美食の都リヨン最終回と上海、残りを駆け足で
そういえば、コロナ直前の2019年末〜2020年始にかけてのリヨン&ちょっぴり上海旅行記も未完だったので(前回記事)、当時のメモをもとにこちらもサクサクっと終わらせる。
自分でも忘れているので復習すると、旅程は以下である。当時もフランスではストライキの嵐が吹き荒れていた。
12月28日 TGVでリヨンに移動、リヨン4泊
1月1日 TGVでパリに移動、パリ1泊
1月2-3日 パリCDGー上海浦東空港、上海1泊
1月4日 帰国
12月31日、リヨン
大晦日はポールボキューズ市場に向かう。野菜や果物は端の店にあるのみで、肉やチーズが主役のようである。ブレス鶏は頭ごと売っており、ちょっとギョッとする。フランスのご家庭では頭ごとの鶏も捌けるのだろうか。少ないものの魚も売られており、意外にもとても新鮮そうに見えた。
見ているだけでも楽しいが、ホテル泊のため買い物ができないのが残念である。
あやとりしている子どもも見かけた。フランスにもあやとりってあるんだな。
市場の壁にはポール・ボキューズ氏の肖像が。
昼は市場内にあるLes garçons Bouchersというレストランでタルタルを食す。サッパリしており、連日の脂に疲れた胃袋でも食べやすい。
ポールボキューズ市場を後にした我々は、路面電車で合流博物館に向かった。有人窓口が行列している一方、自動券売機がガラガラである。我々は優待だの割引だの何もないので、迷わず自動券売機でチケットを購入した。
なんかオシャレな形の博物館
日本についても展示もあったが、マニアックというか、あまり他の博物館では見ないラインナップである。きっと他の国の展示も同じような感じなのだろう。
剥製はどことなく品と色気がある。
どことなくおフランスの香りのする上品な剥製たち。
企画展は世界の帽子展とよくわからない互換可能性の展示※の二つだった。前者では、世界のカラフルな帽子が並ぶ中、日本の真っ黒な烏帽子が異彩を放っていた。
※互換可能性の展示ってなんだ?どんな展示だったか全然覚えてない。
夜はLa Maison Marieにて。
料理はあっさりしており胃に優しく、どことなく日本で食べるフレンチのような軽さと繊細さ。と思っていたら、マダム曰くシェフが日本人(※当時、今は不明)とのことである。
デザートは「見ていて気持ちいい」系の動画でお馴染みの、チョコレートの球体に熱々ソースをかけると球体が溶けて中身がコンニチワするアレである(名前を知らない)。温度が低すぎたのか、球体がなかなか溶けずに失敗。ミミャルディーズはどら焼き(のようで決してどら焼きではないモサモサの何か)であった。マダムは「日本のどら焼きよ!」と説明してくれたが、そんなマダムにぜひ日本のちゃんとしたどら焼きを食べさせてあげたい。きっと甘いものに全く興味がない人が作ったのだろう。料理が美味しかっただけに残念である。
↑失敗したデザート
↑どら焼き様の何か
ところで我々の隣の席はお揃いの指輪を左薬指にはめたゲイカップルで、指を絡ませたり、お互いが好きでたまらない!という熱い雰囲気がこちらにまで漂ってくる。日本ではこんなに堂々と同性がカップルとして振る舞うのは難しいだろう。さすがはフランス、進んでいる。
ホテルに戻り、年明けの瞬間を迎えると、急に外からクラクションと爆竹が鳴り響いた。ものすごい騒ぎ。テレビをつけるとピンク色の服を着たはるな愛みたいな感じのニコニコのお姉さんがいっぱい出てる。ムーランルージュの踊り子らしい。歌とダンスで年越しするのは、どこの国も同じなんだな。
1月1日、パリ
ここからパリに向けて出発である。チェックアウト時、フロントスタッフが「マダムにプレゼント」と香り付きの石をくれた。スーッとするハーブっぽい感じの何やら虫除けになりそうな匂いである。帰ったらタンスにでも入れておこう。
※と当時は思ったらしいのだが、現在タンスには入っておらずら捨てたと思われる。
幸い、TGVは間引かれることもなく定時で発車した。運が良い。車内では母娘がサラダなどの軽い昼食をとっていた。そんな食事ですらデザートにチョコレートムースを欠かさないあたりにフランス人の真髄を見た。
TGVの座席。普通に綺麗だった。
せっかくのパリなのに食欲が湧かず、昼はクレープ、夜はサーモンソテーなどと言う軟弱な食事で誤魔化した。ストで地下鉄が一部運休になっていたり、美術館は激混みで断念したり、歩き回っただけで何もできなかった。
こんな風に閉鎖されてたりした。
夫が食べていた肉。
サーモンソテーなら軽いと思ったら、添えてある米が重かった。
1月2日、パリ
※出発前にハンバーガーを食べていたらしい。他に何をしたのか覚えていない。
フランスのチェーン店、ビッグ・フェルナンド(発音合ってる?)のバジルバーガー
1月3日、上海
上海ではあたりをつけていたスープ屋が新世界城からなくなっていた。ウロウロした挙句、近くにあった火鍋屋※へ。英語が通じないので、周りを見つつ何とかする。
※店の名前はメモしていなかった。ググっても火鍋屋が多すぎて見つけられず。
スープを選んで、自分で好きな具を取ってくるスタイル。タレもお好みで。我々はトマトと普通の火鍋のスープにした。串が刺さった本数が一本一元で、皿に乗った具は少し高級。辛いけど美味しい。美味しいけど辛い。ダラダラ汗をかきながら必死で食べていたら、フランスで脂っこいものを食べすぎて調子が悪かったのがスッキリした。っぱコレだよ!
