」と叫んでいる。

もうええっちゅうねん。

 

 

続く。かもしれない。

 

ウラジオストク(太平洋艦隊編、その2)

太平洋艦隊博物館のゲートの先は、階段になっている。

降りると、大砲や、小型潜水艇(だろうか)が、博物館をぐるりと取り囲むように展示してある。いきなり大迫力である。

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ほう立派な、と眺めていると、厳しい表情の長身の老人が近づいてきた。

もしや休館日か、と身構えつつ「ズトラーストビチェ」と挨拶すると、“Chinese? Korean?”と聞いてくる。「ジャパニーズ」と答えると、少し考えた後に、「コニチワ、アリガートウ」と言って自慢げである。よく見ると目の端に微笑らしきものが浮かんでいる。

丁寧に博物館の入口まで案内し、”Enjoy!”と言って去っていった。

 

怖い人かと思ったら普通にいい人。もはやお馴染みのパターンである。顔が怖いだけに、親切にされるとやたらと感激する。

それにしても、ロシアのオッサンというのは、なぜ皆あんなに顔が怖いのか。若者は、皆つるりとした紅顔の美少年なのに、それ以外はロシアンマフィアである。中間がいない。美少年とロシアンマフィアの間がミッシングリンク

 

さて。

入口の重い扉を開けると、中にいた警備員のオッサンが上を指さし「セカンドフロア」と言う。

言われるがままに階段を上ると、チケット売り場らしき場所には人がいない。あたりをぐるりと回っても見つからないので、再び降りて先ほどのオッサンに聞いてみることにした。

ロシア語ができないので、Google翻訳のお出ましである。

「チケットを買いたいのですが、売り場に誰もいません」

スマホをオッサンに見せると、少し考えて、別のオッサンBを連れてきた。オッサンBは何やら陽気な雰囲気である。

 

オッサンBに連れられて2階に上がると、チケット売り場をスルーして展示室に入り、ここを見てろと言う。チケットはいらないのか、と聞いても展示の説明をするだけで、全く会話が噛み合わない。

説明といっても、私が全くロシア語を解さないので、写真を指さしては「これは誰」などと言うだけである。ノーリアクションも申し訳ないので、説明を受けるたびに、言われた名前を復唱しておいた。すると、オッサンBは「そうだ」と言わんばかりに真剣に頷く。親切な人なのは間違いない。

そのうち、日本のどこから来た、と聞くので、(神奈川と言ってもわからんだろう)と、「ヨコハマ」と答える。するとオッサンB、「カナガーワ!」と返してくる。まさかの返答。なかなかやり手である。

 

そんなやりとりを数分続けて、「とにかくここを見てろ」と言ってオッサンBは去っていった。

一人になり、目的の日露戦争の展示をじっくり見る。

海戦図だとか、プロパガンダポスターと思しき日本艦隊がボッコボコにやられてる絵など、説明文は読めないものの、なかなか面白い。

東郷平八郎や戦艦三笠の写真は見つけたが、クニャージ・スヴォーロフの写真は見つけられなかった。ないはずはないので、おそらく見落としたのだろう。

 

日露戦争の展示を見終わると満足しつつ、隣接した第一次世界大戦の展示室に入った。

フーン、と見ていると、先ほどのオッサンBと、アジア人女性が入ってきた。彼女はロシア語が堪能なようだ。見るからに日本人らしき風貌だったが、果たしてそうであった。

親切なオッサンBは、私を呼ぶと、彼女にジャパニーズ、カナガーワと紹介した。同様に、彼女はジャパニーズ、ヒロシーマとのことであった。しばし日本人的曖昧スマイルで挨拶。

その後、チケットを買えたか彼女に聞いてみたが、やはり「展示の説明ばかりされて全然答えてくれない」らしい。

ロシア語のできる彼女ですら、その有様であれば、何か複雑な事情があるのだろう。

 

彼女にロシア語が通じるのが嬉しいらしく、オッサンBはかなり熱心に説明している。一瞬、混ぜてもらって彼女に通訳してもらおうかとも思ったが、若干腹も減ってきたので、一人で第一次大戦の展示を後にした。

 

そのまま第二次世界大戦の展示室に入ろうとして、チケット売り場に老婆がいることに気づいた。(もしや、単にチケット係が遅刻してただけではあるまいな。)

上品な雰囲気の老婆に100ルーブル払い、これで一安心である。

それにしても、ロシアのお年寄りは元気である。

 

不勉強なもので、第二次世界大戦ロシア海軍というのがいまいちピンと来ていなかったのだが、展示を見てもよくわからなかった。

しかし、ドイツが嫌いなことだけはよくわかった。

 

先の大戦の展示を見終わると、3階に上がり、「現代のロシア海軍と世界との交流」のような展示を見る。

我らが海自の制服や、なぜか兜が展示されていると思ったら、アフリカの民芸品や、北朝鮮の壺だの金日成肖像画だの、何やらカオスな展示である。

他に、ロシアの現代の潜水服?のような展示もあったが、よくわからなかった。

 

最後がやや消化不良ではあったが(私が無知なことも原因だろうが)、存分に堪能して博物館を後にした。

 

なかなか興味深い博物館であった。説明やレイアウトなど、丁寧に人の手で作り込んだ感じがする。

もう少しロシアの歴史を勉強してから再訪したい。

 

パーティロック編に続く。

 

おまけ。

展示してあったロシア領土の地図。

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国後択捉がバッチリ入ってますぞ!