このパンダのビールが美味しくて、たくさん飲んだらトイレに行きたくなったのだ(後述)
しかし店内にはトイレがなく、店員の指示に従い隣の雑居ビルのトイレを拝借した。入口は半分シャッターが降りており、はたして中も薄暗く、スナックやらキャバクラのような店が並んでいる。怪しい雰囲気がムンムンに漂っていたがホテルまで我慢できそうもない。止まっているエスカレーターを3階まで登り、安っぽいドレスを着たお姉ちゃんにじろじろ見られながら一段と薄暗い洗手間に入った。
中には個室が並んでおり、案外普通だと思ったのも束の間、戸には鍵がなく穴が開いているのみ。壊れているのかと思い、一つ隣に入ってみたが同じである。諦めてよく見れば、便座がなく、水路が切ってあるのみである。床は濡れており、滑らないように最新の注意を払ってしゃがみ、用を足す。もちろん紙など設置されてないので、1枚だけ残った虎の子のTempoで何とかするしかない。
と、隣の個室に現地人(推定)が入ってきて勢いよく小便をし始めた。そこでようやく気づいたのだが、トイレと言っても、一本の水路を個室で仕切っているだけ。つまり水路は全個室で共用で、上流から下流に向かって絶えず水が流れているため、上流で放出されたソレが下流の個室も通ってバイバイするのである。そして、迂闊なことに現地人の個室が私の上流である。なかなかハードだぜ…などと考えていると、上流の現地人はウンコまでしやがった。私の股の下を通っていく現地人のウンコ。そこで心が折れ、途中で尿意が引っ込んだ。そこから急いでホテルに戻って残りを放尿した。
日本のトイレ環境は本当に素晴らしいなぁ。
ホテルに戻り、震える手で夫に図解
コロナ禍前の韓国旅行記(釜山、KTX、ソウル)
COVID-19関連の水際対策も緩和されたので、この連休は韓国に行っていたのだが、そういえばコロナ禍前の2019年10月に行っていた韓国旅行記が未完なことに気がついた。
それを放置して今回の旅行記を書いても誰も困らないのだが、自宅でトイレを流さずに放置するような気持ち悪さがある(自宅なので自分と家族は困る)。記憶が消えかけているので基本的に当時のメモをもとにダイジェスト版でお送りする。
(※は現在目線でのコメントである。)
旅程は釜山一泊→KTXに乗ってソウル一泊の二泊三日だった。
釜山初日
初日の夜はアンコウ(韓国語でアグ)である。注文したのは塩味のアグスユと辛いアグチムである。
店舗外観
上がアグスユ、下がアグチム
辛い方には肝が入っていなかった。日本語が話せる店員さん曰く「辛い方は本当はすごい辛いので、手加減しておいた」とのことだが、まあ普通に辛かった。客はほとんど中高年で、近くのBBA女子会は焼酎飲みまくりで楽しそうである。2人で56,000KRW(※当時)
歩いてBIFF広場に。尿意を催したため、ゲーセンでトイレ借りるも男女共用で紙がなく、使用済みの紙を入れるゴミ箱は既に溢れて床に紙が散乱していた。難易度高いタイプ。残りわずかなポケットティッシュで乗り切った。
念願のシアッホットクは激うま。こんなにシアッがぎっちり入って一枚1,300KRW(※当時)はお値打ちである。
シアッホットク。ひまわりの種などを混ぜたもの(シアッというらしい)ぎっしり。
帰り、チャガルチ駅でウンコ座りで車座になってだべっている日本人グループに遭遇。邪魔。ええ、言葉は訛っていらしたけど間違いなく日本人でしたよ。せめて立て。立って通行人に道をあけろ。
ホテル近くのコンビニ、Nice to CUで雪見だいふくを買って部屋に戻った。
予想外の色合い
2日目、釜山→ソウル
エレベーターでパン持った中国人と遭遇※
※と、メモに書いてあるのだが、全然覚えてない。何が面白かったんだろう?エレベーターでパンくらい持つだろ……持たないかな。
朝食はテゴンミョンガテジクッパ / 대건명가돼지국밥でテジクッパ7,000KRW(※当時)とスンデ7,500KRW(※当時)。私は血のソーセージ系が苦手なのでパス。
体がカフェインを欲したので近くのスタバで「バニラフラットホワイト」なるものを注文。トールで5,600KRW(※当時)。味はバニラでもなければフラットホワイトでもなかった。
ホテルをチェックアウトし、駅で蒲鉾とビールとドーナツ(麻布ドーナツ、2023年時点では店名変わったっぽい?)を入手してKTX乗車。
駅に到着する度に席を立ち、発車すると再び席に戻ってくる乗客がいたが、あれは指定席を取らずに座っているのだろうか。
モニターには伊藤博文と安重根、1919年2月1日と1945年8月15日、三一運動等と表示される。反日プロパガンダかな。(いや伊藤博文は征韓論反対派だったはず。)
カマボコはうまい!ドーナツはマーガリン味。
ソウル駅に着くと「ノー安倍」のポスターがびっしり貼ってあった※。
※この当時はまさかあんな事件が起きるとは……。
とりあえずロッテ百貨店明洞本店へ。
免税店には、大型アップグレード完了後なのか顔に包帯グルグル巻きのお姉さんがちらほら。美への道は壮絶である。
そしてやっぱりデパ地下は楽しい。朝鮮ホテルのキムチは試食したらすげえ辛い。「辛い!」と驚くと店員のおばちゃんが少し誇らしげ。いや本当辛いんすよ。
旅のお目当ての一つは高級マッコリの入手。売り場のお姉様(≠おばちゃん)店員がとても日本語が上手(下手って意味の「日本語お上手」ではなく)。日本に生マッコリを持っていこうとして失敗したんですよーと言っていたので、昔日本に住んでいたりしたのかも。
Seolloのピアノでエモい曲を演奏する迷彩のお兄さんを見かける。韓流ドラマのワンシーンにありそう。
夜はトゥトゥム/두툼でサムギョプサル。
モクサル、ランプ、サムギョプサル、チャミスルのピンクグレープフルーツ味、テソンを注文。テソンは釜山の焼酎らしい。釜山の飲食店で出る水はこの柄の入ったボトルに入ってたな。
締めは南浦麺屋/ナンポミョノッ/남포면옥で冷麺。
麺があんまりゴムゴムしてなくておいしい。わかりやすく言えば更科そば※。
※「わかりやすく」と自分で書いておいて、全然わからない。
シンプルで洗練されており、不要な要素を極限まで削った引き算の料理。
そして夜、腹を下した。(多分食い過ぎ)
最終日
昼ごはんは バルコンヤン/발우공양で韓国精進料理。
※感想をメモしていなかったが、なんかキムチみたいなものがいっぱい出てきたような記憶がある。
空港のロッテ免税店受取カウンターには、中国人の一団がものすごい数の免税品を受け取り、流れ作業で片っ端から開封・仕分けしていた。組織的爆買いである。
帰りの飛行機も大韓航空、機材はエアバス330。長野上空から着陸直前まで盛大に揺れて酔った。
竹島……。
帰国後、街中のテレビの内容が呑気で帰ってきた実感が湧いた。
美食の都リヨン、その3
この日の第一のミッションは、絵葉書を出すことである。ここでも度々書いているが、自宅に絵葉書を出すことは旅の楽しみの一つだ。郵便局もお国柄が出ていて楽しいのである。ちなみに「技術の進歩により世界と一瞬で繋がれる21世紀にあっても手書きの温かみが(略)」などというインターネット黎明期のような気持ちは全くない。自分で自分に絵葉書を書いて「温かみが〜」なんて馬鹿馬鹿しいにも程がある。
さて、便利なことにホテルの隣がリヨン中央郵便局であった。前回パリに行ったときにも絵葉書は出したので、どうすれば良いかはわかっている。郵便局にある黄色い自動販売機で切手を買い、絵葉書に貼って出すだけである。自販機の使い方は簡単、重量と行き先を選んで、表示された料金を払うだけ。うっかり行き先にoverseasを選びそうになるが、ここはinternationalが正解だ。overseasは所謂フランス海外領土のことで、敗戦国の人間としては新鮮に感じる。切手をペッと貼ってパッとポストに投函して、難なくミッション・コンプリート。
そして第二のミッション。胃薬である。前日と同じドラッグストアでやっと購入できたのは、ヨーロッパでの胃の不快感に効くという「水で溶かして飲む錠剤みたいやつ」、そして万が一これが効かなかった時のために、ネットでオススメされていたガビスコンである。「水で溶かして飲む(略)」の名称を知らなかったものの、それらしいものが何種類か売っていたので1番安かった「オキシボルジン」とやら
を選んだ。
ガビスコンは有効成分はアルギン酸ナトリウム、重曹が主成分の普通の胃薬である。制酸と胃粘膜保護が効能のようだ。一方、オキシボルジンは硫酸ナトリウム、リン酸二水素ナトリウムといった瀉下?制酸?成分と謎成分「ボルジン」を含んでいる。なんでも、ボルジンとは「ボルド葉」とやらに含まれるアルカロイドであり、胆汁分泌促進作用があるらしい。胃が重い原因は脂質の摂りすぎであろうから、我々に足りないのはまさに胆汁、真っ先に飲むべき薬は「オキシボルジン」の方であろう。ちなみに、以上は単にネットの海をサーフィンして得た情報を素人なりに組み合わせたものである。私に薬学の知識は全くないので真偽に責任は持てない。
これが例の「オキシボルジン」、探し求めた「水で溶かして飲む錠剤みたいやつ」である。
「ボルジン」という強力な助っ人も入手したところで、我々はまた脂っこい料理を食べることにした。今回の店は
Cafe Comptoir Abelである。開店時間まで30分ほどあったので、周辺を無目的に散策した。運動して準備万端である。
入ってみると店内は意外に広い。感じの良いウェイトレスに2階席に通された。メニューを熟読し、迷った末、私は前菜にアーティチョークとフォアグラのサラダ、夫はザリガニのサラダを頼み、メインは2人ともクネルにした。ちなみに、クネルとはリヨン名物カワカマスのハンペンである。そしてpotでロゼと「オキシボルジン」用のタップウォーターを注文した。
コップに水を注ぎ「オキシボルジン」のタブレットを投入すると、シュワシュワと音を立てて瞬く間に溶けていった。タブレット自体はラムネ菓子の「ハイレモン」のような見た目である。水に溶かしたソレは、駄菓子にあった粉末のメロンソーダ(今もあるんだろうか)のような、あの嘘臭い炭酸風味がまず舌を襲い、次いでポカリを薄くして人口甘味料で甘さをつけたような、体に良くなさそうな味が残る。日本によくあるミント風味の胃薬のような清涼感は全くない。
しかし、飲んだ後なんとなく胃が軽くなってきた。そんなすぐ効くか?と思わないでもなかったが、気持ちよく食べられるのならこの際プラシーボでも構うまい。
さて、ここAbelはネットの皆様からの評判も高く、絶対に行きたい!と公式ページで事前予約をしておいたのだが、料理はいずれも期待を裏切らぬ良い出来であった。料理人がキッチリ拘っているのだろう、食材の味がピンッとしっかり立っていて、スタンダードな味ながら確実に美味である。味付けが良いというより腕が良いという感じ。ワインも進み、途中でpotでガメイを追加した。
アーティチョークとフォアグラのサラダ。フォアグラの下に大きなアーティチョークが隠れている。
ザリガニのサラダ。ザリガニはこの店の名物らしい。
クネル。しっとりしていて、フワフワ。こんなに旨いものだわったとは!
軽い味付けではなかったが、「オキシボルジン」のおかげか2品食べ終わっても腹に余裕があった。この余裕はデザートで埋めるしかない。夫はババ、私は「シャルトリューズ・アイスクリーム」なる酒臭そうなものを注文した。シャルトリューズは言わずと知れた薬草リキュールであり、養命酒的に胃腸に効きそうである。てっきりシャルトリューズをかけたアイスクリームかと思っていたら、ガラス容器に入った素っ気ないシロモノが出てきた。一口食べればそれはシャルトリューズが大量に混ぜ込まれたバニラアイスクリームで、予想以上に酒臭かった。下戸の人はスプーン一杯で真っ赤になるだろう。ワインで気持ち良く酔っていた上にコレで、一気に酔いが回ってしまった。美味しかったがパンチが効きすぎだ(長靴いっぱい食べたいよ)。ちなみに、夫が頼んだババにも「さあ、好きなだけおかけください」と言わんばかりにラムが1瓶ついてきた。デザートが酒飲み仕様なのが、酒飲み的に良いと思う。
シャルトリューズ・アイスクリーム。酔っ払う。
ババ。ラムをビシャビシャかけ放題。
燃料(酒)補給したところでリヨンの街をさらに歩いた。カロリーを消費しないと、この先おいしく食べられない。全ては食べるために。日本で「あの時アレを食べればよかったのに!」と後悔しないために。
街を歩いていた気になったのは、地面に落ちている犬糞の多さである。歩道の真ん中に転がっているため、地面を見ながら歩かないと踏んでしまう。見れば、リヨンっ子は気にせずズンズン進んで躊躇なく犬糞を踏んでいる。犬糞が靴底につき、スタンプよろしく被害を拡大させるのである。なぜなのか!
散歩の途中でリヨン美術館も冷やかした。私は絵画に全く興味はないし、どんな名作でも「ふーん」くらいにしか思わないが、せっかく本場おフランスに来ているので、気まぐれに入ってみたのである。やはり「ふーん」以上の感想は持てなかったが、有名な作品が多いらしいのでわかる人には面白いのかもしれない。なお、私は知識もないくせにオーディオガイドも借りない主義である。イラチなもので、説明なんぞ聞いていられないのだ。
ブールデル「弓を引くヘラクレス」どこかで見た気がしたが、箱根の彫刻の森美術館にもあるらしい。
リヨン美術館を出て、お土産にショコラティエでチョコレートを買い込んだ。Philippe AbelとSève Maîtreの2件で、前者の方が現代的な感じで私は好みであった。後者も美味しいが、やや保守的。
そして、夕食にローストチキンとサラダ、ビールを調達してホテルに戻った。何も昼、夜両方ともレストランでスリーコースを平らげる必要はないのだと(今さら)気づいたのだ。チキンは消化に良いので疲れた胃にも優しい。野菜も一緒に食べれば、さらに優しさアップに違いない(なんとなく)。
左から、チキンの添え物の芋、チキン(毟った後)、サラダ。芋が謎に日本人好みな味。チキンは別に日本で食べるのとそうは違わなかった。
続く。
おまけ。
リヨンはパンの焼きがどの店もけっこうキツかった。表面が焦げるくらいカリッカリに焼いており、やや焦げくさいのがリヨン流のようだ(知らんけど)。好き嫌いが分かれそうだが、私は好きである。
美食の都リヨン、その2
年末年始のリヨン旅行続き。
リヨン2日目の朝、爽やかな鳥のさえずりとともに目を覚ました。全く腹が減っていない。おかしい。これまで、どんなに夕食を食べ過ぎようとも我々の強靭な胃袋は翌朝までにキッチリ消化を完了してきたのだ。
もともと、我々夫婦は食べっぷりには自信がある。飲食店では「よく食べよく飲む客」として1発で顔を覚えられるし、海外でも食べきれなかったことはほとんどない。欲張って注文し過ぎたサンクトペテルブルクの”Ukha”ですら、翌朝はすっきり空腹で目が覚めたのだ。
リヨン恐るべし。半日過ごしただけでこれでは、先が思いやられる。
それでも、食べ続けなければならない。とりあえずホテルに朝食をつけてしまったので食べないわけにはいかない。
可愛らしい内装の朝食会場に入ると、空腹にはならないものの、「食うか」という気持ちになってくる。パンは数種類、チーズやハムも充実、ケーキサレ(日本でも一時期「フランスの塩味のケーキ」という捻りのないキャッチコピーで流行ったアレ)があり、色とりどりのクッキー・ケーキに親指サイズのカヌレ(大好物!)、複数種のフルーツヨーグルト、どれも美味しいのだが、野菜不足が気になるラインナップである。各テーブルにはイズニーの発酵バターが気前よく置いてある。一人分30gくらい。普段はこの1/3くらいで満足しているのだが、ついテンションが上がって全部使い切ってしまった。さらにその勢いでデザートまで食べてしまった。チョコレートケーキはゴリっと甘く、いくら甘党でも毎回全力で甘くされるとちょっと疲れてくる。控え目にしたつもりだったが、やや腹が重い。自分の学習能力のなさに呆れつつ、インスタントっぽい薄いコーヒーを流し込んだ。美味しそうなものを目にすると理性が飛ぶのだ。
しかし、腹が重い。とにかく街を歩き回って腹を空かせる作戦に打って出た。
まずは旧市街、サン・ジャン広場にあるサン・ジャン大聖堂に向かった。洗礼者ヨハネに捧げられたカトリックの司教座聖堂である(とWikipediaに書いてあった)。12世紀に起工し、300年かかって完工したとのことで、縁取りの細工が凝っていて素人目にも美しい。リテラシーがなさすぎて「気が遠くなるほど手間がかかってるな」程度の月並みな感想しか持てないのが残念である。
サン・ジャン大聖堂外観。iPhoneで撮るのは難しげ。
重い扉を開けて中に入ると、まず目につくのが礼拝堂のステンドグラスである。聖人を描いているらしいが、リテラシーがなさすぎて(以下略)。身廊の高さは80m、上に向かって伸びる細工のせいか外観より高く見え、縦長の空間に足音や囁き声やその他いろいろな雑音が反響してそれがかえって神聖に感じられる。椅子に座って眺めていると、重い胃袋のことも忘れて心が穏やかになってくる。
よくわからないけど、何かご利益ありそうな感じ(違)
ぼーっと自分の世界に入り込んでいると、セロリのような匂いの煙が出る香炉を振り回しながら、司祭(多分)が入ってきた。いつのまにか日曜礼拝が始まっていたのだ。出るに出られず、かと言って何をすれば良いかもわからず、浮かないように周りに合わせて立ったり座ったり、今思えばこれが身に染みついた日本人の習性というやつであろう。教会歌手の先導で賛美歌を歌うたいまくるのだが、メロディもわからなければ、当然歌詞も全くわからない。司祭(多分)がやたらに歌うまい。すぐ終わるだろうとタカをくくっているうちに、黒いコートを着た街の名士的な紳士が延々とスピーチを始めたため、さすがに退散した。スピーチの途中で退席するのは失礼な気もしたが、まあきっと隣人愛的な感じで許してくれるに違いない。
サン・ジャン大聖堂を出た我々が向かったのは、フニクレール(ケーブルカー)の駅である。これでフルヴィエールの丘を一気に登り、リヨンのシンボル的建造物、ノートルダム大聖堂に向かう。片道乗車券1.9ユーロ。
ノートルダム大聖堂、別名フルヴィエール大聖堂はこの手のものにしては比較的新しく、20世紀直前の1896年に完成した。先に見たサン・ジャン大聖堂よりも外装、内装共に圧倒的に細工が細かく豪華だが、工期はたったの24年である。サン・ジャン大聖堂の実に1/10以下。技術の進歩は凄まじいものだ。
こちらでもミサを行っていたためか、内部は写真撮影禁止だった。そして、そのまま外観も撮り忘れた。痛恨のミス。まあ写真なんていくらでもネットに落ちてるので気にしない。
余談だが、大聖堂の横にはプレハブのトイレがある。そこそこ清潔な水洗式で無料、しかもありがたいことに紙まで設置してあるのだが、なんと便座がない。紙は御座すのだが便座がない。海外にありがちな過酷なトイレの洗礼を受け、仕方なく中腰で頑張った。
ノートルダム大聖堂からの景色。
さて、フルヴィエールの丘には、他にも古代ローマ劇場も見どころらしいのだが、小腹が減ってきた(気がした)のでスキップした。ランチタイムだ。
店は心に決めてある。徒歩で丘を下ってソーヌ川を渡り、テロー広場を横切り、おハイソな石畳のプレジダン・エドワール・エリオ通りを南に下り、ちょちょっと奥に入れば到着だ。
丘を下ったところにあったバンクシー風の落書き。
テロー広場。目の前の重厚な建物は市役所らしい。
テロー広場の噴水。馬の鼻から湯気を出すセンスは理解できない。
そのお目当ての店は、ムール・フリットが有名なla cabaneである。とはいえ、私はあまり貝類が得意でない(何かに入っていれば我慢して食べるが、喜んでは食べない)ので、Burger cabaneというハンバーガーを注文した。タルタルもやってる店だけあって肉の質が良く、レア目に焼いたパティが美味しい。小腹が減っていたつもりだったが、途中で胃が重くなり、ビールで流し込んで完食した。食べられるのなら、極力食べ物は残さない主義。
ちなみに、貝好きの夫は当然ムール・フリットをシードル味で注文していたが、普通に美味しかったとのこと。ビールをパイントでつけて2人で39ユーロ。
ムールフリット。鍋にギッシリムール貝。ビールグラスとの対比で量の多さを推し量っていただきたい。
ハンバーガー。なんでリヨンに来てまでこんなもん食ってるんだ、という気がしないでもないが。
腹ごなしにジャコバン広場をウロついてみたりしつつ(全然大した運動量ではない)、食休みのため一旦ホテルに戻った。(親が死んでも食休み)
ジャコバン広場の噴水。こんなものが街に普通にあるなんて羨ましい。
ホテルで休んでいると、いよいよ胃がオカシくなり、吐き気まで催してきた。こんなこともあろうかと、持ってきていた某漢方胃腸薬を飲んでみるも全く効果なし。しばらく右を下にして横になってみたものの、幽門は東名高速道路における大和トンネルの如き大渋滞である。バターやら肉やらで胃腸が疲れているのだろうか。否、そんなもの今までいくら食べても平気だった。加齢か。加齢が原因なのか。
ともかく2日目にしてこの調子では先が思いやられる。
私がベッドでゴロゴロ苦しんでいる間、夫は暇つぶしに散歩に出かけ、そのうち重要なことを思い出した、と言って戻ってきた。昔、ヨーロッパに留学していた夫の知人がこんなことを言っていたのだそうだ。
「ヨーロッパで胃もたれした時って、日本の胃腸薬は全然役に立たないんだよね。現地で普通に売ってる、なんか水で溶かして飲む錠剤みたいやつが効くんだけど、何が違うんだろうね。」
それだ!と顔を見合わせた。これからのリヨン食い倒れ旅行を楽しめるかどうかは、その「水で溶かして飲む錠剤みたいやつ」を入手できるかどうかにかかっている。
思い立ったが吉日、早速ホテルを出て薬局に向かった。前日、モノプリを冷やかした際、斜向かいに大きめの薬局があるのを見ていた。薬の名前は知らないが、それほど特殊な薬ではないようだし行けば何とかなるだろう。
ホテルから10分ちょっと歩いて薬局に着いてみると、無慈悲にも閉店していた。入口に張り紙があったのでGoogle翻訳にかけてみた。「19時以降は深夜窓口で販売」というような内容が書いてあるようだが、この時まだ18時過ぎである。念のため深夜窓口にも回ってみたが、灯は付いているものの人がいるわけでもなく、開いているのか閉まっているのか判然としない。
しばらく様子を見ようかとも思ったが、なんとなく長居する気になれず諦めた。そこまで治安の悪い雰囲気でもなかったが、店のすぐ目の前ちは地下鉄駅があり、色々な人が屯していた。長時間突っ立っていれば、それだけ変な人に絡まれる可能性も高くなる。そもそも、もし開いていたとしてもフランス語は話せないし、英語が通じたとしても私の英語力では「胃が重い」くらいは言えてもそれ以上の混み合ったニュアンスは表現できない。要は難易度が高すぎるのだ。
仕方ないので、夕食は軽いものを取ることにした。せっかくリヨンまで来ているのだから食事を抜くなど言語道断。多少胃の調子が悪いくらいなら頑張って食べようというものである。
そんなわけで、この日の夜はベトナム料理を食べることにした。とりあえず胃を軽くする目論見もあり、新市街にある店まで歩いて行くことにした。
ローヌ川を渡り、新市街を歩く。観光客の多い旧市街と違って、あまり人は歩いていない。車が接触したらしく路上で口論する人々を見かけたが、街並みは整然としており、それほど危険な感じはしなかった。歩いているうちに少しだけ胃も軽くなってきた(気がした)。
そうして店まであと少しのところまで来て角を曲がると、突然状況が一変した。移民らしき人々が大勢、騒ぐでもなく屯っており、泥棒市なのか何なのか地面に靴やらバッグやらが散らばっている。全員男性、背は高くないが油断ならない殺気があり、こちらを値踏みするような視線をひりひり感じる。明らかにヤバい雰囲気である。色々なサイトで「ここには近づくな」と書かれていた地下鉄Guillotière駅周辺に誤って入り込んでしまったのだ。
周りを刺激しないよう、かといって怯えを悟られないよう、バッグを固く握りしめ早足で通り過ぎた。次の角を曲がると、再び静かな街並みが広がっていた。時間にして30秒もなかったと思うが、もっとずっと長く感じた。
それまで、街の治安は徐々に変わるものだと思っていた。治安の良い地域から悪い地域の間はグラデーションになっていて、治安が悪くなる予兆が見えた時点で道を変えれば良いのだと。
しかし、あそこには全く何の予兆もなかった。駅の本当の直近だけが異空間のように治安が悪かった。何もなくてラッキーだった。夜に観光地域外を歩く時、何気なくフラフラせず、ルート取りに細心の注意が必要であると認識を改めなければならない。
嫌な汗が引かないまま、店に着いた。心底ほっとした。
店の名前はL'Etoile d'Asie、口コミ評価も高い落ち着いた雰囲気のベトナム料理店である。
あんまりベトナム料理っぽくない感じ。
一息ついて22ユーロのコースを注文した。前菜にエビと鶏肉のサラダ、メインにブンチャー、デザートは私がチェー(ココナッツ風味のぜんざいのようなもの)、夫がローマイチー(ココナッツ風味の大福的なもの)。
疲れた胃に優しいほっとする味だが、ベトナムや日本で食べるものより若干こってりしているのは、フランス人の好みに合わせているのだろうか。胃の調子も悪いので、グラスワイン(コート・デュ・ローヌ)を頼んで2人で51ユーロ。ワインが予想外に美味しくて、腹が云々寝ぼけたことを言わずにpotで頼めば良かった。
清肝涼茶。久しぶりのアジアのお茶にホッとする。
エビと鶏肉のサラダ。酸味がすっきりさっぱり。心に染みる美味さ。
牛肉のブンチャー(米の麺を使った混ぜ麺)、トッピングの揚げ春巻がボリューム満点で、ややジャンク。
チェー。優しい甘さが堪らない。デザートの甘さって、こんなもんで十分だよな、としみじみ思った。
ローマイチー。美味しかったらしい。
程よい満腹感で食事を終え、良い気分でローヌ川沿いを歩いてホテルに戻った。ローヌ川沿いは、夜でもランニングしている人がいる程度には安全なルートである。
ベルクール広場まで戻ってくると、ホームレスのグループが寝床の準備をしていた。リヨンで見かけたホームレスは、大抵数人グループで、大きめの犬を連れていた。恐らく自衛のためなのだろう。
ホテルに戻ってシャワーを浴び、キャラメルを舐めながら絵葉書を書いた。このキャラメル、ベッドメイキング時にハウスキーパーが置いて行ってくれるものなのだが、本気でめちゃくちゃ美味い。良質なバターの味がした。この手のものがフランスは本当に質が高い。
絵葉書。ホテルに備え付けのものだが、悪くない。
色々あった1日だったが、なんとなく落ち着いた気分で眠りについた。
続く。
おまけ。
私はいつも、旅先で車のメーカー比率が気になってしまう。小学校の頃、社会の授業が好きだったのだが、その延長線上なのだと思う。(その割に常識がないのはご愛嬌ということで)
さすがに世界的な自動車メーカーを輩出したフランスだけあって、リヨンではルノー、プジョー、シトロエンがほとんどを占め、ドイツ車は1/3くらいしかなかった。日本車はさらに少なく、5%くらいだろうか。トヨタが案外少なく、日産が多いあたりはルノーの絡みだろう(そういえば、ちょうどこの時期にカルロス・ゴーン氏は楽器ケースに隠れてレバノンに密出国していたはずだ)。ホンダ、マツダはわずかに見たが、三菱車を全く見かけなかったのは偶然だろうか。
美食の都リヨン、その1
もはやコロナ以前ははるか昔のような気がするが、未完になっていた年末年始リヨン旅行の続きである。
たった数ヶ月で、世界は一変してしまった。
さて、リヨンに着いた我々は、Uberでホテルに向かった。地下鉄も便利なのだが、もう公共交通機関はお腹いっぱい。要は飛行機だの鉄道だの、乗り物に乗りすぎて疲れたのである。
ホテルはオテル・ル・ロワイヤル・リヨン、アコーホテルズのホテルブランド、「Mギャラリー」の一つである。ベルクール広場の目の前、最高の立地だ。
オテル・ル・ロワイヤル・リヨン。かわいい外観。
一応5ツ星なのだが、フロント・スタッフはザックリした感じなのが気楽で良い。着いたのは13時過ぎ、15時くらいまで部屋に入れないとのことなので、荷物を預けて観光することにした。コンシェルジュ(?)はタランティーノを太らせ、盥でざぶざぶ水洗いして神経質さを洗い流した感じの中年男性で、そのまま天日干ししてアイロンをかけ忘れたような、良く言えばカジュアルな雰囲気である。リヨンのタラちゃんは、ニコニコしながら無料の観光マップを広げ、ボールペンでゴリゴリ書き込みながら観光案内をしてくれた。事前に調べてきた以上の情報はなかったが、そもそもこういうものは現地人に聞くことに意義がある。現場人に聞いても同じ内容ならば、日本で調べてきた情報の信頼性も増すというものだ。(まあリヨンくらいにもなれば日本でもかなり情報は手に入るのだが)
筆圧でボコボコになったマップをバッグの奥に仕舞い込んだら、さあ出発だ。
先にも書いた通り、ホテルのすぐ目の前がベルクール広場である。赤い砂が敷き詰められた、だだっ広い公園で、中には観覧車があった。
この観覧車、なんとゴンドラがオープンエアである。回るスピードもやけに速い。希望すれば係員が回してくれるのか、地面に鉛直方向を軸としてグルングルンに自転しているゴンドラもあり、もうめちゃくちゃである。正直外れるんじゃないかと心配になった。大人1人9ユーロ。気にはなったが、こんなにテキトーな観覧車に1,000円超は高い。
オープンエアー。寒くないのか。
テクテク歩いてソーヌ川を渡り、タラちゃんが「美味しいお店がたくさんある」と言っていた旧市街を目指した。腹が減っては戦もできなければ観光もままならない。
それにしても、ヨーロッパは縦列駐車がクソうまい。前後の隙間が15センチくらい、横もホイールと縁石の間1センチくらいまで寄せている。それでいて、ホイールにもバンパーにも傷がないのである。どうやって停めたのか、またどうやってここから抜けるのか、さっぱり予想がつかない。キウイが1台停めるスペースに3、4台は停めそうである。
ハトちゃんも、みっちみちに縦列駐車中。冬の鳥はふかふかしてかわいい。
さて、昼食である。リヨンに来たからには、郷土料理を食べさせる大衆食堂、Bouchon(ブション)をハシゴしなければならないだろう。
※ブションについてはこちらに詳しい。
ここはやはり、リヨン・ブショネ協会の認定の印、Boy hind Lyonnaisマークのある店に行きたいところだが、これが案外少ない。
旧市街を歩き回ってみたが、いまいちビビッと来る店がない。店構えから露骨に「それっぽさ」が漂っているのが却って鼻につく。「我々は気難しいのだ。)
そのうち飽きてきたので、仕方なく見た感じ盛況そうな認定マーク付きのレストラン、La Laurencinに入った。
ガラスの扉を開けて中に入ると、むっとするアンモニア臭が鼻をついた。臭い豚骨ラーメン店のような、死んだ生き物特有の臭い。好きな人には堪らないのかもしれないが、そうでない人には別の意味で堪らない匂いである。
とはいえ、今さら出るのも無粋というもの。我々は15ユーロのスリーコースと、potの白ワイン(11ユーロ)と水道水を注文した。potとは「ポ」と発音し、容量0.46リットル、リヨン特有の単位で上げ底のガラス瓶に入っている。
ネットの海の賢者によると、19世紀、リヨン絹製造の労働者たちは仕事の後にブションで食事をするのを常としており、毎週17オンス(約0.5リットル)のワインが雇用主から与えられていた。しかし、労働者にとって悲しいことに、1843年にpotの1単位が16オンス(約0.46リットル)に減らされてしまった。減らされた1.3オンス分が特徴的な上げ底の瓶の由来である。
閑話休題。
このブションで、夫はオニオングラタンスープ、トリッパ煮込み、そしてデザートにタルト・タタン、私はウフ・アン・ムーレット、牛肉のブルゴーニュ風煮込み、そしてリヨン名物真っ赤なプラリネタルトを注文した。ウフ・アン・ムーレットとはポーチドエッグの赤ワインソースのことで、牛肉のブルゴーニュ風煮込みはつまり牛肉の赤ワイン煮込みのことである。重複して赤ワイン味の料理を注文したのは、他のメニューは全てケモノ臭そうな予感がしたためである。また、プラリネタルトは正確にはTarte a la pralineと綴るのだが、読み方は「タルト・ア・ラ・プラリネ」ではなく「タルト・アラ・プラリィンヌ」である(そう言わないと伝わらなかった)。
オニオングラタンスープ。チーズが多い。
ウフ・アン・ムーレット、味が濃い。
臭いトリッパ煮込み。臭い。
ブルゴーニュ風煮込み。脂っこいが普通に食える。添え物の芋グラタンが美味。
タルト・タタンと山盛りバニラアイス
プラリネタルトと山盛りバニラアイスに激甘ストロベリーソースを添えて。旨い不味い以前に頭が痛くなるほど甘い。
「ブションは恐ろしく量が多い」と聞いてはいたが、実際アホのように多かった。胃袋の容量が我々アジア人とは桁違いに多い白人様ですら付け合わせの芋をまるまる残していたレベルである。ウブな我々は「食べ物を残すなどケシカラン」と付け合わせからデザートまで完食し、結果きっちり胸焼けした。ちなみにデザートのプラリネ・タルトはハードコアというか頭がグラグラと痛くなるほどの強烈な甘さである。私も相当な甘党だが、それでもなかなかツラかった。上品な甘さに慣れた日本の皆様には全くオススメできない。
混雑の割に普通の味だが、値段を考えると妥当な線かもしれない。優良可で言えば可、鼻を摘んでいれば至って普通である。ただし、ブルゴーニュ風煮込みに添えてあった芋グラタンは、しっかり熟成させた芋が甘くて美味しかった。夫が食べたトリッパは予想通り、ワインと一緒に食べないと辛いレベルの臭さだったらしい(私は味見をする気にもなれなかった)。だから言わんこっちゃない。お前はこのアンモニア臭の充満するレストランで呼吸してたのか?と舌先まで出かかったが飲み込んだ。きっと鰓呼吸でもしていたんだろう。
まあ、リヨンの風俗を知るには良かった。リヨンの数多いレストランの中で、自分好みの店だけをハシゴしていては本当にリヨンに行ったとは言えないのだ。
さて、それほど肉が好きではない私は、この昼食ですっかりリヨンの肉料理に偏見を持った。量がアホほど多く、ケモノ臭く、しかも油脂が重い。
「肉は食うまい。クネル(リヨン風のハンペンのような代物)のみを食おう。」と、密かに誓った。
重い腹を抱え、フラフラ散歩をしてホテルに戻った。
ショーケースにぎっしり並んだ真っ赤なプラリネ。甘そう。
フロントで荷物を取り、エレベーターに乗り込んだ。ふと耐荷重を見ると1,050キロ、定員14名。1人75キロの計算である。日本よりも10キロ重く(日本は1人65キロ)、西洋人との体格の差を思い知る。
部屋に入ると、とりあえずベッドに倒れ込んだ。清潔なシーツの上でゴロゴロする。実に38時間ぶりのローリングであった。
ホテルの部屋。インテリアが可愛くて盛り上がる。
しかしバスルームはシャワーを浴びたらトイレまでビシャ濡れになるタイプ。
しばらく仮眠を取り体力を回復させてから、フランスのスーパーマーケット、モノプリを冷やかしに出かけた。
1番の目的はフランスワインやシャンパン等の価格の下調べである。この手のものは日本で買うより圧倒的に安いので、是非買って帰らないと帰国後、後悔で酒浸りになるであろう。第2の目的は腹ごなしである。まだ腹が重いので、夕食までに歩き回ってエネルギーを消費せねばならぬ。
モノプリでフランス酒その他ケシカラン缶詰やオヤツがないか探していると、調味料コーナーにブイヨンジャポネーゼなる箱を見つけた。表に昆布、椎茸、カツオ節の絵が描いてある。グルタミン酸、グアニル酸、イノシン酸のトリプルアタック。万能出汁のようだが、なんとなくクドそうな気もする。リヨンのご家庭でどのように使われているのか気になる。
モノプリを出てさらに散歩して時間を潰し、まだ腹は空いていないながら、日本で予約してきたブション、Bouchon Tupinに入った。トリップアドバイザー1位の店である。我々は、21.5ユーロのスリーコースをシルヴプレした。ロゼをポで注文し、夫がパテ・アンクルート(パテのパイ包み)、子牛の煮込み、私がセロリ・カプチーノという謎料理、そして誓いを守ってクネル・リヨネーズ、そしてデザートは2人ともライスプディングである。日本では不人気の甘い粥ことライスプディングだが、実は私の好物である。
料理を待っていると、レストランにモップのような可愛い犬を連れたカップルが入って来た。案内されたのはなんと我々の隣の席である。ワン公眺め放題である。やった!かわいい!
と、ギャルソンが恭しくワン公にステンレス容器を差し出した。中には水が入っている。お犬様はトテトテと近づき、ちろちろと少しだけ水を飲んだ後、テーブルの下の見えないところに隠れて2度と出てこなかった。もっと見たかった。
犬はさておき料理である。味付けに気が利いていて、一品一品特徴があって楽しい。何事もメリハリは大事なのだ。
とりわけ白眉であったのはパテ・アンクルート。みずみずしく、肉の臭みが全くなく、それでいて肉の旨味がギュッと凝縮され、これぞパテの理想形。これまでに食べたパテはなんだったのか。
そしてセロリカプチーノという謎料理。平たく言えばセロリ臭い泡泡のスープなのだが、クリーミーで洒落た味がした。あまり他で食べたことのない味で未知との遭遇感があったが、私はかなり好きな味である。
好物のはずのライスプディングは残念ながら微妙だった。ガツンと甘く、不必要なキャラメルソースがモリモリかかっていた。別に美味しいは美味しいのだが、コレジャナイ感がすごい。
セロリカプチーノ、セロリ風味のふわふわの泡。
パテ。これが本場の実力というやつか。
クネル。洒落乙ハンペン。やや所帯臭い味で旨い。
ドナドナされた子牛の煮込み。(そういえば味見にしてない。)
ライスプディング。本当はちょっと曖昧なくらいが美味しいと思うの。
ワインは、ヌーヴォーじゃないボジョレーことガメイのpotなど。あの美味しさで酒飲んで2人で90.10ユーロはコスパ最高なんじゃないか。さすがトリップアドバイザー1位は伊達じゃない。
惜しむらくは、昼食が重かったせいで食事前に既に腹が重かったことである。空腹だったなら、きっともっと美味しく食べられたはずだ。
なぜ我々は限界まで食べてしまうのだろう。
この夜、オテルに戻った我々は、満杯の腹に引き摺られるようにしてベッドに倒れ込んだ。
江田島、呉(広島旅行3日目)
だいぶ間があいてしまったが、広島編の続き。
3日目はフェリーに乗って江田島の海上自衛隊 第一術科学校、次いで呉の大和ミュージアム、海上自衛隊呉史料館(通称「てつのくじら館」)というネイビー色の濃いルートである。
泊まったホテルにはフェリー乗り場が隣接しており、さらにフロント横の観光案内所で広島ー江田島ー呉のフェリーチケット「くれ・やまと連絡切符」が購入可能で、至れり尽くせりとはまさにこのことだ。
宮島行きのフェリー乗り場には長蛇の列ができていたが、江田島行きは我々のみであった。出発5分前でもフェリーが到着せず、不安になっているとフェリーが猛スピードで滑り込んできた。フェリーとは言っても、ちょっとした漁船のような大きさである。一瞬にして舫われ、渡し板がかけられる。イソイソ乗り込み、席につこうとした瞬間、ブルン!とエンジンをふかして出港した。10分はかかるだろう、という我々の予想を見事に裏切る定時出発、恐るべき早技であった。いやはや、慣れていらっしゃる。
船窓より。海に天使の梯子がかかっている。
第一術科学校
江田島の小用港から術科学校までは市営バス「術科学校前」で下車する。(ちなみにこのバス停から結構歩かされる。全くもって術科学校前ではないのだが、そんな甘ったれたことは言ってはいけない雰囲気である。)
学校正門で受付を済ませ、控室まで歩くのだが、身分証の提出もなければ見張りがいるわけでもなく、意外な気安さである。まあ言うて学校だから狙う人もいないのか、悪者が入り込んだところで屈強な男達が抑え込めるという自信の現れなのか、案外カジュアルな感じが若干期待外れである。
控室は「江田島クラブ」という建物のロビーで、マニア垂涎の限定海自グッズや制服などが高校の購買部のような雰囲気で売られている。ロビー中央のTVでは海自の紹介ビデオが流れており、それが大変に面白かったので後で海自のサイトやYouTubeでも探したのだが、どうにも見つからなかった。海自きっての屈強な男たちがロープと空気ボンベを担いで梯子を駆け上り(驚くことに、手を使わず足だけで梯子を登っていた)、救難機US-2に乗り込んだりする動画だ。動ける筋肉は目の保養である。
しばらく控室で待っていると、60歳過ぎたくらいの元気な男性ガイドが登場し、いよいよツアー開始である。案内を聞きながら、石造の大講堂や、イギリス製のレンガを使った幹部候補生学校を見て回る。ガイドは屋外でもよく通る声の持ち主で、話もうまく、それなりに長時間にも関わらず全く飽きなかった。姿勢が良く、力強い身のこなしから、退官した自衛官ではないかと思う。
大講堂。総工費当時40万円。現代の価値に直すと10億円以上だろうか。
旧海軍兵学校、現幹部候補生学校。横幅144メートル、当時の軍艦と同じ大きさとのこと。
幹部候補生学校の目の前には、海の波を模した砂利が。
最後は教育参考館へ。大日本帝国海軍の貴重な資料が多数展示されており、英霊に敬意を表して脱帽必須、写真撮影およびポケモンGoは禁止である。教科書やWikipediaで見たことのある資料がモリモリ、見たことがない資料もモリモリ(勝海舟、坂本龍馬が一緒に写ってる写真とか)、何時間もかけてじっくり見たいところだが、45分しか時間がない。「もっと見たければまた来てくださいね!」とのこと。個人的には、太平洋戦争関連の展示方針が平和記念館と真逆であるのが興味深かった。あと階級に対して秋山真之の扱いが大きい。
ちなみに、有名な軍歌「同期の桜」に歌われた桜も敷地内にあるらしいのだが、残念ながら工事中で見られなかった。
見学後、小用港までテクテク歩き、フェリーで今度は呉に向かった。
田舎洋食いせ屋
呉に着いたらまず腹ごしらえ。腹が減っては戦もできないし、戦関連の博物館も楽しめない。
我々のお目当ては呉の老舗洋食屋いせ屋」。創業者が軍艦のコック長だったとか。呉っぽいではないか。
味は悪くないのだが、塩味がキツいのは好みが分かれるであろう。おやじさんはお年を召されており、年と共に味付けが塩辛くなっていった祖母を思い出した。
肉じゃが
ハヤシライス。
腹も膨れたところで、大和ミュージアムへ。
戦艦大和の1/10復元モデルがあったり、零戦があったり、ミリオタの皆さんが涎垂らして喜びそうな博物館である。ほー、と思いつつ、若干この類はお腹いっぱいだったので、サラサラと通り抜けた。
戦艦大和の復元モデル。
零戦。塗料が分厚いのが本物臭い。いや本物なんだけど。
てつのくじら館
既に海自関連に飽きていたのだが、大和ミュージアムの向かいにあり、入場も無料なので、ついでに入館してみた。そんなノリなので、つまらなくても何の文句もなかったのだが、これが予想外に面白かった。
「くじら」という名を冠するだけあって、展示は潜水艦と掃海に特化している(知らんけど)。世界屈指の技術を誇る海自の掃海は、戦後、日本近海に残存した日本海軍および連合軍の機雷を処分する中で培われたらしい。様々な資源を外国からの海上輸送に頼っている我が国では、今後も掃海部隊の重要性はますます高まっていくのである(知ったかぶり)。
掃海に使用する可愛いフロート。こんなに可愛くする必要あるのか?
さて、広島市街、江田島、呉とたっぷり満喫した広島旅行も終わりの時間である。高速バスで広島空港に向かった。途中渋滞していたこともあり、1時間以上かかってしまった。
広島空港のカードラウンジは、日本酒の無料試飲があったり、もみじまんじゅうが貰えたり、素敵であるが、次に広島に行く時は絶対新幹線にしようと誓った。
広島空港、立地悪すぎである。
広島
リヨン旅行記の途中だが、この前行った広島がとても良かったので、その模様をお送りする。
今年の2月11日、建国記念の日は火曜日であり、月曜に休みを取れば4連休である。年が明ける前から、これは是非とも休みを取ってどこかに行きたいと計画を練っていた。年末にフランスに行ったばかりなのでなんとなく中国や台湾といった近場の海外か、国内旅行が良いような気はしたが、今ひとつ決め手に欠ける。
どこかに行きたい、といえばJALの「どこでもマイル」である。通常の半分のマイルで、自動で選ばれる4つの候補地のうち「どこかに」行けるという、行き先を決めきれない我々にピッタリのシステムである。JALのページを見てみると、徳島、高松、鹿児島、広島のどこかであった。徳島にある日本三大秘湯のひとつ「祖谷温泉」に行ってみたかったし、うどん県でうどん食べ歩きも素敵だし、指宿で埋まってみたいし、ああ広島ね、路面電車のある街は好きだし、最近お気に入りの富久長は広島だし、個人的には車はマツダ、野球は広島、お好み焼きは圧倒的に広島の方が好きだわ私。ということで、どこになっても楽しそうなので申し込んでみたところ、まんまと広島行きが決まったのである。広島は過去にもう2回くらい行ってるし、正直気分は鹿児島だったのだが、『この世界の片隅に』は名作だし、『ズッコケ3人組』で育ったし、定期的に平和資料館に行って平和への願いを新たにしなくてはならないし、広島になるべくしてなった気がしてくる。
それにしても、本当にあと少し何かが違っていれば、中国旅行にするところであった。新型コロナウイルスで亡くなられた方々のご冥福を祈ると共に、早く事態が収拾することを心から願う。
1日目、広島に飛ぶ。
さて、前置きが長くなった。広島旅行である。
ゆるゆると家を出て、13時20分羽田発のJA 261便に乗り込んだ。1時間ちょっとのフライトでやや不便な場所にある広島空港に着陸した。と、思ったら、あっという間に駐機場に着き、これまたあっという間にドアが開いた。地方空港は羽田ほど混雑していないとはいえ、他の空港では流石にもう少し時間がかかる気がするが、どうだろうか。
平和通行きの高速バスに乗り、予約しておいたオリエンタルホテルの前で下車。荷物を置いて散歩がてら夕食に出かけた。
夕食(野趣 拓)
向かったのはネットの住人からも高評価の野趣 拓である。
広電の土橋駅から歩いてすぐ、上品な店構えが見えてくる。引き戸を開けると、感じの良い店員さんがカウンターに通してくれた。店主も若くて気さくな感じで居心地が良い。
出てくる料理は全て繊細でセンスに溢れていた。8,000円のコースを注文したのだが、都内では絶対にこの値段では食べられない。きっと一品一品、すごい考え抜かれているんじゃないかな。
かけつけいっぱい、「山眠る」を常温で。華やかでフルーティ。我々女子供の好きな酒。
一緒に出してくれる水のグラスが薄張りなのがまた良し。
タコと菜の花のからしあえ。上の植物はノカンゾウ。タコが新鮮。
吸い流し。日置桜の熟成粕がこっくりとしていて、自家製ベーコンがちょっと洋風で、塩味が上品。具はゴボウと金時人参。ゴボウが太くて芋っぽい食感。上に載っているのはケールをパリパリに焼いたもので、美味い、もう一杯!という感じ。
日置桜の訳あり全米酒。渋い味。
ワカメの佃煮。お刺身をつけて食べて、と出されたが、これだけでも良い肴になった。
お造り、天然鯛と〆さば。上のワカメの佃煮と鯛がとても良く合い、マリアージュってこういうことよね、と。〆さばは表面をゆるく〆ており、生っぽい。好みである。
地御前の牡蠣フライ。ネギポン酢と一緒にいただく。実は私、牡蠣は苦手である。生臭くてドロッとしてて、死んだ気持ち悪い生き物の味がするのだ。
が、ペロリと平らげてしまった。ぴんっと新鮮で、生臭みもなく、プリプリとして美味しい生き物の味がした。これが地御前の牡蠣・・・!
ちなみに、添えてある白菜も山椒が効いて美味。
神雷の何だったかな・・・この辺りで酔っぱらい始めた。
コノワタの南禅寺蒸し。店で作った汲み上げ湯葉がアッツアツのトロトロ。湯葉でコノワタの生臭みがうまく丸められていた。
そろそろ広島の酒が飲みたいということで、竹鶴の純米酒、おにぎりの辛口純米。竹鶴はウイスキーのようなボリュームのある麹臭い酒で好きな人には本当にたまらない味である(私は大好き)。おにぎりも料理に合う感じではあるが、正直竹鶴のインパクトの前ではやや霞む。
安芸高田市の山で取れたイノシシ、味は塩麹。実はイノシシもあまり好きでなく、豚をさらに獣臭くした感じがオエーとなるのだが、このイノシシは全く臭くなかった。塩麹が良い働きをしたのかもしれないが、柔らかくて良い肉質であった。
昆布の佃煮と大根。昆布にこれまた山椒が効いていておいしい。
穴子、ゴボウと金時人参のごはん。ゆずの香りが楽しい。上の昆布の佃煮と合うこと合うこと。山椒と柚子って相性良いんだな。
写真はないが、味噌汁は揚げとフノリ。フノリはフワフワした食感で、今まで食べていたフノリとは全然違う。店主曰く、東日本とは種類が違うのかも?とのこと。
豆乳と白味噌の無名のデザート。「プリンでもないし、ババロワ?え?ババロワて!」みたいな感じで名前がないまま3年くらい出しているらしい。甘酒っぽいような、ちょっとミルキーな感じもあるような、説明が難しいのだがメチャクチャ美味い。美味い美味い騒いでいたら、店主がレシピを教えてくれた。作り方から考えてもババロワではないか。
一緒に出されたお茶が、ハーブティーのようなほっとする味で、聞けばハブ草茶とのこと。ハトムギ、玄米、月見草〜♪どくだみ、ハブ茶、プーアール♪のハブ茶である。
すっかり酔っぱらい、良い気持ちで店を出た。広島に行く時は、また必ず寄りたい店である。
夜食(八紘)
さて、心はすっかり満たされたのだが、腹には余裕がある。せっかく広島に来ているのだから、シメにお好み焼きを食べるべきであろう。
広電駅からホテルの帰りにある「八紘」で豚肉、イカ天、卵のお好み焼きを注文した。
茹でた麺を鉄板に広げてカリッカリに水分を飛ばすのが特徴的。麺のモチモチ感が全くなくなるので、飲んだ後のシメに最高である。ソースも少なめでちょうど良い塩梅。この後ケーキくらいなら食べられそうな軽さである。
デザート(recolter)
お好み焼きも食べてホテルに帰る途中、深夜にも関わらず営業しているケーキ屋を発見した。いそいそとティラミスを購入し、ホテルに持ち帰った。
ちなみに味はすごい普通。
2日目、原爆ドームで平和について考える。
前日にけっこう日本酒を飲んだので、チェックアウト時間ギリギリまでダラダラした。
ランチの店に向かう道すがら、食器屋に寄り道して鳥獣戯画の徳利とお猪口をゲット。広島で買う必然性のないものだが、一目惚れしてしまったのだ。
ランチ(アテスエ)
予約で満席、隠れ家的な人気店である。
シェフ1人サービス時々アシスタント1人の2人体制で16席の店内を悠々と回しており、放っておくだけの料理が多いのだが、野菜の使い方が洒落ていてとても華やか。極限まで省力化・最適化された仕事ぶりが見ていて楽しい。
右下から時計周りにフォアグラのフラン、ホタルイカのオムレツ、ワカサギのフリット。
カリフラワーのポタージュ。上にかかっているデュカというエジプトのスパイスがアクセントになっている。ずっとコンロ上に放置されていただけあって熱々。ややインドの香り。どんぶりいっぱい食べたい。
岩国のブランド鰆、菜の花と雑穀のリゾット。ブランドというだけあって鰆が美味しい。リゾットは見ていて不安になるレベルで放置されていたにも関わらず火の通り具合が絶妙で、熟練の技が光る。
前日のイノシシに続き、この日は安芸高田市の鹿。柔らかくて全く臭くない。こんなに美味しい鹿肉は食べたことがない。こちらもかなり放置されていたにも関わらず火の通り具合が絶妙(以下略)
醤油甘いソースが餅に合いそう。
マスカルポーネのムースとデコポンのシャーベット。シャーベットにも刺さっているココナッツ味の謎煎餅が謎に美味い。ANZACクッキーのような感じ。
紅茶。添えられたクマのクッキーが!アーモンドを抱えてる!か!わ!い!い!!
平和資料館と原爆ドーム
さて、広島に来たからには絶対に外せない。広島に来ておいてここに寄らないなど、非国民と罵られても文句は言えまい。
私は20年前に一度来たことがあったのだが、最近全面リニューアルされたらしく、印象が大きく違う。展示品自体には見覚えがあったが、より臨場感があり、淡々と事実を語るような展示方法に変わっていた。しかし、それがかえって心を抉られた。
さらに「被爆者」という一様なレッテルではなく、それぞれ1人1人のエピソードの紹介にかなりスペースを割いているのは以前と大きく違うところだろう。月並な表現だが、それまで私たちと同じように生きていた人たちが突然人生を奪われたという事実が押し迫って来てつらい。どうしたって自分や家族、友人に置き換えて考えてしまう。英語の解説もひとつひとつ丁寧に付けられており、読んで涙ぐむ外国の方も散見された。まともな感覚を持っていれば、ここに来ればどこの国の人であろうと同じ気持ちになるに違いない。
原爆ドーム。改めて人類の貴重な遺産である。合掌。
酒商山田、山カフェ
さて、平和な時代に生きる我々は、その幸せを噛みしめながら呑気に酒を飲むのだ。
八丁堀にある百貨店、福屋の斜向かいにあるタダモノでなく良い感じの酒屋、それが酒商山田(八丁堀店)である。八丁堀店には試飲スペース「山カフェ」が併設されており、美味しいお酒をいただける。ひとつ500円で半合くらい、別に安くはないのだが、なぜ有料試飲というものはこんなにも心ときめくのだろう。それにしても、やはり広島のお酒は美味しい。
一代弥山のm、賀茂金秀のSUITOH。
山カフェを出たその足で、翌日の朝食をゲットすべく「ワイルドマンベーグル」に向かうも、品切れのため閉店していた。さすが人気店。
夕食(かんらん車)
夜ごはんはお好み焼きである。有名店「かんらん車」で、焼いている途中でキャベツ部分のみを抜き出してひっくり返すことを特徴としている。読んでも何を言っているか全然わからないと思うが、店主のコテ捌きがすごすぎて、見ていてもよくわからない。店主の工夫の成果なのだろう、キャベツがぎゅっと甘かった。
この日、仕入れた食材よりも客が多く入ったらしく、我々が食べた時は本当に品切れギリギリであった。ベーグルは買えなかったが、ここの美味しいお好み焼きが食べられたのでヨシとする。
続く。
おまけ
かんらん車に向かう途中、どうしても我慢ができず、川沿いの公衆トイレをお借りした。お世辞にも綺麗とは言えない普通のトイレだったが、なんとこの公衆トイレ、被爆建物らしい。
正確には本川公衆便所といい、Wikipedia先生によれば、
とのことである。
資料館で見た被爆直後の広島に、急にリアルな広がりが加わって頭に入る。この中で被爆した方もいたかもしれない。あの悲惨なことが再び起きないよう願ってやまない。